47 供覧してみよう

「その猿魔獣の群れに、どうも親玉がいたらしいのさ」

「親玉、ですかい」

「ああ。背丈が三ガターほどもあってな。最初に村を襲ってきた群れよりは遅れて、もう一つの群れを率いて近づいてきたようだ」

「背丈、三ガター……」


 呻いて、エッカルトは神官と顔を見合わせている。

 予想外の情報に、頭が追いつかないというみたいな様子だ。

 神官シュテファンも、低く声を返す。


「それは、剣呑な話ですな。小鬼猿にそんな大型の上位種がいるなど、聞いたこともありません」

「こちらも、俺にとっても初めてだった」あたしを膝の上に揺すり上げて、父は顔をしかめる。「ふつうの小鬼猿よりも明らかに大きく、群れを統率しているようだった」

「それで見た目にたがわず腕力があって、速度も小さい奴に負けていない、ちゅうことだったな?」村長が、隣の父に確認した。「そういうこって、村の男二人が火と水で牽制してこのライナルトが剣を振るって、ようやく間一髪仕留めたということさ」

「そりゃあ、大ごとだ」


 商人が唸った。

 神官は難しい顔で首を捻っている。


「そんな今まで見たこともないような脅威が北の山中から下りてきている、この村もいつまた襲われるか分からないし、あるいはこの横を抜けて他の村や領都に迫っても不思議はない、というわけですな」

「そういうわけだ。今回の一匹で終わるならそれに越したことはねえが、そう決まったもんでもない」

「大型の上位種――突然変異のようなものですかな。過去にそんな目撃例があったかもしれない。教会に戻って記録を調べてみなければ、何とも言えませんが」

「やはり、そんな珍しい出来事ですかね」

「少なくとも私がこうして村々を回るようになって二十年余り、例はなかったはずですな。これが確かな事実なら本当に、他の村や領都に触れて回らなければならないが。なかなか話だけでは信用されないかもしれない」

「なるほど、ありそうなことだ。死骸でも見せられれば違うんだろうが」


 村長も眉を寄せて、また父の横顔を覗いている。

「死骸はもう埋めちまったからなあ」と父は唸り、首を傾けていた。

 少し考え、はたと膝を打つ。


「そうだ、少し待ってくれ。イェッタ、すぐ戻るからな」

「あーい」


 座っていた敷物の上にあたしを下ろして、父は立ち上がった。そのまま大きな歩幅で、外に出ていく。

 わたわたと両手を蠢かせて座りを落ち着けていると、あたしは後ろから抱き上げられた。


「イェッタちゃん、少しこっちにいようねえ」

「あい」


 やや後方で横座りしていたロミルダの膝に載せられる。

 父のゴツゴツ膝の落ち着きが現状最高なわけだけど、この女性の柔らかな座りも満更じゃない。

 ぱたぱたその膝を叩いていると、本当にすぐ、父は戻ってきた。


「見てくれ。その大猿の魔核だ」

「おお」


 床に置かれた黒ずみいびつな球形に、商人と神官は目を瞠った。

 両掌に余るほどの大きさがごろりと転がり、そこそこの重量感を見せている。


「こりゃあ、見たことのない大きな魔核だ」

「背丈三ガターの魔獣のものと言われて、納得できますな」


 とりどりに目を丸くした顔を頷かせている。

 触っていいか、と確認してエッカルトはそれを掌に載せた。


「うん、重量も確かだ。ライナルトさん、これを売る気はありますかね」

「金に換えられるかい」

「この大きさなら領都でも、おそらく王都でも欲しがる者はいると思う。ただ私はこれほどのものを扱ったことがないので、すぐに値はつけられない。預かって持ち帰り、今度来るときに代金を届けるということにさせてもらえないか。もちろん、商会の正式な預り証を置いていく」

「そうか。それなら頼む」


 父はちらりと村長の顔を見て、それから頷いた。

 商人と長いつき合いの村長が、保証してくれているようだ。

 嬉しそうに頷き、エッカルトはもう一度一同を見回した。


「それにこの魔核を実際に見せれば、他の村の者も領都の役人なんかも大猿の話を信用するだろうさ」

「そうですな」


 神官も同意の頷きを返している。

 商人は懐から革紐のようなものを取り出して、魔核に宛がった。どうも、長さを測る道具らしい。

 測った結果を木の皮らしいものにペンで書きつけているのは、それで預り証を作製するのだろう。


「本当に、これまで見たことのない大きさだ。特に王都の方で欲しがる人がいるんじゃないかと思う」

「王都では最近、新しい魔道具に使う魔核が不足していると聞きますからな」神官も相槌を打った。「聞いた限りでは、噂になっている人の嘘を判別する魔道具というもの、かなり大きな魔核を必要とするそうだ。おそらく、この魔核ぐらいの大きさが必要なのではないか」

「こんな大きさが必要だと言うんなら、滅多に使えるものじゃないんでしょうな」

「そういう話ですな」


 書き物を続ける商人と、神官は頷き合っている。

 それから、神官シュテファンはロミルダに目を向けた。


「それでは奥さん、交換の本を持ってきているし、健康相談の準備をしたいんですが」

「ああそれじゃ、いつもの集会場へ案内しましょうね」

「婚儀や葬儀は必要ないということで、いいんでしょうかね」

「ええ。お陰様でこの冬も無事越えることができましたよ」

「それは何よりでした」


 神官が腰を上げ、ロミルダもあたしを抱いたまま立ち上がる。


「すぐそこだから、イェッタちゃんも一緒に行くかい。父ちゃんはもう少し難しい話みたいだよ」

「あーい」


 父は商人と預り証について確認し合っている。

 行く先はいつもの託児用の家らしいので、あたしは軽く同意の返事をした。

 外へ出て空き地に停めた荷車の周りに商品を並べている若い商人に近づき、シュテファンは本らしい木の板の束を受け取っている。

 集会場へ入っていつもあたしたちが読んでもらっている本を取り上げ、ロミルダは神官の持つそれと交換していた。どうも布教の意味も兼ねたそうした本を教会が貸し出し、いくつかの村で順番に取り替えて回っているということのようだ、


「はい、いつもありがとうございますね。これを読んであげると、子どもたちも喜んでいるんだよ」

「何よりですな」

「ああ、できたらでいいんですけどね、もっと字の多い本はありませんかね」

「ほお。そういう希望があるなら今度見繕ってきますが。字を読みたがる子どもでもいなさるか」

「ちょっと、まだ少し興味を持ち始めたというだけなんですけどね」

「興味の芽生えだけでもあるなら、伸ばしてやりたいところですな。分かりました、次回お持ちしましょう」

「済みませんねえ」


――字を読みたがる子って、もしかしなくてもあたしのことか?


 このところしばらく、一人で本を開いたりロミルダに読み方を訊いたりしていた。それが印象に残っていたんだろう。

 他の女子たちの中に音読してもらうのが好きな子はいるけど、自分で読むことに興味惹かれる様子は見せていない。そもそも村全体で大人を見ても、文字が読めるのは村長とその嫁だけ、それにうちの父が加わったという実態らしいんだ。

 それ以上ロミルダが説明を加えないので、神官は別に不思議も覚えないみたいな受けとめだ。

 おそらくその子というのはこの家の息子辺りだと解釈しているんだろう。


「あとは、健康相談の人がいたら、呼んでもらえますか」

「はい。いつもの年寄り夫婦だけだと思いますよ」

「分かりました」


 特別に病気や怪我の人がいない限り、定期的に相談に来るのはヨッヘムとロヴィーサ夫妻だけらしい。

 外に出たロミルダは老夫婦の家に声をかけ、元の村長宅へ戻った。


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