32 随行と試行

 村人五人への剣の稽古としてひたすら素振りばかりを半月ほど続け、少し型が安定してきたところで魔法の練習も加えることにした。

 この頃にはある程度左腕も使えるようになってきたので、明日から他の者が農作業をしている午前中、森に入って獣の様子の監視を始める、とライナルトは仲間たちに告げた。

 それならイェッタちゃんは昼前からこっちで預かるね、とロミルダが言ってくれたのだが。

 翌日、ライナルトが森行きの支度を始めると、娘は背中にへばりついて離れようとしないのだった。

 無理に下ろそうとすると、ヒックヒックと泣き始める。


「参ったなあ。今日は森に行くから、一緒にいられないんだ」

「いく」

「いくって――」

「エッタもいく」

「一緒に連れてけってのか。いや、危ないから」

「あぶないとこ、オータ、いっちゃらめ」

「いや――」


 涙混じりに言い募る赤ん坊に、説得の言葉が浮かばない。

 これほど頑固にへばりつこうというのは、初めて託児所に預けられた日と、ライナルトが負傷して戻った日くらいか。

 あの負傷の日以来の森行きと聞いて、恐慌を抑えられなくなっているのか。

 父なら大丈夫だ、子どもを連れていくには危ないんだ、という区別を説明するには、赤子相手に表現が思いつかない。

 うーん、と唸ってしまう。

 この日は、仲間たちと狩りをした場所ほど深くに入るつもりはない。村のすぐ外を一回りして、獣たちが近づいていないかを調べるのが目的だ。

 それを考えると、赤ん坊をおぶっていてもさほど危険はないかもしれない。

 考えて。どうしても娘の泣き顔には逆らえない、自分の現状を思い知った。

 負った上から毛皮の上衣を羽織って、剣と弓矢を装備する。

 村長の家に寄って事情を話すと、ロミルダはあからさまに呆れたという顔を返してきた。

 仕方ないねえ、と立ってきて、毛皮上衣の具合を確かめてくれる。


「イェッタちゃんの顔、寒くないかねえ。今日は少し暖かいから大丈夫か」

「頬が冷たくならないように、気をつけてやるさ」

「くれぐれも気をつけるんだよ。まあライナルトも、この恰好だと無茶をしないだろうしねえ」

「あい」

「分かってる」

「あらあら、イェッタちゃんの方が先に返事しているよお」


 笑って、ライナルトの右腕を叩いてくる。

 苦笑で礼を言い、ライナルトは外に出た。

 自宅の前を過ぎ、家並みが途切れる。畑の間を抜けて川沿いに出ると、初めてこの辺まで来たことになるイェッタがしきりときょときょと見回している様子が背中から伝わってきた。

 川に沿ってしばらく登り、水辺に板で足場をしつらえた場所に出た。

 とうとう我慢できなくなったという勢いで、小さな手が肩をぽんぽん叩いてくる。


「なに、なにあれ」

「うん? あの足場か」

「あしば、なに」

「ここが村の者みんなの水汲み場だからな。水汲みしやすいように、板で作ってあるんだ」

「ふうん――みじゅくみ……」


 さらに分からないことを畳みかけてくるのかと思うと、声を収めてしまっている。

 何というか、もっと広くを見回している気配。

 まるで何かさらに深く考えているみたいで、どうにもこの赤ん坊のやることは想像に余ってしまう。

 先へ足を進めながら、その都度娘が満足するように説明をしていくことにした。何処まで理解するかはともかく、話しかけるだけでもある程度機嫌をとれるだろう。自分自身、何と言うか心楽しい成り行き予想も否定できない。

 広い畑を囲むように立てられている高さ一・五ガターほどの木の柵を指さし、「獣たちが畑に入らないように、これで護っているんだ」

 柵の途中に設けられた木戸を開いて森に入り、「この森を抜けると山に続いていく。その辺から、獣たちが多くなってくるんだ」

 森の中、細い道が分かれている箇所に来て、「真っ直ぐ進むと山に入る。今日はそっちに行かず、森の浅いところを回って獣がどの程度いるか調べる」

 そんな話しかけに、娘は「あいあい」とそこそこ機嫌よさげな声を返してきた。


「村のみんなは、無事作業を進めているな」

「うん」


 進みながら折々、木の間から村中むらなかの様子が覗けてくるところがある。

 天気もいいのでほとんどの村民が畑仕事に出ていて、小さな子どもも親の周囲を走り回っている。

 村長と嫁、ヨッヘム爺とロヴィーサ婆の家では比較的家々に近い小さな畑を作っているそうで、ここからは遠く見えていない。

 他の、ようやく顔を覚えてきた村人たちは、何とか判別ができる距離だ。

 あの人々の生活を護るのが自分に課せられた使命だ、とライナルトは弓を握る手に力を込め直す。


「ん?」


 まだまばらな藪の中に、カサリと動くものの気配があった。

 三十ガターほど先、茶色がかすかに覗きよぎったのは、野兎か。

 素速く弓を構え、矢を放つ。

 キュン、と声を上げ、小動物が躍り上がった。そのまま落下、やがて気配が消える。


「かり、できた?」

「おう。野兎一羽、だな」

「しゅごい」


 獲物を拾い上げようとしていると、さらにまた気配があった。

 顔を上げると二十ガターほどの距離、黒っぽい野兎が駆け抜けていった。

 弓を上げかけ、ライナルトは手を止めた。


「間に合わない、な」

「はやいの、だめ?」

「弓を構えて射るには、時間が足りない」

「じゃあ、はやいの、むり」

「魔法なら、間に合ったかもしれんが」

「ほんと? みたい」

「やってみるか。次、同じくらいの距離で見つけたらな」


 それからしばらくは、動物との遭遇もなかったが。数十ミーダ(分)も経ったかと思われる頃。

 ガサ、と藪が音を立てた。

 二十ガターほど先、茶色の毛並みが覗いた、と見てライナルトは手を上げた。指先に膨らむ火球を、素速く飛ばす。

 小ぶりの野兎頭部に命中、と見るや、ライナルトは草を踏んで駆け出した。

 駆け足を止めてふらついていた野兎が慌てて身をひるがえそうとする、その頭部に抜いた剣を走らせる。斬るというよりは脳天を殴りつける一撃に、小動物は悶絶した。

 改めてその首を斬って止めを刺し、さっきの獲物とともに川へ運んだ。


「見ない方がいいぞ、気持ち悪いかもしれん」

「だいじょぶ」


 背中の子どもを気遣いながら小刀を使い、二羽の獲物を解体する。

 予想外に娘は気味悪がることもなく、黙ってそれを見ていたようだ。

 肉と皮を袋に収め、不要物を土に埋める。

 歩き出すと、イェッタは考える様子で問いかけてきた。


「まほう、だけじゃ、かり、できにゃい?」

「さっきの距離だと、火の魔法じゃあの程度、ちょっと足を止めるぐらいだな。もっと近くなら、魔法だけで動けなくできる場合もある」

「とおくなると、よわくなりゅ?」

「ああ。火だと特に、そうなるな」

「ふうん」


 相変わらず、赤ん坊相手とは思えない会話になるが。

 考え込む娘に、もう不思議とは感じられなくなっていた。

 その後、村と森の境を二往復し、さらに二羽の野兎を狩った。

 畑仕事の片づけを始めている村人たちに声をかけ、兎肉を配分する。笑顔で、人々は礼を言って受け取っていた。


「じゃあライナルト、またすぐ行くから」

「おお」


 家に戻って少し休んだ後、また男たちが集まってくる。

 子どもたちは、ロミルダのもとに集められる。

 今日も天気がいいので、外で剣の稽古と見学になった。

 イェッタは木箱に座らされて、妙に熱心に男たちの魔法の練習を見つめている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る