46 耕作と行商

 畑の春の作業が終わった頃合い、例年の通り獣の来襲はなくなったようだ。

 まだ完全に安心できないとは言え、村人たちは明るい顔で続く農作業に進んでいる。

 村長の家では昨年息子が亡くなって働き手が減ったので、使わずに残している畑地がある。その一部を貸してもらって、ライナルトも野菜を耕作することにした。せいぜい自分の口に入れられるほどにも収穫が得られれば、という片手間の作業だ。とりあえずは育てやすい葉物野菜と、娘の離乳食に役立ちそうな豆類を試している。

 それ以上にやはり、森の中の見回りは続ける。

 例年なら害獣の接近が見られない季節になったとは言え、少し前にはこれまで見たことのなかった猿魔獣が現れるなどしたのだ。森の奥などに何か変化が起きているかもしれない、という警戒は続けるべきだろう。


「わうわう」


 朝の涼しいうちに、畑仕事を行う。

 耕作地の脇に敷物を広げて、娘はそこで遊ばせることにした。とりあえず家の中と同様に、赤ん坊ははいはいをしたり水魔法の練習らしい動作をしたりしている。

「ご機嫌だねえイェッタちゃん」と、隣の畑で作業を一段落させたロミルダが笑いながら寄ってきた。

 ロミルダをはじめイーヴォやケヴィンたちが挙っていつものお返しとばかりに、慣れないライナルトの畑仕事を見に来て助言指導してくれているのだ。


「元気に這っているねえ。立っちするのももうすぐかな。十ヶ月だったっけ、イェッタちゃんは」

「そんなもんだと思う」

「そんなもんって、あんた。正確に分かんないのかい」

「ああ……まあな」

「いや、自分の年齢としなんかはともかく、赤ちゃんの月齢はある程度押さえておかなくちゃ。何の月生まれなのさ」

「七の月……だったと思うんだがな」

「てことは、今が四の月に入ったところだから、八ヶ月から九ヶ月になるかってとこかい」

「そうなるか」

「前は十ヶ月くらいって言ってなかったかい? 何やってるのさ、子どもの生まれた日、そんないい加減にして」

「いやそんな、暦なんかよく見ないしよ。女房が早産で、俺が狩りに出かけてる間に産まれちまったり、その後半月程度も弱ってしまって介抱にかかりきりだったりでな。日付なんか覚えてられなかったのさ。ついでに魔狩人の仲間が大怪我で死にかけたりしてたし」

「ありゃありゃ、そりゃたいへんだったねえ。それで奥さん――気の毒したねえ」

「まあ、仕方ねえけどな」


 そもそも、農村ばかりでなく領都のような街中でも、平民はほとんど暦など見もしない。と言うより見ることができる暦など身近になくて、必要なら大きな商家や教会などに教えてもらいに行くのがせいぜいだ。

 ライナルトのような魔狩人が遠出をする場合にも、出発日を起点にして何日かかる予定、などというふうに数える程度だ。

 農村などでも月の勘定はある程度大雑把で、どちらかというと実際の天候を重視して作業の段取りを考えることになる。


わりいなイェッタ、お前をないがしろにしてたわけじゃなく、いろいろ事情があってよ」

「あい」


 言い訳がましく声をかけると、娘はあっさりした返答をしてきた。

 相変わらず何処まで理解しているのかしていないのか、よく分からない。


「それにしても八ヶ月ぐらいってんなら、立つのが遅れているわけでもないんかね。そろそろかもしんないよ」

「おお」


 赤ん坊が立って歩くようになるのに備えて、いろいろ助言された。

 その一つとして、野兎の革で靴を作ってもらえるようヨッヘムに依頼する。

 村でちょっとした物作りについては、ヨッヘム爺とその弟子に当たるマヌエルがほとんど請け負っている。

 現在は革加工などの細かい作業をヨッヘム、鉄製品の修繕などをマヌエルが担当しているとのこと。本格的に鉄の石を原料とした鍛冶職人のような加工技術まではないが、折れた鎌を打ち直す程度の作業はできるらしい。

 家の新築や修繕などの大仕事はこの二人が中心となり、男衆全員が力を合わせて行う。

 他に、衣類などはお下がりの直しを女衆に頼むこともできるが、雪のない期間二ヶ月に一度程度巡回してくる行商人から古着を買うことの方が多い。


 その行商人の一行が、数日後に現れた。

 南の街道に牛車が見えた、と子どもたちが歓声を上げて駆け出していく。

 街道の先に小さく見えてきたひと固まりが、徐々に近づき大きさを増してくる。ちょっとした小屋ほどの大きさの屋根付き荷車を、成人女性を超えそうな体高の巌牛いわうし二頭に引かせているらしい。

 巌牛は名前の通り頑健な体格で、動作は緩慢だがとにかく力が強い。性格温厚で草さえ食わせていれば柔順に従う、ということでこうした荷物運びに重宝されている家畜だ。

 高さのある荷台の両側に、男が三人徒歩で並んでいる。

 中年男とそれよりかなり若いのが商人で、前もって聞いている通りならもう一人はカモソーレ教会の神官のはずだ。初老の男はそれらしく、薄茶色のローブのようなものを纏っていた。

 家並みに差しかかるところで、村の側からホラーツが前に出た。


「やあ、よう来なすった、エッカルトさん」

「おおホラーツさん、今年も無事春を迎えて、何よりですな」


 エッカルトは領都ウェッセルに本店を持つ商会の幹部で、北方面の行商を担当しているのだという。雪のない季節には二ヶ月に一回程度の頻度で、領都の北西から東回りに十箇所くらいの村々を巡って歩くとのこと。

 このドーレス村は領の最北の位置どりで、その行脚日程の中間頃に当たっているらしい。

 それぞれの村で生活用品などを商い、各所の生産品を買い取ったりしているようだ。

 まずは一服しなさい、とホラーツはエッカルトと神官を自宅に招いた。もう一人の若い商人は商売の準備をするという。

 ロミルダとライナルトも同席するよう言われ、後に従う。

 ホルガーとヨーナスは他の子たちと遊んでいるが、イェッタは父親に抱かれた恰好できつく腕を掴んで放そうとしないので、そのまま村長宅に連れていった。

 四人で囲炉裏を囲んで座り、ロミルダが茶の支度をする。

 ライナルトは村長から、この冬から村に住んで害獣狩りの指揮をしている元魔狩人、と紹介された。


「この春も山から下りてきた害獣退治で、ずいぶん助けられたのさ」

「そうなんですかい。たいしたものだ」


 神官は、シュテファンと名乗った。

 かねてからライナルトも承知しているが、こうして神官が行商人に同道するのはよくある習慣だ。

 カモソーレ教会の方針でこうして定期的に村などを回り、必要に応じて婚儀や葬式などを執り行う。死亡者が出た場合埋葬までは村で済ませて、回ってきた神官に祈りを上げてもらうというのが一般的になっている。

 また神官は専門家ではないが医療の知識も持っていて、村人の健康相談にも乗っている。

 そうした巡行に当たって、商会と契約して行商に同行するのが安全面などで望ましいのだ。

 とにかくもまずこの商人と神官相手に情報交換を行うのが、村長の目的らしい。


「何か変わった噂は、他で出ていませんかね」

「ああ」茶を一口して、商人は頷く。「こちらでもそうなんじゃないですかね。今年はどうもあちこちで、獣たちの動きが活発なようだ」

「やはりかね。エッカルトさんが回ってきたのは西の側か。例年より害獣被害が多くなっていると?」

「そう。猪なんかに植えつけの済んだ畑を荒らされたって話が、ずいぶん出てますさね」

「こっちも同様さ。猪や熊なんかは予めある程度ライナルトたちに狩ってもらったんだが、今まで見たことのない小鬼猿って魔獣が現れた」

「小鬼猿?」神官がやや目を丸くした。「名前は聞いたことがありますが、実際こっちで出没した話は初耳ですな」

「俺も、こっちでは初めて見た」ライナルトも頷き返す。

「群れを成して、熊などよりも凶暴さでは上回ると聞きます。こちらの被害はどうだったのですか」

「幸い、ライナルトと村人たちの協力で、おおかた退治できました」

「それはよかった」

「しかもさらに驚く話もあってな、他の村にも注意喚起してもらいたいんだが」


 村長が、商人と神官の顔を見回した。


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