第6話

 肘でぐいぐい小突いてくる彼らが鬱陶しい。そんなに恋愛に興味があるのなら、自分で恋人なりつくってそっちに執心すればいいのに。


 けれど恋愛というものは、自分に置き換えてみると胸に抱いて特別にしたいものであるくせして、他人のものを覗く分にはからかい程度にしかならないのだろう。

 庶民感情からすれば、他人の恋愛なんて身近な人を使用したリアルエンターテインメントに過ぎない。エンタメとは多数派のための遊具であって、少数派の玩具ではない。ゆえに、ネタにされている個人の意思や感情なんて、無視されて当然なのだ。


 だらだらと続く茶化しをのらりくらり躱していると、昼休みのときと同様、姥沢うばさわが出入り口のほうから姿を見せた。「沢渡さわたりくん」と呼びかけられた僕を押しのけて「姥沢うばさわちゃーん!」と彼女にぐいぐいとつっかかっていくのは、やはり彼らだ。


姥沢うばさわちゃん、昼休みは沢渡さわたりとどこにデートしに行ったの?」

「てか今から一緒に帰るってことは、放課後もデートってこと? 熱々だねぇ」

姥沢うばさわちゃん! ずばり、沢渡さわたりのどこに惚れたのか!」


 男女に詰め寄られ、目を白黒させている姥沢うばさわ。驚いたように呆けた顔をしているけど、そんな状況でも彼女はどこか楽しんでいるようで微かな笑みを隠しきれていない。「えっと……」と口ごもる姥沢うばさわを、各々の質問に答えてくれるのではと期待しているクラスメイトたちは好奇心に満ちた瞳で見つめている。


 僕はそこらへんでもう放っておけなくなって、思わず彼女のもとへ早足で近づいた。困ったような笑みで佇む姥沢うばさわの手を少々乱暴だと自覚しながらも掴んで、無理やり取り巻きから遠ざけた。


「行こう、姥沢うばさわさん」

「……あっ」


 手を繋いで、教室から離れる。一、二歩分遅れて彼女がついて来てくれる。


 背中側からいまだ騒がしくている彼らの声が聞こえてくる。ひゅーひゅー、とそれらしく煽る声に、男らしいねー、とやかましく叫ぶ声。僕たちはその声から逃げるように廊下を進んでいくと、いつの間にか彼らの気配も感じなくなっていた。


沢渡さわたりくん、ごめんね」


 早足で歩く僕の背中側で、姥沢うばさわの声がした。


「ごめんね。私クラスでひとりぼっちで居場所がないからって、沢渡さわたりくんの恋人を騙って寄生しちゃってて」


 いいんだ。僕が君に与えている居場所というものは、等価交換の、いうなれば付属品——に過ぎないから。

 僕は再度意志を固める意味で、姥沢うばさわには触れていないほうの手にぐっと力を込める。拳の中には、僕の信条——「等価交換」が握られている。


 僕があそこから逃げ出したのは、あくまで、姥沢うばさわのことを思っての行動だ。茶化されて不快感を抱いたとか、恥をかかされて憤っているとか、そういった僕個人の問題では決してない。僕個人の問題では、決して、ない……。


 僕は無理やり笑顔をつくって、姥沢うばさわのほうに振り返る。


姥沢うばさわさんこそ無理してない? だって、、慣れてないでしょ?」


 うん、と頬を赤く染めて頷く姥沢うばさわ。「男の子とこういうふうに持ち上げられるの、正直にいえば恥ずかしい……」と消え入りそうな声で呟く。


 姥沢うばさわのクラスは、部活の繋がりをきっかけにして友達をつくるのが暗黙の常識となっている。どうしてそんなことが常識かって、それは僕にも姥沢うばさわにもわからない。

 いうなれば、クラスのというやつだろう。みんなそうしているから自分も守らなくてはいけない空気、クラスでなんとなくそういうふうに過ごすのが普通になってしまっているから抗えない空気。……そんな、ほとんど自然発生したクラスの空気のせいで、部活に所属していない彼女はクラスで孤立していて寂しい思いをしている。


 それゆえに、姥沢うばさわはもうクラスに居場所をつくることなんて諦めて、代わりにちょうどいいぐあいに空いていた僕のとなりを寄生先にした。「案外に縁がなさそうだけどは色々と済ませている」という僕の、となりに。


「だけど、クラスで孤立しているよりはみじめじゃない。私、一人でいることに慣れてないから、今みたいに辱められても、居場所があるだけまだあったかく感じる」

「……そっか」


 しばしの沈黙のあと、「それで、昼休みに、放課後ある程度の生徒が下校した時間帯で確かめたいことがあるって言ってたけど覚えてる?」と無理やり話の方向をねじ曲げた。だけど彼女ももうその話には愛想を尽かしていたようで、「覚えてるよ。もったいぶらないで、早く教えてよ」と続きをせがんできた。


 僕は舌で唇を潤し「僕が放課後に確かめたいもの。それはね……」と語り始めた。そうやって二人ぼっちで推理に興じれば、色んなものに翻弄されず心地よかった。







 三十分ほどだらだらと校舎内を歩いて時間を潰し、僕たちは再び一年生廊下まで戻ってきた。そのまままっすぐ歩いていけば、生徒玄関に到着する。


 この時間帯ともなれば、帰宅部生は下校しただろうし、部活や委員会に所属している生徒は各々自分の場所へ出かけていっただろう。実際にそこは、がらんとしていて人気がなく、弱々しい夕日の光が入り込んで寂しげな雰囲気を醸し出していた。


 僕がこの時間帯に確かめたいもの。そのことについては、姥沢うばさわとぶらぶら校内を散歩しているときにすでに語っていた。


「なるほど。確かにだったら、生徒全員が共通して持っているものに該当するね。盲点だったな。私、いつの間にか教室内にあるものの中で推測してたから」


 ぴょこぴょこと弾むような足取りで、姥沢うばさわ組の下足箱のもとへ近づいていく。


「……私たち以外誰もいないし、いいよね」


 僕が頷くと、姥沢うばさわは開閉式のそれを開け、中身を取り出した。


 。取り出したそれを色んな角度からじっくり観察すれば、僕が予想していた通りの手がかりが見つかる。最後に私物——ハチマキにキズをつけられたのは、名簿番号8番の生徒。だから、次にキズがつけられる生徒は……。


「……あったよ、刃物痕。スニーカーの紐の端っこが、切られてる」


 開けられた靴箱のネームプレートには、「1309 清水葵」。ホワイトスニーカーから、一学年であることを象徴する赤色の紐を抜き、他にキズがないか調べる。


「ないね。やっぱり、キズは一ヶ所にしかつけられていない」

「……一応、名簿番号が近い生徒の靴も調べてみようか」


 うん、と頷く姥沢うばさわと手分けして確認作業に入った。


 刃物痕がつけられていたのは、9番目の生徒——清水葵、10番目の生徒——須藤音葉、11番目の生徒——田中泉の、三名だった。

 そしてやはり、キズは一ヶ所にしかつけられておらず、キズつけられた場所も三人とも同じだった。


 12番目の生徒——棚町風太の靴箱を開いて、僕は舌打ちをする。


「ああ、この生徒はまだ学校内にいるらしい。見てよ、外靴が入ってる」


 そんな風に言う僕を、胡乱げな目で見つめる姥沢うばさわ


「……沢渡さわたりくん。その、12番の生徒——棚町たなまちくんは、昼休みに色々情報をくれた男の子だよね。棚町たなまちくんは、金曜放課後の図書当番で、だから私たちはその共通点を利用できると踏んで、昼休みに聞き取り調査しに行ったんだよね」

「あ……」

「それは当然ながら、棚町たなまちくんは今、図書室で委員会業務に従事していることを示しているよね。沢渡さわたりくんって、本当に人の顔と名前を覚えるの苦手だよね」


 呆れられてしまった。13番目の生徒——知念結月の靴紐を調べながら、僕はわかりやすく肩をすくめる。こちらには、キズは見当たらなかった。

 14番目の生徒——筒井まどかの靴に触れながら、姥沢うばさわはわかりやすくため息をつく。こちらにも、キズは見当たらなかった。


沢渡さわたりくんのそういうところって、いつか他人に失礼を働くと思う」

「……おっしゃる通りで」

「社会に出る前に直さないと、出た後に絶対後悔すると思う」

「……いやぁ、ほんと耳が痛い」

 

 姥沢うばさわにくどくどと説教されながら手がかり探しをしていると、なんとなく情けない心持ちになった。反省しなくては。

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