第34話 私が描く意味

「……っていうか、そのワックスムカつくのだけど?」


 ファミレスを出て、都心のど真ん中を歩く中、詩乃はジトっとした視線を向けてくる。


「ワックスにムカつくって何だよ……」


「だって、それ、隣のクラスの神原さんのでしょ?」


 どうやらそういう設定らしい。


「まあ、恵莉奈とは幼馴染だからさ。今朝、セットを手伝ってもらったんだよ」


「……ちょっとこっちきて」


 心なしか足早の詩乃に引っ張られてやって来たのはフットサルコートだ。都心のど真ん中にあるコートで、休日ということもあって結構ひとがいる。


 だが、もちろんサッカーをしに来たはずもなく、蛇口が並ぶ場所に来ていた。


「ほら、しゃがんで」


「お、おう」


「頭下げて」


 言われるがままにすると、詩乃は蛇口をひねって俺の頭に水をぶっかけ始めた。突然のことに驚いている間もなく、彼女は俺の髪を弄り始めた。


「な、なにするんだよ!」


「ムカつくからワックス流してるの」 


 少々怒っているのか、かなり手つきが荒い。


 でも、痛いということはなく、さっと洗い終える。


「これでよし!」


「お、おう?」


 今度は満面の笑みの詩乃に混乱しつつも、ふたりでベンチに腰をかける。


「頭ふいてあげるから、ちょっと頭下げて」


 彼女はスクールバックからタオルを取り出して、俺の頭を優しく拭いてくれた。


「なんであんなことするんだよ。せっかくセットしたのにボサボサじゃないか」


「今までワックスなんて使ってなかったから別にいいじゃない」


「いや、でもデートだしさ。身だしなみには気を使った方がいいだろ?」


 まあ、恵莉奈にやってもらった俺が言うセリフではないが。


「……他の女のにおいがするくらいなら、ボサボサ頭のダサい潤一郎くんがいい」


 俺の言葉を遮るように、詩乃はぽつりとつぶやいた。


「あなたとデートしに来たのに、なんで他の女の匂いがするのよ、バカ……」


「ごめん……」


「デートなんだし、私だけを見てほしいの」


 詩乃の言うことはごもっともだった。


 俺は自分のカッコウだけ気にして、彼女のことを何も考えていなかった。詩乃を傷つけてしまったのだ。


「でも、ちゃんと今日きてくれたから許してあげる」


 一転して詩乃は微笑んでくれる。


「あなたとデートするのが一番大事なんだしね」


「相変わらず感情のジェットコースターなんだよなぁ」


 その後は、機嫌を直してくれた詩乃と雑談を続けていた。


 この間の体育祭のこと、秋の学園祭のこと。すこし気が早いけど修学旅行のこと。はやりの動画やアニメ、楽曲の話なんかもした。


 そんな高校生カップルがしそうなことをして、時間が過ぎていく。


「……これでいいのかな? ちゃんと高校生カップルっぽくなってるか?」


「すこし微妙かもだけど、うん。とても楽しいわ。今日はそっちの方が大事なの。あなたとのデートだから」


 日も少しずつ傾いてきて、夕陽を逆光で受ける天川。


 そんな中でも彼女の顔ははっきり見えた。


「なんで詩乃はそこまで創作に打ち込むんだ?」 


 ずっと聞きたかったこと、聞けなかったこと、避けていたことだった。


「休日を使ってのロールプレイングデートにしたって、普段の生活だってそうだしさ」


「好きだから。それだけじゃだめ?」


「それだけなら、その答えでいいよ」


「鋭いのね」


 困ったようにわらった天川は空を仰いだ。


 まだ青空が広がっているが、徐々に夕焼けに染まっていく。


「しいて言えば、そうね。自分を手に入れるために漫画を描いてるのかもしれないわね」


「それってどういう……」


「私の両親は漫画家なの。お母さんが『謎の作画S』、お父さんが『謎の原作M』なんだけど」


「そのひと知ってる! 超有名漫画家じゃん!」


 累計発行部数は八千万部を超える有名人だ。


 数々のヒット作を生み出しており、アニメ化した作品が何作もある。


「そう、すごく有名なの。私が物心ついた頃には業界でもそれなりに有名人で、小さい頃から両親の知り合いの漫画家に囲まれて育ったわ」


 その環境は素直に羨ましい。


 だが、天川の顔は苦々しいものだった。


「才能の差に打ちひしがれることもあった。どんなに頑張っても両親や、小さい頃から見てきた作家のようにはなれないから」


「それが漫画を描く理由か?」


「ちょっと違うわね」


 天川は空を見上げていた視線を下すと、まっすぐ前を見据える。


 その視線の先では子供たちがサッカーをしており、活気のある声が響いていた。


「私は漫画を描き始めてすぐにプロの真似をしようとしたの。可愛がってくれる人もいたし、すぐに上手くなると思ってた」


 そして実際にうまくなった。


 プロに教えてもらって、プロの真似をして、プロの漫画家になった。


「でもデビューした私は、天川詩乃じゃなくて、有名漫画家の娘として扱われた。七光りだとか、あいつらの遺伝子を受け継いでるはずなのに大したことないとか」


「でも天川は努力してる。ダイエットだって、ヴァイオリンだって、漫画だってそうだ」


「ええそうね。でも世間の人間の大多数はレッテルで人を判断する。私個人を見てくれない」


 それがものすごく苦しかったのだという。


 まるで重りを着けられて海底に沈んでいくような、そんな息苦しさ。その中で足掻いているなんて想像もしなかった。


「ねえ、私の漫画読んだことある?」


「ああ、一冊だけな」


「どう思った?」


「よくまとまってる。さすが月間連載するだけはあって、流行りもよく押さえてる」


「それだけ?」


 俺の瞳を射抜くような視線。それを前にウソはつけなかった。


「個性がない、と言えばそうなのかもしれない。うまい事まとめているけど、よくよく見るとありきたりだったりとか」


流行りものをちょっとアレンジしたり、そういう工夫をするのが創作の基本でもある。


でも……。


「本来ならアレンジに作家の個性が加わる。でも天川の場合は他の作家の個性がアレンジに出てしまっている」


「そう、無個性なの。私の作品は」


 そう眉尻を下げる天川を見ると、何か言ってやりたくなる。こんなに頑張ってる人間を責めることなんてしたくないし、下を向いてほしくない。


 俺は天川を応援したい。だからこそ、今回のロールプレイングデートにだって付き合っているのだ。


「慰めてほしくて言ったわけじゃないの。自分らしさがない、無個性な作品だっていうのは私自身が一番よく分かってるから」


 天川の漫画を読んだ時は正直驚いた。


 あの癖の強い天川詩乃の漫画だとは思えないほどおとなしい作品だったからだ。確かに世間のウケがいいのも分かるし、オタク層だけじゃなくて一般層にも人気が出そうな作品だった。さすが月間連載をしているだけはある。


 でも決定的に『天川詩乃』が足りなかった。そのことを彼女自身が一番自覚していた。


 だからこそ、『自分を手に入れるために漫画を描いてる』のだ。


「私は見返したいの。七光りだって言ってきた人を。それが天川詩乃であることの証明、私が漫画を描く意味だから」


「だから、なのか? 俺に原作を頼んだのは」


 天川の悩みはシナリオ方面に寄るところが大きい。それならば、原作を俺に頼ったのは理解できる。


「ちょっと違うかも。私、あなたのこともっと知りたくなったの」


「なんだよそれ」


 あまりの不器用さに思わず笑ってしまった。


 そんな俺を見て、天川も微笑む。


「私たち、付き合うほど仲が良かったのに、お互いのこと全然知らないなって思ったの。あなたと別れて半年のあいだ色々考えてるうちに、結局私には漫画しかなくて、それであなたと繋がろうと思った。あなたを知ろうとした」


「天川らしいな」


「それにあなたと一緒に作品作りできたら素敵だなって思ったの。大好きな人と自分の世界を作り上げたら、『私』が見つかる以上のなにかを手に入れられる気がした」


「天川……お前はすごいよ」


「どうしたの、急に」


「俺に出来なかったことを天川はやっている。俺が進めなかった先に行ってるんだ」


 俺は自分が書く意味を見出せなくなってやめてしまった。


 でも、天川は必死に求め続けたきた。自分自身を、描く意味を、ずっと求めてきた。


 そしてその旅路はいまも続いている。


「俺も……そろそろ頑張ってみないとな」


 俺はベンチを立った。


 長いこと座っていたせいで足がしびれて思うように動かない。


 それでも、一歩踏み出してみる。


「天川。俺も……もう一度書いてみるよ」





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ここまでお読みいただきありがとうございました。

次から4章になります。


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