42 回生と始末

 朗々とした雄叫びを上げ、大猿が太い棒を振り上げる。

 これまでになくしっかり足を止め。余裕をもって獲物を観察するような表情。

 ほぼ勝利を確信し、一撃を確実に落とすべく、ただ相手の逃げる先の予測だけに集中しているようだ。

 いっそう腕が振り上がり、巨大な全身の筋肉を引き締めて、静止する。

 やや赤らんだ皺の寄る大きな顔で、両眼がぎりりと睨み見据えてくる。

 これを、待っていた!

 心中、ライナルトは快哉を叫んだ。

 瞬間、肩越しにイェッタが小さな手を伸ばしてきた。


「オータ!」

「おお!」


 刹那。

 一瞬も視線を逸らさない先、大猿の醜怪な顔が、ぼやけた。

 そこへ向けて、ライナルトは魔法を放った。


 グワアアアアーーーー!


 ひときわ大きく咆哮し、猿の手から棒が落ちた。もう一方の手で顔を覆い、腰が屈められ。


「イェッタ!」

「あい!」


 背中の娘が手を伸ばし、風の道を作る。それを目がけて、ライナルトは渾身の勢いで両手を振るい、火を飛ばした。


 グワアアアーーー!


 顔を覆った手の隙間に赤い炎が炸裂し、一瞬の仰け反りの後、大猿は両膝を地面に落としていた。

 素速く、ライナルトは起き直った。

 猿の巨体の脇を抜け、地面に落ちていた大剣を拾い上げる。

 無防備に背中を曝し、敵は前屈みに顔を押さえて呻いている。

 その背へ向けて、殺到。

 全力と全体重を乗せて、首の後ろに剣を突き立てる。


 グワアアアアーーーー!


 今度は硬い表皮を貫いて、剣の長さ半分ほども肉の中に埋もれていた。

 おそらくは急所になるだろう延髄の付近を貫かれて、巨体にびくびくと痙攣が走った。

 やがて、その動きも静まっていく。

 剣を抜き、ライナルトはその場を一歩下がった。

 後方から、ケヴィンとイーヴォが駆け寄ってきた。


「やった、のか?」

「ああ、もう息はない」

「凄え、ライナルト、凄えぞ」


 英雄の背を叩こうとして。イーヴォは背負われた赤ん坊に気づき、目標を変えた。逞しい二の腕に、思い切りバンと掌を打ち当てる。


「やったぜ、これで村は救われた」

「そうだな」


 三人、汗まみれの顔を見合わせ、疲れた笑いをつき合わせていた。

 そのまま、申し合わせたかのようにべたりと、揃って地面に座り込む。

 はあはあと、息の弾みが収まらない。

 傍らに剣を落として、ライナルトはその手首をもう一方の手で掴んだ。


「手の震えが止まらねえ。こんなのは初めてだ」

「間一髪ってやつだったもんな。魔狩人をしていたライナルトでも、こんな危ない経験はなかったか」

「まあ、そうだな」

「剣を手放しちまってどうなるかと思ったが、最後には魔法が効いたわけだな」

「ああ、そういうことになる」


 二人の口々の問いに応えながら首の後ろに手を回して、ライナルトは肩に凭れる娘の頭を撫でた。


「イェッタにも助けられた」

「あの、風魔法を使うってやつかい」

「凄えよなあ、本当に。こんな小さな赤ん坊で、父親の役に立ってるなんてよお」

「おう、自慢の娘だからなあ」

「はは、親馬鹿だなんて笑い飛ばす気にもなれねえなあ」

「まったくだ」


 笑い合う、その声にもまだ力が戻らない。

 大きく息をついて、これもまた申し合わせたように三人の目は魔獣の大きな死骸に戻った。


「これも早く始末しないと、熊なんかが寄ってくるかもしれないな」

「ああ、魔核を取り出して土を掘って埋めなきゃ、だな。少し休んでから、作業しようぜ」

「いやそれなら、他の奴も呼んで手伝わせようや。魔獣退治は終わったと安心させなきゃいかんし、俺が村へひとっ走りしてくるわ」


 ライナルトの言葉にイーヴォが頷き、ケヴィンは腰を上げた。

 それへ、ライナルトは言い足した。


「それなら村長むらおさやその他、来れる者には来てもらってくれ。このでかい奴、一度は見ておいた方がいい」

「そうだな、また同じようなのが出てこないとも限らんからな」

「だな」


 頷き合って、ケヴィンは速歩で後ろの藪の中に分け入っていった。

 見送って、ライナルトは地面に胡座をかいたまま、まだ動き出す気力も戻らない。

 肩に額を置いて、イェッタはすうすうと寝息を立て始めていた。

 生まれて初めてというほどの緊迫した経験に、心身ともに疲れ果てたのだろう、とそっとその頭を撫でてやる。

 微笑ましくその様子を眺めながら、イーヴォはふと気がついたように口を開いた。


「ようやく落ち着いたところで思い出したんだがな、その大きな猿魔獣、去年村に下りてきた奴かもしれねえ」

「去年村に下りてきた――って、あの一家皆殺しにされたってときのか」

「ああ、まだ朝早く暗いうちでさ、悲鳴みたいなのを聞いて俺とあと何人か、見に行ったのさ。そしたら相手はもう山へ帰るところだったみたいで、遠く影みたいに見えただけだったんだがな。それでも二本足で、人より少し大きいぐらいなのが分かった」

「それがこいつだったって言うのか」

「ああ。二本足ででかいのって、他に見たことはないしな。体つきもこいつと似た感じだったと思う。ただ正確なところは分からんが、今のこいつより少し小さかった気もする。一年経って成長したのかもしれんわな」

「まあ、あり得るか」

「そいつを見たすぐ後に一家揃って食い殺されているのを見つけたわけだから、そっちはもう半分頭から飛んじまったんだが」

「無理もないな。こいつがそのときの奴だったっていうんなら、一安心なんだが。同じようなのが他にまだ何匹もいるとしたら、大変な話だ」

「だよなあ」

「まあ、小鬼猿の仲間にこんな大きなのがいるなんて、今まで聞いたことがないからな。突然変異みたいなことで、この一匹だけ大きくなったってことも考えられる。とにかくもうしばらくは様子見で、警戒を続けることだな」

「ああ」


 しばらくそんな話をしていると、村の方角から人声が聞こえてきた。

 ケヴィンを先頭に、男女合わせて十人以上が続いてくるようだ。年寄りと子どもを除くほぼ村人全員に近い。

 林を出て現場を目の当たりにし、ホラーツが目を丸くした。


「こりゃあ凄え。見たこともないでかさだ」

「だろう? ほらおい、俺の話大げさじゃなかっただろう」

「本当だなあ」


 ケヴィンが自慢そうに村人たちを見回し、一同から感嘆の声が返る。

 仲間たちに対してイーヴォが戦闘のあらまし、加えてこいつが昨年目撃された魔獣なのではないかという想像を話す。

 やはり一同は、感心しきりという顔で聞いていた。

 その後は全員で手分けして、魔獣を解体して魔核の取り出し、死骸を埋める穴掘り、といった作業を進めた。

 大猿の魔核はライナルトでさえ今まで見たことのない、両手で包んで掌に余るほどの大きさだった。「これはライナルトがもらっておけ」と、ホラーツが手渡してきた。

 残りの小さな猿魔獣たちの魔核は、戦闘に参加した面々で分けることにする。

 この魔獣は肉も食えそうにないし、毛皮は硬すぎてはぎとりも困難そうだ。結局死骸の利用の当てはなく、魔核しか価値はないと思われる。

 苦労した割に得られるものは少ないが、とにかくもこれで村を襲われる危険が減ったということなら、喜ばしい。

 そんなことを言い交わして、みんなで笑顔を見合わせていた。


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