第45話 出て行けっす!
勝ち誇ったような笑みを見せるが、天川の手汗はひどかった。よく見れば顔も大量の汗をかいており、尋常じゃないことが分かる。
「だ、大丈夫か?」
「え、ええ。ありがと」
俺の手を取った天川をベンチに座らせる。
「救急車とか呼ぶか?」
「大げさよ、このくらいで」
そう笑ってみせる彼女の表情は苦しそうだった。
「でも、ちょっと辛いかも。キスして?」
「バカを言う気力はあるみたいで安心したよ」
「うん、元気よ。島崎くんの名誉も守れたことだし」
「……同じことがあっても、こんなことはもうしないでくれ。俺は何言われたって気にしないから」
「それでも私が納得いかないの。だからそのお願いは聞き入れられないわね」
こうなった天川は言うことを聞かない。意志の強さの塊の彼女だ、しょうがない。
「なんで生理の薬だなんて嘘ついてたんだ?」
「だって……」
そうバツが悪そうに顔を逸らすと、ポツリとつぶやいた。
「大好きな人にかっこ悪いところ見せたくなかったの」
いかにも天川らしい理由だった。
それと同時に、俺たちは似ているのかもしれないと思う。
俺も恵莉奈の前で弱みを見せたくなくて別れてしまった。そういう意地っ張りなところは俺と天川の共通点だろう。
「等価交換ってわけじゃないんだけど」
天川は遠慮がちに視線を向けてくる。
「島崎くんが筆を折った理由、教えてもらえるかしら?」
心臓が跳ね上がった。それと同時に額と、手のひらに大量の汗が噴き出す。
背中に悪寒が走って、末端が冷え始める。真夏なのが嘘かのように寒気がする。
「できれば知りたいなって思うのだけど……ダメ?」
義理を通すならならば教えるべきだ。
天川は俺のために辛い思いをしたし、彼女が筆を折ったことも、その理由も知ってしまった。だから、ここで話すのが道理だ。
「あなたと、弱さも共有できたら……私も頑張れる気がするから」
それでも、あの頃を思い出すだけで一気に吐き気がしてくる。頭が割れそうな頭痛に襲われる。
最近は症状も和らいできていた。
だが、先ほどの天川と自分を重ねてしまったせいか、発作がでてしまったのかもしれない。
景色がぐるぐると回転し始め、強烈な目まいに襲われる。
「し、島崎くん⁉」
耐え切れなくなった俺はベンチから倒れ込んで、嘔吐してしまう。
久しぶりに喉で感じる苦みと不快感。その波が一気に押し寄せてくる。
なんとか、嘔吐を止めるも、症状は治まらない。視界が揺れて、平衡感覚がなくなる。
そんな俺の様子に動揺していた天川だったが、馴染みのある声が聞こえてきた。
「いたっす! 師匠!」
その声の主は恵莉奈だった。
白いパーティドレスに身を包んだ彼女が俺のもとに駆けてくると、いつも通り背中をさすって、エチケット袋に嘔吐を促す。
「大丈夫っすよ、師匠」
優しい声に安堵する。
しばらく背中をさすってもらうと、症状も収まってきた。
「な、なんで……恵莉奈がここに?」
「あたしもパーティーに参加してたんす。でも途中で師匠がいなくなったから心配になって捜しに来たんすよ」
着信履歴を見れば。恵莉奈から何度かコールが入っていた。
「でも、なんとか間に合ってよかったっす」
そう安堵した恵莉奈だったが、きつい視線が天川を捉える
「天川先輩、師匠をこんなにしたのは、誰っすか?」
「……私よ。等価交換とか言って、筆を折った理由を聞いたから」
天川は事の経緯を恵莉奈に話した。
それを聴いた恵莉奈の声はよりいっそう冷え込んでいた。
「そうっすか。弱さを共有したいとか言って、自分の
「……そうよ」
天川は短く答えた。
「師匠は物語を作ろうとするだけで、いや、考えるだけでこうなっちゃうっす。それだけじゃない。本当は天川先輩といるのだって辛いんす」
天川の声にならない声が聞こえる。
それ以上言うな恵莉奈、そう念じても伝わらない。声を出そうとしても吐き気が止まらず、ひねり出すこともできない。
「師匠は筆を折ったことに負い目を感じてるっす。それを思い出すだけでも吐いてしまって、取り乱してしまうくらいに」
「じゃ、じゃあ私のしたことって……」
「悪気がないのは分かってるっす。でも」
静寂の都心。真っ暗闇の中で、恵莉奈のため息だけが聞こえる。
「あたしの見込み違いだったみたいっす。あんたみたいなやつに師匠を任せるべきじゃなかった」
真冬の豪雪のように凍てついた恵莉奈の声は今まで聞いたことのないものだった。
いつも明るくて笑顔の彼女ではない。むきだしの感情がそこにあった。
そして、恵莉奈は天川に向けて最後の通告をした。
「寮から出て行け! そして二度と師匠に近づくな!」
この日を最後に天川は寮を出て行った。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。
次から6章になります。
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