19 質問してみよう 1

 家に入って、昨日と同じくあたしは籠の中に下ろされることを拒絶した。

 同じ室内で姿が見えているとはいっても、父と離れることが不安で堪らない。

 苦笑のような困惑のような、複雑な顔で父は寸時悩む様子になり。籠の中のあたしに向けて、片手で拝む形を作った。


「悪い。ちょっとだけ、待っててくれ」

「うーー?」


 不満で口を尖らせたけれど。何か理由があることだけは、理解した。

 よく見ると、父の着た毛皮はあちこち泥や何やで汚れている。とりわけズボンのお尻がすっかり泥まみれ、まだ濡れているんじゃないかという色合いだった。

 雪の融けかけ地面に、尻餅でもついたのだろうか。

 何だか情けない顔で、父はそうした衣類の着替えを始めていた。

 武士の情け、ということでそちらを見ないことにする。

 着替え終わると約束通り、また抱き上げてくれた。

 昨日使った布道具で、あたしをおぶった形に固定する。

 そうしてようやく家事を始めることができる、という様子だ。

 調理台に木の器を載せ、床の大きな容器から水を汲む。


「わーー、うーー」


 そんな動作の合間に、あたしは目の前の硬い肩を叩いた。

 まちがいなく作業の邪魔だろうけど、目的には換えられない。この日からは、もう一つ企てていたことがあった。

 何しろこの昼間に、「父ちゃん」と同じくらい強力な秘密兵器を獲得していたんだ。


「――なにこえ、なに――」

「うん?」


 必殺「何これ」攻撃だ。

 あの託児所で、小さな子どもが何度も口にしていた。

 その言葉を獲得ゲットして、あたしは会心の思いだった。


――これは、使える! 活用するべし!


 思うように口が回らない身ではあるけど、この程度は発音できる。鸚鵡返しはできなくても、言葉の記憶はできる。

 これを使いまくれば、あたしの所有語彙は飛躍的に増加するはず。

 一歳にならない赤ん坊がそんな言葉への興味を示すものか、と怪しまれそうだけれど、今後に向けての利益を考えるとそんなこと気にしていられない。


「なにこえ?」

「ん、これか? コップだ」


 意外と疑問を持つことなく、父はあっさりと教えてくれた。

 うんうん頷き、あたしは大きな肩越しにさらに手を伸ばした。

 木のコップ、その中身に指を向ける。


「なにこえ?」

「これは、水だ」


 水自体はそれと分かっているけれど、これでこの世界の「水」に当たる言葉を知ることができた。

 そんな問いと答えをくり返す。

 嫌がるかとも思ったけれど、こんなやりとりに父は楽しそうに応じていた。

 そうしながら、竈に薪を入れ、手を差し向ける。

 薪に載せた木の皮に、ぽう、と赤く火がともる。

 興奮して、あたしはぽんぽんぽんと続けて肩を叩いた。


「なに、なにこえ」

「このでかいのが竈、中に置いたのが薪、赤く燃えてるのが火、だ」


 ひとつずつ、指を差して教えてくれる。

 それはそれで助かるのだけれど、今のあたしの関心は別のものだった。

 ぽんぽん太い腕を叩き、手を上げさせてその指先に触れた。


「こえ、こえ、だした」

「ん? ああ、どうやって手を出して火を点けたか、か。火の魔法だ」

「まほ?」


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