第2話 主人公の条件

「なあ恵莉奈、今日はそのまま帰るのか?」


「ちょっと寄り道したい気分かもしれないっす。付き合ってもらえますか?」


「もちろんだ。酔い冷ましには夜風がいいからな」


 車を進めていくと徐々に舗装された斜面に入っていく。住宅や畑なども見えるが、山のふもとに来ていた。


 通常ならこのまままっすぐ山に入っていき寮に帰るのだが、今日は回り道をする。

 そして、しばらく進んでところで車を止める。


「恵莉奈?」


「師匠……」


 シートベルトを外した恵莉奈は急に体をしなだれかからせてきた。


 酒を飲んでいないはずなのにほてった身体、潤んだ瞳に紅潮した頬。


 普段はあまり意識しないようにしているが、いまの恵莉奈はすごく女の子だ。


「今日の運賃、もらってないっす」


「そういえばそうだったな」


 恵莉奈に車に乗せてもらう時の通貨、それが『運賃』だ。


 その支払いは実にシンプルなものとなっている。


「んっ……師匠」


 正面から恵莉奈を抱きしめる。


 温かで、柔らかで、それでいてシトラスのようないい匂いがする。


 恵莉奈を感じられて、俺もしあわせな気持ちになる。


 これが『運賃』。恵莉奈と抱き合うことだ。


「う~ん、いい匂いっす……。師匠が使ってる柔軟剤の匂い、師匠の匂い、しみついた居酒屋の匂い。このぜんぶを独り占めできるのはあたしだけっす」


 俺の肩にうっとりと顔を預ける恵莉奈は首筋に顔を埋めて、くんくんと静かに嗅ぎ続ける。


「こうやって大好きな人を感じられるの最高っす」


「俺もこうしてるのは好きだ」


「えへへ、うれしいっす」


 微笑む恵莉奈はまるで恋する乙女のようだ。


 だが、そんな乙女の目が不安に揺れる。


「師匠、他の人に運転頼んじゃダメっすよ?」


「わかってる」


「この酒臭い師匠を独占できるのはあたしだけっすから」


「大丈夫だ。約束は守る」


「師匠のそういうところ好きっす」


 でも、と顔を伏せる恵莉奈。


「やっぱり師匠と恋人に戻りたいっすよ……」


 俺を抱きしめる腕にいっそう力が入る。


 恵莉奈とは昨年の秋口、つまり俺が作家を引退するまで付き合っていた。


 高校生の恵莉奈と大学生の俺は中々会うことが出来なかったが、それでも楽しかった。幼馴染だから気が合うし、気兼ねもない。


 だが、作家をやめたことをきっかけに別れることになった。


恵莉奈の憧れでい続けられないことが苦しかった。その重圧に俺が耐えられなくなってしまったのだ。


「……ごめん」


「なーに、しょげてるっすか!」


 先ほどまで顔を伏せていた恵莉奈はいつも通りの明るい表情を見せてくれていた。

「冗談っすよ。師匠とこうしていられるだけで満足だって言ったじゃないすっか」


 すぐに切り替えが出来たらしい恵莉奈は「ハイオク満タンっす!」といつもの調子に戻って、そのまま寮に向けて車を発進させ、山を下り始めた。


「師匠はずっとあたしの憧れっす」


「いい趣味とは言えないな」


「かもしれないっすね。でも、かっこいいって思ったんすよ。恵まれた家庭環境とは言えない中で、必死に足掻いて、藻掻いて。それで高校一年の時にデビュー。まるで主人公みたいっす」


「主人公ね、それなら恵莉奈の方が主人公だろ」


 いつも笑顔で人望も厚い。中高でテニスをして高校ではインターハイに出場。さらには俺のデビューから一年後、彼女は高校一年で大衆文学『魂の国』でデビューすると瞬く間にスターダムを駆けあがった。


 さらに恵莉奈の実家はかなり貧乏で、夕刊の配達をしてテニスの道具も買っていたほどだ。


 逆境からのデビュー。そして大活躍。恵莉奈こそが主人公というにふさわしい。


「師匠は主人公の条件って何だと思うっすか?」


「ジャンルによるだろうけど、やっぱり一番は特殊なことができる、じゃないのか?」


「それもいいっすね。じゃあ、勇者の条件ってなんっすか?」


「選ばれし者、だよな」


「それじゃあ、勇者になれるかどうかは生まれで決まるっすか?」


「悲しいけど、そんなもんだろ」


 人は生まれながらにして境遇、才能などあらゆるものが決まってる。ある程度足掻くことが出来ても、限界値というものが存在しているのだ。


「あたしは後天的にも勇者になれるって信じてるっす」


「どういうことだ?」


「あたしは勇者を、主人公をこう定義するっす。何度倒れたって立ち上がる。遠回りでも、いつかきっと成し遂げてくれる。だから師匠、また筆を執ってくれるのをずっとずっと待ってるっす」




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