第38話 旅館はオンボロでも楽しめるからお得

 その晩のことだった。


 オンボロ旅館に泊まった俺たちは大浴場やゲームセンターを楽しんだ。


 昼間は海で遊んだし、充実した満足感に包まれて布団に入ろうかという時だった。

部屋の扉をノックする音が遠慮がちに響く。


「はーい、って恵莉奈?」


 扉を開けると、バスローブ姿の恵莉奈が立っていた。


 二度目の風呂に入ったあとなのか、しっとりと濡れた金髪をおろしており、いつもと違う彼女の姿に少しドキドキしてしまう。


「部屋入ってもいいっすか?」


「あ、ああ」


 とりあえず部屋に招き入れて二人でベッドに腰をかける。


 お値段それなりの狭い部屋ではソファーもなく、ベッドくらいしか座れる場所がないのだ。


「どうしたんだよ、こんな時間に」


「そ、その……」


 もじもじと内股になった恵莉奈は、ほおを紅潮させる。


「いっしょに寝たいなって……。ダメっすか?」


 甘えるような仕草と声色。そんな女の子を放っておけるほど薄情ではない俺は、恵莉奈といっしょにベッドに入った。


「気持ちいいっす~」


 ふたり分の狭さ、ふたり分の体温。そんな密着した距離が心地いい。


「師匠、あったかいっす~」


 珍しく恵莉奈から甘えてきて、正面から抱き着いてくる。


 風呂上がりのほてった身体は柔らかく、シャンプーのいい匂いがして、くらくらとしてしまう。


「お、おい、恵莉奈」


「いいじゃないっすか、師匠はフリーなんですし~」


 よく見えると恵莉奈の目はトロンとしている。すこし酒が入っているのかしれない。


「それに、この間は天川先輩といっしょに寝てたっす! ロリコン!」


「あ、あれは看病してただけであって、やましい関係ではなくてだな!」


「看病しててなんで兄妹プレイになるんすか!」


「なんででしょうねぇ!」


 冷静に考えると、俺も分からない。なんで?


 ぜったい他の選択肢もあったよね?


「同じ元カノとしてあたしも師匠と寝る権利があると思うっす!」


「仰る通りで……」


 これに関しては言い訳のしようがない。


 というか、毎度のごとくふたりには申し訳ない。


 甘えん坊な恵莉奈のわがままを聞くことにした俺は、そのまま抱き返す。


「えへへ、ありがとっす」


 ちょっと優しくしただけで、破顔する恵莉奈はじつにチョロすぎる。


 先輩として、彼女の将来が心配になるほどだ。


「そう言えば聞いてくださいっすよ~!」


 しばらく俺に抱き着いていた恵莉奈だったが、急に泣き出した。


「さっきロビーで天川先輩と飲んでたんすけど、またおっぱいでマウントとられたっす~!」


「お前ら、胸の話しかしないのか?」


「天川先輩が悪いんすよ~! いつもあっちから喧嘩ふっかけてくるんすから~!」


「でもまあ、ふたりは前より仲悪い雰囲気ないよな」


「うぅぅ、だって師匠は天川先輩といるの楽しそうっすから。そこまで邪険にするわけにはいかないじゃないっすか」


「つまり、恵莉奈自身はまだ納得してないと?」


「そりゃそうっすよ! あのおっぱいマウント漫画バカなんて認めないっす!」


 まあ、俺が恵莉奈の立場でも同じこと思うだろうしな……。


「でもそこまで俺に気を使わなくていいんだぞ? 恵莉奈の気持ちだってあるんだし」


「あたしの気持ちを考えてくれるなら……復縁してくれるっすか? また、彼女にしてくれるっすか?」


「えっ……」


 真剣な目で見つめられて言葉を詰まらせる。


 分かっている。本来ならそうするべきだ。


 でも、それはできない。まだ吐き気も頭痛も消えないのはもちろん、俺自身が恵莉奈の彼氏でいることを拒んでいる。


 彼女の望んだ師匠でいられるのか。そうでなかったら失望されるのが怖い。求められないのが怖いのだ。


「冗談っすよ」


 いつもみたいに茶化して笑う恵莉奈に胸をなでおろす。


 ぽかぽかと温かい布団に包まれる。


 小さい頃、お泊り会をした時にこうして一緒にベッドに入ったのを思い出す。


 あの時と同じだなぁ、そう感慨にふけっている時だった。


「失礼するっす」


 恵莉奈は俺の首筋に軽く歯を立ててきた。


 微かな痛みとしめっけがのこる。


「な、なにするんだよ」


「えへへ、マーキングっす。あたし、師匠と天川先輩が幸せになるのには反対しないっすけど、諦めてはないっすから」


「ああ、ありがとな」


 本当にありがたいことだ。


 俺を必要としてくれる人がいるという事実があるだけで、体の芯から温まる。


「恵莉奈の小説で主人公とヒロインがキスをして復縁するシーン、あれは俺とそうなりたいから……なんだよな?」

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