30 点検と実験

 翌朝早くライナルトが外に出ると、ロミルダの話の通り、小ぶりの桶が家の前に積まれていた。

 ガタガタと四つの桶を横並びに広げて確認していると、三軒先のマヌエルの家から少年が欠伸しながら出てきた。そこの長男、コンラートだ。


「ふぁーー、ああおっちゃん、お早う」

「おお、お早う。大丈夫、目は覚めてるか?」

「今、覚めた。まだ朝は風が冷たいなあ」

「だな」

「水汲みだろう? 手伝うから」

「おお、助かる」


 寄ってきた少年と桶を二つずつ分け、天秤棒で肩から背に負う。

 まだ軽い桶を気楽に下げると、少年は先に立って歩き出した。


「いつもは大きな桶で、一人で運んでるんだって? 一軒の分にしちゃ多いんじゃないの。赤ん坊がいるからか?」

「いや、半分はヨッヘム爺とロヴィーサ婆の家の分だ。あの夫婦には世話になったんでな。今日も、コンラートが汲んだ分はあの家に運んでくれるか」

「ああ、あそこ年寄りだけだからなあ。って言うか、あのじいばあに世話になったっての、俺や親父だって同じだぞ。おっちゃんだけでやるこっちゃない」

「そうか」

「気がつかなくて悪かったよ。今日からずっと、俺が受け持つよ、これは」

「そうか。まあ爺さんたちもコンラートみたいな馴染みの若者が親切してくれる方が、嬉しいかもしれんな」

「おう」


 いつものようにそこそこの道のり、傾斜を登って水を汲む。

 重さが半分になったので、右肩だけに乗せてほとんど痛みなどを感じることもない。

 年寄りの家に運ぶコンラートとは、家の前で別れた。

 中では、まだ娘が気持ちよさそうに寝息を立てていた。


 この日から村の者たちは畑仕事に出ることになっている。まだ少し雪の残る畑の土を、掘り返す作業から始めるのだそうだ。

 当初ライナルトはその間に山の方を見に行く予定を立てていたが、怪我のため数日先延ばしすることにした。

 娘に乳を飲ませ、ロミルダが届けてくれたパンで朝食を済ませ。後片づけの後は、とりわけすることがなくなっていた。

 イェッタはしばらくはいはいで歩き回り、その後は土間の近くに座ってまた魔法を試している。

 水球を作ることができたら次にはもっぱらそれを飛ばしたくなりそうなものだが、この娘はそのまま球をひねくり回して形を変えたりしようとしているようだ。

 何をしようとしているのか、どうにも分からない。

 とは言え、そんな分からない行動をするのが小さな子どもの常なのだろうと思い、ライナルトはそのまま放置して見守りだけを続けた。

 その傍ら、片手だけでできる作業ということで、愛剣を抜いて剣肌の状態を確かめ、布で拭う手入れを行う。少しヒビでも入っていたら自分の生命に関わるのだから、真剣にならざるを得ない。

 剣先に目を近づけていると、不意に周囲がやや暗くなった。外で、一時的に陽が陰ったらしい。

 ほとんど条件反射で、指先に光を生んで剣への凝視を続ける。

 観察を終えて一度顔を上げると。少し離れて娘がこちら向きに目を丸くしていた。


「……ひかり?」

「あ、おお――今のか? 光魔法だ」

「へええ」

「あまり広くを明るくできないが、こんな手元だけを照らすくらいなら便利に使える」

「ふうん」


 頷いて、自分の指先を眺め出した。

 両手の指を見比べ、それから「ひかり」と呟く。

 しかし、何も生まれない。


「ふうん、イェッタは光の適性はないかな」

「むう――」


 もう一度両手を見比べ、頬を膨らませている。

 そうして恨めしげな目を上げ。


「あと、かじぇ?」

「ああ、残る適性は風だな」

「かじぇ――」


 また自分の両手先を見比べ、呟く。

 それから、さらに妙な表情になった。

 立てた右手に目を凝らして「かじぇ」と呟き、左手をその周囲に回してみている。

 剣を鞘に戻して、ライナルトは声をかけた。


「どうした?」

「わか、んにゃい」

「風は目に見えなくて分かりにくいが、それこそ風が吹いて感じられないなら、適性はないんじゃないか」

「でも、なんか……」

「なんかって、何だ」


 膝立ちの姿勢で、娘の傍に寄る。

 大きな掌を赤ん坊の手に近づけた。「かじぇ」という呟きの後。

 何か、動いて感じられた、ような。


「何だ、こりゃ。もう一度やってみろ」

「ん――かじぇ」


 確かに、何か感じられる。

 しかし、風が吹くと言うよりは、空気が押してきているというような。

 ううむ、と頭を捻ってしまう。

 イェッタも、首を傾げて。


「もしか――みじゅのたまと、おなじ?」

「何だ?」

「たま、ふくらました、だけ」

「ああ、そうか。風、と言うより空気の球みたいなのを膨らませただけ。まだ飛ばしていないから、風にならないと」

「うん」

「じゃあ、飛ばしてみるか」

「うん」


 ゆっくり手を構え、水のときと同様に水平に振る。

 その先に、ライナルトは掌をかざしてみた。

 わずかに、空気の動きは感じられた、か。

 しかしどうにも、魔法の成果という確信は持てない。


「うーん、よく分からんな。たぶん風だと思うが、断定できない」

「そ」

「水もまだうまく飛ばせないんだから、それと同じなのかもしれん。しばらく見てみないと、分からんな。練習次第ってことかもしれんが、あいにく風適性の奴の練習方法を見たことないから、何と言っていいのか分からん」

「ふうん」

「それでも、イェッタも二つの適性がありそうだってことだな」

「うん」

「しばらくは練習するにしても、水の方が分かりやすくていいんじゃないか。それでそのうち、風の方も同じようにって要領を掴めるかもしれんぞ」

「うん」


 姿勢を戻しかけて。赤ん坊は、腕を組むような格好になった。

 首を傾げて、しばし考える様子。


「ひかり……」

「何だ、光魔法か?」

「うん。とおく、できりゅ?」

「遠くへか? こんな感じか」


 右手を上げ、ライナルトは指を戸口の方へ向けた。

 細い光が照射され、扉板に直径三百ミター(ミリメートル)ほどの丸い明るみが描かれる。それも十ミン(秒)ほどでぼやけて消えた。


「こんなこともできるな」


 指を差し向けると。土間の上の空中に、ぽやんと小さな光が点った。それもやはり、十ミン(秒)ほどで消える。

 仰ぎ見て、へええ、と娘は唸った。

 一通り、火や水と同じようなものだ。指先に生み出して少し先へ投げつけることもできるし、やや遠方に直接出現させることもできる。光の場合投げつけるのではなく、方向を決めて照射するという感覚になる程度の差か。

 何度か首を傾げ、イェッタは父の顔を見て、指先を戸口と往復させた。


「もっと、ほそく、できりゅ?」

「細く照らすのか?」


 右手を上げて、何とか試みる。

 精一杯念じて、扉に描かれる円形は直径二十~三十ミター程度になった。


「これが限界だな」

「うん」

「たいした違いがあるわけじゃないが」

「あかるく、なるよね」

「ああ。照らされたところだけなら、細くした方が明るくなるな」

「うん」

「獣の目とかを狙うなら、この方が効き目があるかもな。どっちにしても、一瞬びっくりさせる程度だろうが」

「だね」


 しかしなあ、とライナルトは改めて首を捻った。

 まだ立つこともできない赤ん坊と、何でこんな、まるで意味が通っているかのような会話が成立しているんだ。

 数日前から何度目かの疑問だが、やはり首を振って深く考えないことにする。

 わけ分からない。

 しかしそれで、何か不都合が生じるわけでもない。

 何よりも、まるで娘と意思が通じているようで、心楽しくなってくるようだ。

 何度か頷いて、イェッタは水魔法の自主練習に戻っていた。

 さっきと同じように、また生み出した水球の変形に熱中しているようだ。

 何を考えているやら、分からない。


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