第27話 IHコンロは置き場所に困る

 突然だが俺はいま、寮の一階に侵入しようとしている。

 つまり女子がいる階層だ。


 だが、堂々と侵入するわけもない。


 月が雲に隠れたのに乗じて、ベランダからロープを垂らしてゆっくりと降りていく。


 そして物音を立てずに一階のベランダに降りると、窓を優しくたたく。


 すると鍵の開く音がして、ゆっくりと窓を開ける。


「おじゃましま~す」


 声を潜めて部屋に入るも真っ暗で、月明かりだけが頼りだった。


 当然だが、俺の部屋と同じ六畳一間。


 女子の部屋ではあるが、恵莉奈の部屋と違ってすこしだらしなく散らかっている。雑誌やら空き瓶が少々転がっており、女子への幻想が消えそうだった。


「早く締めてくれないと寒いのだけど?」


「っと、すまん」


 部屋の主、天川詩乃に急かされて入ってきた窓を閉める。


 彼女に視線を向ければ、部屋の隅のベッドで毛布にくるまって寝ていた。


 ピンクのパジャマで可愛らしい彼女だが、少々息が荒く顔が赤い。


「悪いわね、急に呼んで」


「べつに悪いなんてことはないよ。……俺の責任もあるんだし」


 夏場とはいえ、山湖は冷える。そんな中で、毎晩演奏をしていれば体を冷やして当然だし、天川は風邪をひいてしまったのだ。


 そして風邪で心細くなったのか、天川から『さみしいから部屋に来て』と連絡を受けてやってきたわけだ。


 普通なら同性の恵莉奈を呼ぶのだろうが、あの関係性では無理もない。


 というか、俺のせいで仲が悪いみたいなもんだし、こうやって看病しに来るくらいはせねばなるまい。


「責任感じてるならいっしょに寝てよ。さみしいの」


「断る! なんか作ってやるから大人しく寝てろ」


 六畳一間ではろくなキッチンスペースはない。冷蔵庫を置いて、小さいテーブルの上にIHコンロでも置けば余裕はなくなってしまう。


 案の上とも言うべきか、天川の部屋もそうなっていた。


「なにがあるかね……」


 冷蔵庫を開けると見事に空っぽだった。


 本当に空っぽ、マジで何もない。冷蔵庫が稼働音を立てて泣いている。


「お前ホント、生活力皆無なのな……」


「無駄なものは買わない主義なの」


「まあ、そんなことだろうと思って多少は持ってきた」


 ポケットに入れてきた食材を使って料理をはじめ、十分ほどで出来上がり、天川がいるベッドにどんぶりを運ぶ。


「なにこれ?」


「ヤマメ先輩の味噌煮うどん」


「……おいしい?」


「知らん。風邪でも食いやすくて栄養がありそうなのを作っただけだ」


 どんぶりに入っているのは、みそをベースとしたスープ。そこにうどんとヤマメの塩焼きをぶちこんだものだ。


 正直見た目はかなりグロテスク。


つらいだろうが、体を起こして食った方がいい」


「そうさせてもらおうかしらね」


 のっそりと毛布から出てきた天川はベッドの背もたれに背を預ける。


「ねえ、食べさせてよ」


「あのな……」


「いいじゃない。さみしいの」


「さみしいの、は魔法の言葉じゃないからな。そう何度もやられんぞ」


「………………」


「わかったから! 捨てられた子猫みたいな目で見るな」


「にゃ~ん」


 その猫なで声可愛いから禁止な!


「食べさせるのはいいけど、熱いからな。ちゃんと冷ましてから口に入れろよ」


「じゃあ、島崎くんがふーふーして?」


「こっちが一度折れると天川はすぐ調子に乗る……」


 童貞を捨てた時も似たような流れだった気がする。成長しねぇな、俺。


 だがまあ、病人の喉を酷使することもない。十分に冷ましてやってから、天川の口元にうどんを運んでいく。


「んっ、ちゅる……おいしい。味噌がよくしみ込んでる」


「そりゃよかった」


「島崎くんって料理得意なのね」


「得意って程じゃないけど、この寮で一年以上暮らしてるしな。自炊くらいは出来る」


「へえー、酒カスでだらしないばっかじゃないのね」


「お前、本当に俺のこと好きなんだよな?」


「そうだけど?」


 なに当たり前のこと言ってるの? みたいな顔されると、俺が間違ってるんじゃないかと思えてくる。


 俺、変なこと言ってないよな?


「ほら、無駄口叩いてないでさっさと食え」


「あんっ、そんな熱くてぶっといの、むりやり口に入れないでぇっ」


「……帰るぞ」


「サービスをむげにするなんて、ひどいわね」


「そんなのいらんからさっさと元気になれ。そんで一日でも早く演奏を聴かせろ! じゃないと、眠れん」


「へぇ~」


「あっ」


 しまったと思った時には遅かった。天川は俺の言葉ににやにやと頬を緩める。


「そんなに私の演奏楽しみにしててくれたんだ。いつも『まあまあ良かったよ。これはコンサートの入場料だ』とかいって山菜置いてくだけなのに」


「山菜だけじゃない! 鶏大先輩の卵もたまに置いて行ってるから!」


「そこ重要?」


 寮の空き地で飼ってる鶏は代々寮生の食卓を支えてくれている大先輩だ。そりゃ重要に決まっている。


「でもまあ、うん。楽しみにしてくれてるのはすごく嬉しいわ。あなたのためにも早く治さないとね」


「べつに俺なんかどうでもいいだろ。動画上げれば何百人もコメントくれるんだからさ」


「どんな人の言葉より、好きな人からもらう何気ない一言の方が私は嬉しいわ」


「……天川には敵わないな」


「じゃあ復縁する? 原作やる?」


「それとこれは別な!」


 無駄口を叩きながら食べていると、天川はぽつりとつぶやいた。


「このヤマメもおしいしけど、はじめてあなたたちと釣りに行ったときのが一番よかったわね」


「そりゃ自分で釣ったやつだからうまいだろうな」


「ちがうの」


 そう苦笑する天川は察しの悪い子供を諭す母親のような顔だった。


「あなたがくれたから美味しく感じたんだと思う」


「なんのことだか」


「神原さんの前だから渡せなかっただけで、ヤマメをこっそりバケツに入れてくれたんでしょ?」


「証拠がないぞ」


「あるわよ。あなたがあの日釣ったのは三匹だったのに、二匹しか焼いてなかったでしょ?」


「どこまで俺のこと見てるんだよ」


「好きだから。ずっと見てても飽きないわよ」


「そんなんだから釣れないんだよ」


「そういうあなたはつれないわね」


「下らんこと言ってないで食え!」


 と、そんな雑談も挟んだが、天川はしっかりと食べ切った。


「ごちそうさまでした」


「おう、栄養も補給したんだし、さっさと寝ろよ。俺はそろそろ帰るからな」


「えっ、いっしょに寝てくれるんじゃないの?」


「既定路線みたいな言い方されても、そんな路線は開通してねぇからな?」


「手ごわいわね。クリスマスの時はあんな簡単にベッドに誘い込めたのに……」


「あの時みたいにかわいげがあればなぁ……」


 天川は普段と色気のある時のギャップがすごい。そこがまた魅力でもあるんだけど……。


「じゃあ、なに。媚び媚びで甘い声でも出せばいい?」


「い、いや、まあ……寝ろ寝ろ!」


「島崎くんが布団に入って来てくれるまで寝ないから!」


「その手には乗らんからな!」


 そんな応酬が続いていたが、天川は苦しそうに口元を押さえてせき込んでしまう。


「お、おい、大丈夫かよ。声張り上げるからだぞ」


「だ、だってあなたといるとついテンション上がっちゃって」


「お前ってホント、ポンコツなのな……」


 もういいか。なるようになれ。


「あっ……」

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