第4話

 僕はラムネを飲み、姥沢うばさわは金平糖を口でとかした。彼女の手には風車が握られている。姥沢うばさわは金平糖を噛まない。

 この駄菓子屋で売られている金平糖の容器は、長い柄を持った風車のかたちをしている。車の部分がピンク色の薄い紙状のプラスチックでつくられて、柄の部分に金平糖がびっしりと詰められているのだ。


 店先に吊された気の早い風鈴が、風に揺れてささやかな涼しさを運んできてくれる。手に持っていた瓶を傾けると、中に入っていたビー玉が内壁に触れて、カランと音を立てた。喉元を爽やかな甘さが通り抜けていく。


「ねぇ、沢渡さわたりくんのクラスって、どんなクラス?」


 金平糖を舐めながら姥沢うばさわはそんなことを聞いてくる。僕はすぐに、彼女は自分のクラスのことを語りたくてそう訊ねてきているのだなと察する。

 が、結論からいえば、僕のその予想は的外れなものだった。彼女が語りたがっていたのは、組についてのことだったのだ。


「そうだね。衝突も些細な諍いもなく、僕を含めみんなが無難に過ごしている平和なクラスだよ。体育であぶれる生徒がほとんど出ないし、珍しくあぶれたとしてもどこかの集団には絶対に仲間に入れてもらえる程度には、みんな友好的で温厚かな」


 二組は悪くないクラスだよ、と締め括る。僕が言い終わるのとほとんど同時に、彼女は憂鬱そうなため息をついた。


「私のクラスと全然違う。四組は、部活関係の繋がりが濃い。部活に入っている子には友達が多くて、そうじゃない子には友人すら数える程度。同じ中学校の子もどんどん離れていっちゃって、私教室ではほとんど一人で生活してる」


 姥沢うばさわは物憂げな様子で目を伏せ、しばし沈黙する。彼女の膝元で掴まれている風車がくるくると静かな回転を見せている。


「けど組は、私のクラスよりももっと酷いって聞く。上下関係が明確で、なかにはいじめめいた話もちらほら聞こえてくるぐらい。正直いって、荒れてる」

「それは知らなかったな。刃物痕の事件も発生するぐらいだから相当なんだろう」

「うん。五月初めの時点で、何名か不登校者も出てるらしいし、先生たちが見えない場所で暴力を受けていた子もいたはず。そういう荒れた背景が、この事件には関係しているのかもしれない」


 言いながら、姥沢うばさわはまた一つ、金平糖を口にした。もごもごと彼女の唇が微かに動く。


 再び下りた沈黙のなか、僕は先程姥沢うばさわと調査した教室の風景を思い出していた。

 次々につけられていくクラスの備品と私物のキズ。お世辞にも良いとはいえない荒れたクラスの環境。


 手がかりが少ないままに考え事をしながら、残りわずかのラムネを飲み干した。








‐3


 翌日、昼休み。

 四時間目の授業が終わってほどなくした頃、「沢渡さわたり、図書委員のがお前のこと呼んでたぞ」とクラスメイトの男子に茶化される。結構大きな声だった。僕はにこやかに「そっか」とだけ答えて、席を立つ。視線を上げれば、二組教室の出入り口のところに姥沢うばさわが立っていた。


「ふざけんなよー。沢渡さわたりも隅に置けねぇなー」

「同じ委員会同士でか。いいよな、そういうの」

「てかまだ五月だぜ。付き合うには早すぎるだろ」


 いつも昼を共にする男子たちから、しつこい囃し立て。何度も「姥沢うばさわさんとはそういうのではない」と言っても、彼らは面白がってやめない。


 だからもう、色々と見限っているのだ。彼女と行動を共にすれば、そういう風にからかわかわれてもごく自然なのだと。クラスで生活するうえでのリアルエンターテインメントとして、自分がネタにされていても仕方がないのだと。


 ある程度自分のそういった部分を切り売りしなくては、集団に適応することは難しい。僕という存在の、クラス内での印象は「案外に縁がなさそうだけどは色々と済ませている」みたいな少しマセたものだった。


 そして、そんな僕の相手としてたびたび持ち上げられる姥沢うばさわはというと。


姥沢うばさわちゃん、沢渡さわたりに襲われそうになったらすぐ俺達を頼れよー」


「つっつきやすい男友達にできた、かわいい彼女さん」といったところだろうか。


 そんな印象のせいで、姥沢うばさわはなぜか僕のクラスで妙に人権を得ていたりするのだ。僕はクラスの男子にも女子にもやいのやいの茶化され、姥沢うばさわはダメな彼氏の相手をさせられているかわいい女の子として愛されている。


 ますます騒がしくなる二組教室を離れて、僕は姥沢うばさわの隣を歩き出す。「行こうか」の返事は、「なんかごめんね」。そんなことを言いつつも、彼女はどこか嬉しそうで笑顔を隠しきれていなかった。

 いいんだ。本当に僕と彼女が付き合っていたら、そういった茶化しも心底面倒くさく感じるだろうけど、実際のところ僕たちは交際しているわけでもないから。


 それに。


「……学校って、そういうものでしょ」


 僕は姥沢うばさわに笑いかける。彼女は「そういうものかな」となおも嬉しそうに笑みを浮かべながら言った。







「図書委員会のことで少し話したいことがあって。ちょっと、呼んでくれない?」


 組教室付近で名も知らぬ生徒を捕まえて、姥沢うばさわがそう頼む。「棚町たなまち」と呼ばれて、一人の男子生徒が廊下に出てきた。

 身長は僕より頭一つ分高く、がっしりとした体格。肩幅が広く手足が長い。さっぱりとしたスポーツ刈り。運動部にでも入っているのだろうか。


 棚町たなまちは僕たちと対峙し、なんだか釈然としない様子でいた。彼の顔には「誰だ、こいつら」とわかりやすく浮かんでいる。

 それも仕方がない話だ。同じ図書委員といっても、所属している生徒全員が顔を合わせるのは月に一度しか行われない会議の場にのみ限られている。


「なんの用?」と訊ねてくる彼に対しての回答は、事前に二人ですりあわせておいた。


 昨日放課後に抜き打ちで司書の先生が委員会の活動を監査しに来たから、放課後当番の棚町たなまちくんは気を引き締めたほうがいい。もしかしたら、今日も抜き打ちで先生がやって来るかもしれないから。

 そう姥沢うばさわが伝えると、棚町たなまちは「マジ? わざわざ教えてくれてありがとうな」と顔をほころばせた。


 それから引き継ぎの委員会業務についてや世間話をいくつか織り交ぜながら、だんだんと話の方向をのほうへ向けていく。


「事件? なに、三組で何か起こってるの?」


 刺したのは、姥沢うばさわ


 でっちあげた抜き打ち監査の話から、三組の生徒で図書返却が遅れている者がいるという話。その生徒が不登校であるから仕方がないのだという棚町たなまちの返答を受けて、「不登校? 何が原因で?」という姥沢うばさわのわかりきった質問。棚町たなまちが三組の治安が悪いことを説明し、僕が「例の事件も起きてるぐらいだしね」と棚町たなまちに薄い同情。


 そこから、素知らぬ顔で姥沢うばさわがそんな質問をしたのだ。自然な流れで棚町たなまちから、クラスメイト目線の事件の概要を語ってもらう。


 ……が、小十分ほどで聞き取った内容は、僕が姥沢うばさわに伝えられたものとほとんど変わりなかった。被害を受けた備品や私物は姥沢うばさわの情報とぴったり一致していたし、物事の時系列にも間違いがなかった。


「……なんだか、期待はずれだね」

「そうだね。現時点で僕たちに足りない情報だけ訊ねて、おいとましようか」


 棚町たなまちに聞こえないように、そう二人で耳打ちし合う。足りない情報というのは、昨日確認できなかった私物の刃物痕のことと、被害を受けた生徒のことである。昨日は姥沢うばさわからジャージにキズをつけられた三名の生徒について確認が取れたが、通学鞄とハチマキのほうはまだ済んでいない。


 僕は棚町たなまちに言った。


「色んなクラスメイトの私物にキズがつけられているようだけど。……できればいんだけど、そのキズを実際に見せてもらうことってできないかな?」

「キズを? まぁ、いいけど。ほんとにちっちゃなキズだぜ。地味な嫌がらせ程度にしかならない、本当に些細なキズだぜ」

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