第30話 無菌室

「ちょっと熱くなっちゃった……。お洋服ぬがせて?」


「おう、お兄ちゃんに任せろ」


 大学に進学した俺だったが、寮に住むことになった。


 家にお兄ちゃんがいなくて寂しくなったしのがわざわざここまで来てくれたんだ。しのの望みは何でも叶えてあげたい。


 寝巻のチャックを降ろすと、しのの大きな胸が出てきた。可愛らしいスポブラは成長途中の女の子って感じがする。


「最近、詩乃のお胸が大きくなってきたの」


「へ、へぇー、そうなのか」 


 いくら家族でも、おっぱいの話は気まずい。


 だが、ここはお兄ちゃんとして、妹の話に耳を傾けるべきだろう。


 なんたって、しのは小学三年生。思春期前の大事な時期なのだ。


「クラスのあいちゃんも、めぐみちゃんも大きくなってきたの」


「そうかそうか~。この歳の女の子はお胸が大きくなるもんなー」


「でも、しのは皆より大きくて……」


「も、もしかしていじめられてるとか⁉」


「そ、そういうのはないんだけど……。クラスの男の子が、しののお胸ばっかり見てくるの……。最近までお友達だった男の子の目が、ちょっと違うかんじで」


 ブルブルと震える詩乃の身体を抱きしめる。


 徐々に性を自覚し、早い子は発育も伴う年齢だ。


 しのの悩みは歳相応のものといえる。


「男の子たちはしのが可愛くなったから、そういう目で見ちゃうんだ」


「どういう……こと?」


「しのともっと仲良くなりたい~って感じだな」


「今までも仲良かったよ?」


「それとはちょっと違うんだ。お友達としてじゃなくて、女の子と男の子として仲良くなりたいんだよ」


「どういうこと……?」


「しののことを将来お嫁さんにしたい~! とかそういう本能的なものかな?」


「えー、しのはおにいちゃんのお嫁さんになるのに~」


「あはは、うれしいな~。でも、クラスの男の子のことを雑に扱っちゃダメだぞ?」


「うん! お友達と仲良くする! だっておにいちゃんの理想のお嫁さんになるんだもん!」


 しのはまだ小学生だ。それも思春期がきてない年齢でスレてない。


 最近の子は小学生でも可愛げのない子が増えてきたが、しのは純粋に育ってくれた。


 だが、純粋すぎて今みたいな悩みも抱えてしまう。


 そこはお兄ちゃんの俺がしっかり教育しないとな……。


「ねむくなってきちゃった……」


「それじゃあ、寝るか」


 寝かしつけるように、しのの頭を撫でる。何度撫でても気持ちよさそうに目を細める彼女は、やがて静かな寝息を立て始める。


「おっと」


 さきほどしのの寝巻を脱がせたが、そのままにしてしまった。


 夏場とはいえ、八王子の夜は冷える。


 しっかりと、しのの寝巻のチャックを上げると、目を開けてしまった。


「ん……」


「ごめん、起こしちゃったか?」


「ううん、だいじょうぶ~」


 頭が回ってないのか、しのは緩んだ声を出す。


「おにいちゃんといっしょに寝られるの、久々でうれしいの。だから、寝ちゃうのはもったいないかなって」


「でも風邪ひいてるんだぞ? 寝ないとダメだろ?」


「う~、いやいや~!」


 断固拒否の意思を示すかのように、しのがじたばたする。


 小学生の力だから痛いということはないが……やわらかい。成長途中のしののおっぱいが俺の胸板に押し当てられ、その柔らかさを感じてしまう。


 なるほど、クラスの男子が見てしまうのも無理はない。なんなら生で見たいし、触ってみたいとも考えるだろう。


 だが、俺はしののお兄ちゃんだ。よこしまな考えを持っちゃダメだし、しのの一番の味方でなければいけない。


「おにいちゃんといっしょがいい~。寝たくない~!」


「それじゃあ、しのの夢の中におにいちゃんが行ってあげるから」


「まいばん、きてくれてるもん!」


 すげぇな、おい。


「で、でも夢の中で会えるならいいじゃないか」


「だめ~! ホンモノのおにいちゃんが一番なの!」


 うーん、すごく嬉しいが、どうしたもんか……。


「それならこうしよう。どっちが早く寝れるか、お兄ちゃんと勝負だ!」


「……そうやって寝かせようたって、そうはいかないんだからね!」


 まえはそれでやられちゃったけど、そうジト目でこちらを見てくる。


 うーむ、妹の成長が著しい。


「……おにいちゃんはしののこときらい?」


「そ、そんなわけないだろ? しのは大事な家族だ」


「でも、しのと一緒にいたくないんでしょ? だから寝かせようとするんでしょ?」


「ち、ちがうって。しのの風邪が悪化しないようにって思ってだな……」


「優しいおにいちゃんすき~」


 情緒が不安定すぎるし、わがままなんだよなぁ……。甘やかして育てたせいだろうか。でもしょうがなくない? こんなにかわいいんだし。


「ねえ、おにいちゃんはしののお胸すき?」


「ほえ⁉」


 唐突なしのの言葉に声が裏返る。


「だって、クラスの男の子がしののお胸見るのは、男女の仲良し? になりたいからでしょ? だったらおにいちゃんは、将来のお嫁さんのしののお胸をそういう目で見るのかなって」


 え、これはどう答えるのが正解なの⁉


 例えば……


「しののおっぱい大好きだぜゲヘへ!」


 って言えば、


「さいてー、きっも」


 とメスガキなみの冷遇をしてくるかもしれない。


 だが、


「おにいちゃんだから、しののことはそういう目で見ないんだよ~」


 って言えば、


「うわぁぁぁぁ! お嫁さんにしてくれないんだぁ!」


 と、大泣きしてしまうかもしれない。


 う、うーむ、まいった……。


「そうだ、わかった!」


 なにかを閃いたらしいしのは俺の手首をつかむ。


「おにいちゃんにしののお胸をおさわりしてもらえばいいんだ! わたしってあったまいい~」


「ちょ、ちょっと待とうか。なんでそうなるの?」


「だって、それが一番はやいでしょ? おにいちゃんがしののお胸好きかどうかはさわってみれば分かると思うの!」


 子供特有の無茶苦茶な発想!


 だが、強くはねのけるわけにもいかず、しのに導かれるままに、彼女の胸に手を当てる。


 ああ、神様、全国のおにいちゃん、お許しを……!


「どう、おにいちゃん?」


「…………」


「お、おにいちゃん?」


 無言の俺を心配したらしくて、顔を覗き込んでくる。


 その顔は幼くて、分かりやすいほどに不安そうな目をしていて、取り繕うなんてことを知らない純粋な子供だ。


「これでやめにしよう、天川・・


「……残念」


 それだけ呟くと、いつもの彼女の顔に戻る。


 正確には天川の顔は何も変わっていない。


 でも、雰囲気的なものがガラリと変わった気がする。


「なんで? なんでやめちゃうの? せっかく……」


「たしかに『しの』なら拒絶反応は出ない」


 妹である『島崎しの』は完全無欠のかわいい妹だ。


 でもそれは無菌室で育った人工的な可愛さ。理想とはそういうものであり、どこか機械的で『なま』を感じられない。


 だからこそ、自分の脳を騙すことをやめて、天川をまっすぐに見つめる。


「しのだと物足りないんだ」


 吐き気も頭痛も目まいもフラッシュバックも怖い。


 でも、いつまでも逃げていては、本当の天川詩乃に触れられない。


 それはひょっとしたら、なによりも……フラッシュバックより辛いことなのかもしれない。


 少なからず、そう感じるほどには天川のことを求めている。


 不器用なくせに一生懸命で、ちょっと変わっていて、変態で、マゾで、漫画バカで、スケベで……どうしようもないやつだ。


 でも、そんな天川だからこそ、不完全だからこそ『生』を感じられる。天川詩乃がここにいるのだと感じられる。


 今までは天川詩乃の存在感が俺に拒絶反応をもたらしていたのかもしれない。それでも、いまはただ、バカでまっすぐな天川詩乃を求めていた。


「その……」


 天川は頬まで真っ赤にして目を逸らす。


「そういう恥ずかしいことは直接言わないでほしいのだけど……」


「……天川も乙女な部分あるんだな」


「失礼ね! ちゃんとあるわよ!」


「わるい、茶化した」


 恥ずかしくなって、彼女を直視できなくて茶化した。


 でも目を背けるのはもう終わりにしたい。


 その決意を伝えようとした時だった。


「嫌なら断っていいから」


 天川はそう前置きをして、俺をまっすぐに見据えた。


「私と……天川詩乃とデートして」

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