第24話 コスプレはいつもと違う自分になれる

「ごめん、無理矢理連れ出して」


 あのあと、店を出た俺たちは八王子の駅前ロータリーに来ていた。


 日付が変わろうかという時間帯であり、バスもまばらで酔っ払ったリーマンを拾うタクシーが目立つ。


「天川さん困ってたみたいだったから……。もちろん天川さんと飲む気はないし、変なことなんてしないから。それじゃあ俺はこれで」


 そう断りを入れ、びすを返してその場をあとにしようとした時だった。


「……私は変なことされてもいいんだけど?」


 天川に裾を掴まれて、制止させられる。


 彼女は俺の背で恥じらうように言葉をつづる。


「私……準くんのこと好きだから。このあともっと飲みたいし、準くんとエッチなこともしたいな……」


 振り向けば、そこには一人の女の子がいた。


 マゾでインプットバカでもない、漫画家でもない、ただの女の子だ。


 ぼんやりとした街灯に照らされた天川の頬は朱色に染め上がっていた。薄暗がりの中でも分かるほどに。


「からかうのはよくないよ。さっきはあの二人から逃げるために俺のこと好きなんて言ったんだろうけど、いまは演技する必要なんてないんだ」


 舞い上がった気持ちを抑えながら、天川に背を向ける。


 大好きな天川から好きだなんてストレートに言われたら、気分が上がるというものだ。


 それでも、ここで彼女を受け入れてしまえば、行為に及んでしまえば確実にボロが出る。島崎潤一郎だとバレてしまうという確信があった。


「私、本当に準くんが好きなの」


「俺たちは出会ったばっかりだ」


「それは好きになっちゃいけない理由になるの?」


 世間一般的には一目惚れはよくないとされている。


 相手のことを知って、吟味して、互いの将来設計をして。


 そうやって少しずつ愛を育むのが倫理的だとされている。


「じゃあ、準くんは運命を否定するの?」


 一目惚れできる相手なんて運命に他ならない。


 そしてそんな相手に出会えれば理想的で、とても素敵なことだと思う。


「私、こんな歳になってもロマンスの神様を信じているの」


「俺も信じたいよ」


「じゃあ信じてよ、今日だけでいいから」


 声を震わせた天川が俺の背中に抱き着いてくる。


 彼女の温かさが、鼓動が伝わってくる。


 道行く人たちが俺と天川を見ているかもしれない。こんなところで若いのは何をやってるんだ、と。


 でも、そんなことはまるで気にならない。


 俺は天川にだけ意識を集中させる。


「現実とロマンは分けなきゃいけないんだ」


「でもそれってつまらなくない? 夢を見ないと楽しくないでしょ?」


「そんなことはない。現実も楽しいよ。麻雀、酒、釣り、いろいろある」


「じゃあ今度釣り連れてってよ。私も最近できるようになったから」


 路線を変えたのか、後日会う方向に舵を切る天川。


「わかった。今度一緒に行こう」


 それくらいならいいかもしれない。


 また準になりきっていけば、いつもと違った感じで天川に触れることが出来るかもしれない。


 そう考えたところで気付いた。


 俺は天川に触れたいのだと。


「準くん?」


 俺が黙っていたせいか、天川が不安げに声をかけてくる。


「ああ、ごめん。ぼーっとしてた」


「ふふっ、不思議ね。私が前に付き合ってた人と似てる」


「……その人はどんな人だった?」


 踵を返した、天川と正面を向き合って……興味本位で聞いてしまった。


 でも、普段なら聞けないことも準を通せば聞けるのかもしれない。


「うーん」


 天川はしばらく悩んだのち、口を開いた。


「一言で表現するなら陰キャ、かしら?」


「俺にも言ったよなそれ……」


「似てるっていったじゃない」


 そう面白おかしそうに笑う。


「他にはどこが似てる?」


「そうね、いっしょにいると落ち着く。いまもすごく心が安らいでるの。まるで揺り籠の中にいるみたいに」


「それじゃあ寝ちまうな」


「いっしょにベッドに来てくれる?」


「ぬかせ」


 くすりと笑ってしまう。


 俺が見ていないところでも天川は天川だ。そのことが無性に嬉しくなってしまう。


 彼女の芯の強さが本物であること、本当の彼女に触れてきたのだと知った。それがなによりの喜びだ。


 だが、それと同時に不安にもなってしまう。


「俺はそいつの代わりなのか?」


「なに、嫉妬?」


「そ、そうじゃない。ただ、代わりだって思われるのは……」


 俺が俺である必要がない。そう言われるのが何より辛い。


 書く意味を失った時を思い出すから。


「ごめんなさい。言い方が悪かったわね」


 先ほどまでの軽い雰囲気から一転、天川は詫びを入れる。


「私は準くんが好きなの」


 彼女のまっすぐな瞳はいつだって俺を射抜く。心の奥にまで届くその瞳が俺をひきつけてやまない。


 夜の明かりを吸い込んだ瞳に俺も吸い込まれそうになる。


「だから、準くんの気持ちも聞かせて」


 天川はそっと歩み寄ってくると、正面からゆっくりと背中に手を回してきた。

 よけようと思えばよけられた。


 拒もうと思えば拒めるほどのホールド。


 でもしなかった。できなかった。


「ダメ……? 準くんは私のこと、好きじゃない?」


 いまなら……言えるかもしれない。


 島崎潤一郎でも谷崎藤村でもない準。俺が俺でないことは辛いけど、天川に触れられるなら、この一時だけは……。


「天川、さんっ」


 俺は正面から天川を抱きしめた。


 今日だけは準として、天川を……詩乃を愛せるかもしれない。


 俺の中で燻っていた感情に今なら向き合える。


「好きです、詩乃さん。俺と……一晩過ごしてくれませんか?」


「ええ、喜んで」


 そう微笑んだ詩乃は俺の前髪をあげると、小悪魔的にほほ笑んだ。


「けっこう情熱的なのね、島崎くん」

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