1-8
◇
学校は当たり前だけれど、静かな雰囲気で染まっていた。どこにも人の呼吸を感じさせない空気があって、いつもより重苦しさを感じさせてくるのは、おそらく気のせいではないと思った。
悠太と一緒にその空気感に絆されながら、校門をくぐる。学校の内も外も、あまりにも静かすぎる。部活が運営されていないのだから仕方のないことだけれど、いつもギリギリまで活動している運動部の声を今日に限っては求めてしまった。
いつものように下駄箱の方へと歩みを進めて、靴を履き替える。生徒は私と悠太以外いないと思っていたけれど、俊也のクラスの下駄箱を覗いてみれば、いくつかの靴がそこにはあった。
なんとなく、嫌な予感を覚えるけれど、どうしようもない。それを言い訳に逃げだしたい気持ちはあるけれど、いつかは向き合わなければいけないのだから、逃げ出すことは許されない。
私と悠太は教室に向かう。向かう場所が教室であっているのかはわからないけれど、ともかく足を運んで、そうして意識を逸らさなければ、何もできないような気がする。
そんなとき、悠太が手をつないでくれようとした。
手のぬくもりを感じる。少し湿ったような感触だった。それを受け入れることができれば、そのまま堕ちることだってできそうだ。
でも、私はその手のひらを拒んだ。敵意ではない、と示すように、ゆっくりと躱すように、そうして私は学生鞄を思い出すようにしながら、手を隠す。
そうしてはいけない。堕ちてはいけない。そんな本能に絆されながら、私は目の前の廊下を見つめることしかできなかった。
◇
教室の中には、私と悠太以外は存在しなかった。そして、周囲からの喧騒も何も聞こえることはなかった。まるで夏休みの中で学校に来ているような気分になる。でも、夏休みでもこの静けさを体感することはできないような気がする。
隣の教室が気になるけれど、結局は沈黙しか聞こえてこない。おそらくそこにも人はいるのだろうけれど、呼吸の音すら聞こえてこない。耳を澄ましている意味はどこまでも存在しなかった。
何もすることができない時間。携帯を取り出すのも億劫になって、そうして時計の分針が動くことに期待をして、ひとつひとつの時間を認識する。悠太も同じようなもので、座ってからは特に何か行動を起こすことはない。
私たちがついてからは、十数分ほど呆然とする時間を過ごしていた。しばらくして、廊下の奥の方から靴音が聞こえてくる。
その音に耳を立てながら、呼吸を落ち着かせる。逸る心臓の音が聞こえるようだった。その感覚を思い出したくはなかった。
「……ちゃんと来れたみたいだね」
靴音が寸前までやってきて、そう声が聞こえた。廊下に耳を澄ましてはいたけれど、視界は時計に釘付けだったから、ドアの付近にいる教師のことを認識することはできなかった。
私たちの学級の担任ではない。他学年で体育を担当している教師だったはずだ。もしくは生徒指導で有名な教師。でも、名前については覚えていない。
私はこの先生と関わったことはない。悠太も同じだろう。そして、それもそのはずだ。問題のある行動をとったことはないし、少しの悪戯心も高校の中で生まれることはなかったのだから。
だからこそ、彼と対面してしまって、心臓が止まる気持ちになる。背中に筋が入ったように、肩から力が抜けてくれない。
「んー、とりあえず、そうだな……」
私たちの顔を見て、悩むような声をあげる。私はどのような制裁をされるのだろう、という気持ちになって、気が気ではない。
「一人ずつ話を聞いていくから、生徒指導室前に来る感じにしよっか」
恐怖を覚える見た目とは異なって、優しい声音で教師はそう言葉を告げる。心臓に火がついたような感覚がした。
ちょっと待っててくれ、と教師は声をかけて、他の教室にいるらしい生徒を呼びに行く。私と悠太は座っている、ということはできなくて、なんとなく後方の、ロッカー際の方で立ちすくむ。その間にも会話が生まれることはなくて、静かに呼吸音を反芻した。
次第に足音が重なるのが廊下から聞こえてくる。それを合図としたように、私たちは立ちすくんでいた場所から顔をのぞかせるように廊下に出た。
教師の後ろには、数人の生徒。片手で数えられるほどの人数。私たちを含めても、両の手で足りてしまう。
「それじゃあ、ついてきてくれ」
教師の言葉に合わせて、私と悠太は彼らの後ろに並んでいく。一番後ろに並んだことは今までにないな、というぼんやりした気持ちと、これから何が行われるのだろうか、とわかりきっているはずの事柄に頭が半分に別れた。どうでもいい思考を働かせれば、更に考えるべき思考が半分生まれる。自分が分裂するような感覚を覚えながら、目的地まで歩き通した。
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