48 購買と警戒
戻ってきた娘を、ライナルトは膝に抱き直す。
確認の済んだ預り証の控えと大きな魔核を、商人は大切そうに袋に仕舞っていた。まだ価格は決まらないが、売れた時点で定率の手数料を商会が受け取る契約だ。予想外の収穫ということになるのだろう、その顔がすっかり綻んでいる。
機嫌よくエッカルトは立ち上がって、村長宅を出ていった。
空き地に品物が並べられ、村人たちも集まってきていて、これから商いが始まる。
まず村人たちはそれぞれ猿魔獣の魔核を持ってきていて、商人がそれを買い取ることから始まった。それほど珍しくない小さな魔獣の分は相場が決まっていて、この場で買い取りが可能だという。
娘を抱いたライナルトも小さな魔核や野兎の毛皮などを持ち出してきて、換金を済ませた。
季節によってはこの他に農産物などの買い取りも行われるが、春先の今回、そうした作物の用意はない。
その後は順に並んで、買い物になる。
ほぼ全員が必要とするのは塩や小麦粉などで、あとは家それぞれの事情による。
並べられた中に古着や、食器などの生活用品も見えていた。
「わあ、いいねこれ」
「嬉しい」
衣類を買ってもらえることになった子どもは、にこにこ笑顔を輝かせている。
並べられた商品の中に、玩具や菓子の類いはない。農民の中にそんなものを買う余裕のある者はまず
そうした習いなので、子どもたちにとってもそんなものへの期待は
「それでは閉店させてもらいます」
ひとしきり村の全戸が買い物を済ませたところで、エッカルトが宣言した。
満足した村人たちは家へ帰り、商人二人は片づけを始める。
この夜、商人たちと神官は村長の家で夕食を振る舞われ、空き家の一つに泊まって明朝出立する予定になっていた。
夕食にはライナルトも招かれた。先刻話した魔獣などの件で、他の村や領都に伝達する内容について、続けて相談することにしている。
先に乳を飲ませてきた娘は大人しく父親の膝で食事時間を過ごし、その後部屋の隅でこの家の息子二人と遊び始めた。
大人たちは、食後の茶を飲みながら話を続ける。
カップを置いて、エッカルトは小さく唸った。
「その猿魔獣の件ですがね。他の村や領都に報せるのは決まりとして、しかし今回征伐したので終わりだとしたら、いたずらに世間を騒がせたと非難を受けることもあり得るかもしれません」
「それはそうですな」ホラーツが頷いた。「今回ので奴らはほぼ根絶やしになった、という可能性もある。しかしその辺は、しばらく様子見をしないことには何とも判断ができない。最悪を考えて警鐘を鳴らすのは、必要なことだろう」
「そうなんだがね」
こめかみを指でかく仕草で、商人は顔をしかめている。実際に魔獣を目にしていない身として、同じく実感の伴わない者たちへの伝達に難しいものを覚えるらしい。
ふうむと息をつき、神官が隣を見た。
「それでも、他の村でも獣たちの動きが例年と異なっているのは実感されているのです。もし無駄に終わったとしても、事実を伝えるのは必要なことでしょう」
「そう、ですねえ」
「これは言ってもいいものか少しためらいは覚えるのですが、私はもっと悪い事態まで予想して警戒すべきではないかと思うのです」
「それは、どういうことですかね」
「以前、教会で見た資料――それが何処まで正確なものか何とも言えないし、こちらの記憶としても今ひとつ不確かなものがあるので、ためらいがあるのですけど――かなり昔に同じような魔獣などの動きの活発化があり、大きな被害がもたらされた、という記録があったはずなのです」
「そうなんですかい」
商人は、軽く目を瞠った。
ホラーツとライナルトも、思わず身を乗り出す。
場を代表するように、村長が問いを返した。
「それはいったい、どういった?」
「三百年以上も前のことについての記録だったと思うのですが、北の山中から下りてくる魔獣の動きが活発になった。それも、徐々に大きく凶暴なものになっていった、というものだったはずです」
「凶暴に、ですか」
「はい。三年とか四年とか時間をかけてのようですが、徐々に被害が増え、最終的には人の三倍ほどの背丈の魔獣が村を襲い、人々はほうほうの
「人の三倍――」
「今回の大猿より、ずっと大きかったわけか」ライナルトも目を丸くする。
「ええ。もちろん古い記録で、大げさに伝えられている可能性もあるのですけどね。とにかく、数年をかけて徐々に魔獣の動きが目立ってきた、ということでは今の状況と重なるのです」
「そういうことですな。それで、その原因や最終的な決着などは伝えられているのですか」村長がさらに身を乗り出す。「現在このように北の村に人が住めているということは、その魔獣の危機が去ったということですな」
「その辺がますます、何処まで正確なものか、信じていいものか判じかねるのですが」
目を細めて、神官は一度言葉を切った。
かなり以前に読んだ記録について、思い出そうとしているらしい。
「知っての通りこの地では、ここより南で東西から山地が迫り、東には
「それで押さえるものが弱まって、魔獣が北から下りてきたと?」
「そういう想像ですね。徐々に増えてきた結果、三年か四年目にその大きな魔獣が現れた。こちら北部の村の者はすべて南へ逃げたが、しばらくしてその魔獣は北へ戻り始め、二度と姿を現さなかった。これは窮奇の出産が済んで、元のように影響力を持つようになったせいとされるのです」
「何と……」
「くり返しますが、何処まで記録が正確かも分からず、私の記憶も今ひとつなのです。しかしおそらく、その大きな魔獣が現れたことについては、かなり確かな事実と想像されています」
「つまり今回もそれと似た経過なら、あと数年、そうした大きな魔獣まで警戒しなければならない、と」
「そういうことが言えそうです、私は領都に戻ってもう一度資料を調べ、教会から領役所へこれを伝えたいと思います」
「なるほど」
「そういう記録があるのなら」商人は何度か細かく頷いた。「他の村の者たちにも警戒を呼びかける根拠になりますな」
「もう一度読み直さないと確実なところを話せないのですが。それでも今はやはり、早いうちに呼びかけておいた方がよさそうに思えますね」
「確かに」
低く呻いて、村長は隣の大男を見た。
受けて、ライナルトも難しい顔で首を捻る。
「まだまだ警戒は続けるべきだということだな。本当にそんな大きな魔獣が現れたとしたら、早めに見つけて避難を始めるしかないだろう」
「そういうことだな」
翌日、行商人たちを送り出して。
ホラーツは村人たちを集めて、今回の情報を伝えた。
まだ魔獣の接近は続くことが予想されるので、見張りと鍛錬は続ける。
もしみんなが協力しても太刀打ちできないと思われる大きな魔獣が見つけられたら、全村民で避難することになる。それを頭に入れて、準備をしておくように。
そうして非常警戒態勢の中、村の生活は続けられることになった。
***
特に章分けはしていませんが、ここで第1章の終了という感覚になります。
応援してくださっている方々には申し訳ありませんが、今後の更新についてはしばらく休ませていただきます。しばらくお待ち頂ければ幸いです。
レビューやコメントなどをいただけたら励みになると思いますので、できましたらよろしくお願いいたします。
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