第5話

 棚町たなまちは、三人の男子生徒を呼んできた。廊下まで出てくるまでに彼から話を聞いたのだろう、一人は通学鞄を掴んで、一人はジャージを持ち出して、一人はハチマキを取り出して、こちらにかけつけてくれた。


阿川あがわ」と呼ばれた生徒は、通学鞄の取っ手を指差した。キズはバケツと同じように、取っ手の真ん中らへんに二、三センチほどの規模で点けられていた。

上野うえの」と呼ばれた生徒は、ジャージの首を通す穴を指差した。首の後ろ側についている品質表示タグの下部二センチほどが切り取られていた。

佐藤さとう」と呼ばれた生徒は、ハチマキの端っこを指差した。そこに三、四センチほどの切れ込みが入れられていた。


 さすがに写真を撮るわけにいかなかったが、それぞれじっくりと観察した。ジャージを見ていた姥沢うばさわが、ふとこんなことを言い出した。


「あ、このキズの場所。私がこの前友人に見せてもらった箇所と一緒」

「そうなの?」

「うん。首元の品質表示タグの下。確かに、ここだった」


 僕と姥沢うばさわが話していると、そこへ棚町たなまちが割り込んでくる。


「そうなんだよ。キズつけられた箇所が、全部一致してるんだ。

 通学鞄のキズは、取っ手の部分。

 ジャージのキズは、タグの下あたり。

 ハチマキのキズは、端っこらへん。

 不気味だよな。明らかに人の手で切られたって感じがしてさ」


 一ヶ所ずつ、同じ場所にしかつけられないキズ。棚町たなまちが言う通り、これらのキズには明確な犯人の意図のようなものが感じられる。


 通学鞄を襲う機会に恵まれたのに、中身の金目のものには一切手をつけていない。ジャージに手をかける機会に恵まれたのに、キズをつけたのは品質表示タグのみでズボンのほうには切れ込みの一つもつけられていない。


 犯人はもしかしたら、どのようにキズをつけるか、あらかじめ具体的に決定したうえで行動に出ていたのではないか。キズはここにしかつけない、と。


 とすれば、昨日ふと思い浮かんでメモした疑問——「一人の被害者に対して一つの私物にしかキズがつけられていない?」に少し信憑性が増してくるような気がした。

 犯人が意図なしで無計画に動いているとはいい難い。ある程度の意思を持って行動している点から、何らかのルールを決めてキズをつけていると考えたほうが自然だ。


 一人の生徒に対して一つの私物にしかキズをつけない。

 同じ箇所に、一つしかキズをつけない。


 もしかしたら、犯人はそういったルールを決めて行動していたのではないか?


「ねぇ、棚町たなまちくん。被害者の名前を全部教えてくれないかな?」


 三組教室にほんの少し失礼した。名簿表の「所属生徒」の欄をひとつひとつ指を差しながら、棚町たなまちが被害者の名前を挙げていく。


「まず、通学鞄をやられたのは」



 1301 相澤誉 【軽音部・所属なし】

 1302 阿川透 【化学部・所属なし】



「で、ジャージをやられたのは」



 1303 上野 翔太 【陸上競技部・緑化委員会】

 1304 小野田 悠樹 【所属なし・文化祭実行委員会】

 1305 木下 由奈 【バレーボール部・所属なし】



「最後に、ハチマキをやられたのは」



 1306 久慈実 【軽音部・体育祭実行委員会】

 1307 佐藤健太 【ブラスバンド部・飼育委員会】

 1308 佐藤勇斗 【バスケットボール部・所属なし】



「名簿順……」


 姥沢うばさわが呟くと、棚町たなまちが少し口角を上げて言った。


「そうなんだ。

 それぞれ被害報告がされた後に、別の私物に目標を変えて、名簿順に刃物痕をつけていっているみたいなんだ。

 先々週の木曜日、鞄が切られているのを発見されると、鞄への被害がピタリと止んだ。その代わり先週の火曜日、今度はジャージがやられていたのが発見される。

 またクラスメイトによるキズの発見が報告されると、再び、ジャージへの被害がピタリと止まる。その代わりにその週の金曜日、今度はハチマキにキズが。これももちろん、クラス内で被害報告がされると、ハチマキへの被害がピタリと止んだ。

 それから今週に入って、ホウキへの被害を挟んで、現状、今日——金曜日にいたるまで、一切の被害が報告されていない。

 ダブル佐藤さとうのあとに順番がくる生徒は、気が立ってそわそわしてるぜ。もしかしたら次にキズをつけられるのは自分じゃないのか、もしかしたら自分が気づいていないだけでもうすでに自分の私物がやられているんじゃないか」


 犯人は、明らかに何かしらルールを決めて、刃物痕をつけているだろう。

 被害状況から、帰納的にそのルールとやらを推察してみると……。


 キズは、一人ずつ名簿順につけていく。

 キズは、一ヶ所にしかつけない。

 キズは、同じ場所にしかつけない。


 ……ふむ。


 語り出してから饒舌になった棚町たなまちは、もう止められないようでそのままの勢いで自説を展開していった。


「次に狙われるものは何だろうな。生徒全員が共通して持っているものにキズがつけられるわけだろ? そうだな、教科書とか筆箱とかはどうだろう。通学鞄、ジャージ、ハチマキとくれば、もう生徒全員が共通して所持してるものの選択肢はかなり狭まってくるはずだぜ」


 棚町たなまちの意見は、わかる。クラスメイト全員が持っている同じ物、というのは案外少ない。犯人もハードルの高いものを目標に選んだものだ。犯人が捕まることよりも、犯人のネタが切れることのほうが早いのでは? と思わず違った方向の懸念が浮かんでしまう。


 考え事をしている僕に、姥沢うばさわが再び耳打ちしてきた。今度は身体を傾けて、彼女が囁きやすいようにしてやる。


「……でもさ、これだけ被害報告がされていたら、犯人もおおっぴらに動くことが難しくなってくるんじゃないかな。ここまでくれば、監視の目も増えてくるだろうし」


 情報提供をしてくれた四人に、僕は自販機でコーラを奢った。最後の最後に、棚町たなまちがだいじなことを忘れてしまぬように「抜き打ちの監査には気をつけなよ」とふざけて声をかけてやった。

「おう、任せとけって」と粋がる彼を見て、姥沢うばさわは小さく吹き出していた。姥沢うばさわも僕も、なかなかに悪い奴だ。


 自身らの教室へ帰りながら、僕は保険的な意味でこっそりメモしていたものに視線を向けながら、もしかしたら、と微かな閃きのようなものを一人で弄んでいた。



 1309 清水葵 【所属なし・ボランティア委員会】

 1310 須藤音葉 【所属なし・選挙管理委員会】

 1311 田中泉 【所属なし・所属なし】

 1312 棚町風太 【陸上競技部・図書委員会】

 1313 知念結月 【所属なし・所属なし】

 1314 筒井まどか 【文芸部・所属なし】

 1315 富樫穂乃花 【バレーボール部・所属なし】

 1316 富山柚 【フェンシング部・所属なし】



「ねぇ、沢渡さわたりくん」

「うん?」

「何か、分かったような顔をしてるね」

 

 分かった、というほどのことではないんだけど。


「確かめたいことはあるかな。それも、放課後、できればある程度の生徒が下校した時間帯で、確かめたいことが」







 放課後。

 昼休みが終わった時点で「今日も一緒に帰ろう」と姥沢うばさわと約束していたため、二組教室まで彼女がやって来るのを待っていると、案の定彼らに茶化される。


「なぁ、沢渡さわたりぃ。お前、姥沢うばさわちゃんのどこに惚れたんだよぉ」

「……しつこいな。そういう恥ずかしい話はどこか余所でやってほしいね」

「なんだよ、ノリ悪いな。もしかしてお昼のデートはうまくいかなかったのか? どれどれ、時系列に沿ってひとつひとつ喋ってみそ? 恋愛アドバイザーのこの俺が、お前がどんな失敗をしたか見極めてやるからよ」

「失敗なんてしてないよ。そもそもデートですらないんだからさ」


 姥沢うばさわ、早く来てくれないかなぁ……。

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