第24話.告白、リベンジです!〜怒ってもかわいいのずるい
館内を一通り見終えると、ぼくたちは売店付近のベンチに座った。
「ルーちゃん、かわいかったです……!。いつか私も飼ってみたいです」
「新名さん、すごく夢中になっていたもんね」
ウーパールーパーのルーちゃんと、10分以上は睨めっこしていた新名さん。興奮冷めやまない様子だ。互いに愛おしそうな目で見つめ合っていて……ルーちゃんが羨ましかったです。
けど、ここからが本題だ。
立って、今日彼女を誘ったのは――
「あのさ、昨日のことなんだけど」
「本音で、ですよね」
ぼくの言葉を待っていたかのように、新名さんは言った。
「実は昨日、相田さんと電話した後、奏ちゃんとも少しお話したんです」
「暁月さんと?」
「言われてしまいました。まだ相田さんと本音で話せていないんじゃないかって」
「それって、ぼくが新名さんといるときつらそうだっていう……」
昨日、暁月さんに言われたこと。
新名さんに抱く劣等感を、ぼくはまだ克服できていない。
その苦しみを、新名さんは察していたのかもしれない。
「……んです」
「え?」
「違うんです!」
新名さんは声を震わせ、その目は涙で潤んでいた。
「違うって?」
「私は……相田さんは奏ちゃんといる方がいいんじゃないかって……幸せなんじゃないかって……そう、思ってしまったんです」
予想外の言葉だった。
だって、ぼくが隣に立ちたいのは、ずっと、新名さんだけだったから
「どうして……」
「奏ちゃんといる時の相田さんは、私といる時よりずっと自然体で、活き活きしていたから。きっと、相田さんは奏ちゃんといるべきなんです。それで学園祭でも、私はあまり邪魔をしないようにしていたんですけど……」
違う。
「相田さんに告白された時は驚きました。でもやっぱり、私は付き合ってはいけない、相田さんは奏ちゃんといることが一番いいって、思いました」
そうじゃない。
「だから、相田さんにとって必要なのは、私ではないと思います」
「どうして、新名さんがぼくの必要なものを決めるの?」
ぼくは反射的に口を開いていた
初めての新名さんへの反論。
ぼくの知る限り、彼女の選択は、生き方は、これまでずっと正しかった。
でも、ぼくが選ぶべき生き方を、彼女が決めるのは、違うと思った。
「たしかに、新名さんといて心が落ち込むこともある。だって、新名さんはずっとぼくのあこがれで。この関係がどうしようもないくらい大切で。だからこそ距離を感じるのとすごく辛くて。絶対に、失いたくないものだから」
暁月さんは普段は少し(かなり?)生意気だけど、なんだかんだぼくたちのことをすごく考えてくれていて、いざというときには背中を押してくれる、大切な後輩だ。でも。
「ぼくは、近くにいるのに遠く及ばないこの不甲斐なさも、いつか離れるかもしれない不安も。そういうの全部引き受けて、それでも新名さんと付き合いたい。隣に立ちたい。あなたはぼくの特別だから。大好きな人だから。それが、今の気持ちです」
昨日は伝えきれなかった気持ち。
もう後悔はない。
新名さんは複雑な表情をしていて、それがどんな感情を含んでいるのか、ぼくは読み取ることができなかった。
少しの沈黙の後、新名さんは言った。
「相田さんの気持ちは、よくわかりました」
「うん――」
「でも納得はしていません」
やっとわかった。その感情は、彼女がこれまで決して見せなかったもの、怒りだ。
「……私もよろしいですか?」
「え?」
「私も言い返させていただいて、よろしいですか?」
「う、うん」
少ない言葉の中に感じる圧。
新名さんに感情をぶつけられたことなんて、一度もなかった。
でも、ぼくは今日そのためにここに来た。
だから、全力で受け止めたい。
「では、言わせてもらいますけど」
新名さんが大きく息を吸った。そして、そのエネルギーのすべてを、ぼくにぶつけた。
「相田さんは私を何だと思っているんですか? 私が好きだと言うなら、どうして他の女の子を、奏ちゃんをそんな風な目で見るんですか」
「え、えっと」
「身体を触られてまんざらでもない顔をしたり、胸や足に視線を移したり」
「いや、そ、それは」
ばれてたのか。最悪だ。暁月奏め。
「あげく、最近は名前で呼ばれたり。ずいぶん仲がよろしいんですね」
「それは暁月さんが勝手に言ったことで……」
新名さんはほっぺたをぷくーと膨らませ、ぼくを睨みつけている。
か、か、かわいい。
反省すべきなのは重々承知です。
でもこれって、新名さんがぼくに嫉妬してたってことですよね? 嬉しすぎます。
「……何ニヤニヤしてるんですか? 真面目に聞いていますか?」
「はい。すみません。」
でもやっぱり怖い。背筋が伸びる。
「まあ、相田さんの素敵なご趣味に口を出す権利はございませんけどー。どうせ私は奏ちゃんみたいに美人じゃないし、背だって低いですよー。……それに胸だって」
新名さんが視線を落とした。気にしてたのね。でも、違うんだ新名さん。貧乳には貧乳の魅力があるんだ。わかってくれ。ちな、胸が小さいのを恥ずかしがってるのがかわいいとか言ってるやつは真の貧乳派ではない。そもそも……って、そうじゃなくて。
新名さんは気持ちを落ち着かせるかの如く、一度深く息を吸った。
そして、その空気を吐き切ると、再びゆっくりと語りだした。
「こんな風に心の中で、相田さんを責めたり、暁月さんを憎く思ってしまったり。誰も悪くないのに。そんな自分がすごく嫌で。だからせめて、相田さんへの気持ちは忘れようって。それで……」
新名さんの頬を涙が流れる。
やっぱり、ぼくは最低な男だ。
大好きな女の子にこんな顔させるなんて。
「本当にごめんなさい」
「謝ることないですよ。どうせ私は女の子としての魅力に欠けて――」
「そんなことない!」
考えるより先に口が動いていた。
でも、彼女に伝えなくてはいけない。
彼女の知らない、彼女の魅力を。
「新名さんは誰よりもかわいくて。笑った顔が素敵で。本を読む横顔は繊細で、美しくて。それでいて、どんな場面でも堂々と話す姿はすごくかっこよくて。どこを取っても、何よりも、誰よりも、魅力的だから。ぼくは、そんなあなたのことが、新名智愛という人間すべてが、大好きです」
一息で、ぼくは彼女に告げていた。
新名さんは驚いた顔で固まっている。
そして、ぷっと吹き出した。
「ふふふ。そんなに熱くならなくても。ふふっ」
「いや、つい……」
「私らしくないとか思いましたか?」
新名さんはいたずらっぽく笑った。
「女の子はめんどくさいんですよ?」
その時ぼくは、彼女の知性でも、優しさでも、生き方でもなく、新名智愛という人間そのものに、落ちていた。
「改めて、告白してもいいかな」
「はい。待ってます」
ぼくは決意を新たに、、彼女に対するすべての想いを、真っすぐに伝えた。
「あなたの横で、生き方を模索する同志として、支え合う仲間として、信頼し合う恋人として、新名智愛さん、ぼくと付き合ってください」
「……ちゃんと愛してくれなきゃ嫌ですからね」
「わかってる。まかせて」
新名さんは顔を赤らめる。でもきっと、ぼくも同じだろう。
自分の頬が熱を帯びているのを感じたから、
「……そろそろ行きましょうか」
気がつけば、周りに人も増えていて、ちらちらと見られている。いそいで退散せねば。
「うん。行こうか。智愛さん」
※※※
「水族館、楽しかったですね」
チンアナゴのぬいぐるみを抱きながら、嬉しそうに話す新名さん。先ほど売店で購入したものだ。
売り場に並んでいる時はそれほどかわいいとは感じなかったが、なるほど。かわいい女の子に抱かれると、ぬいぐるみまでかわいく見えるんだな。ところで、チンアナゴのチンってどういう意味なんだろ。
「そうだね。また行こうね」
不思議なことに、好きな女の子と過ごしたことで、ぼくは水族館自体も大好きになっていた。これから新名さんと過ごす中で、ぼくの好きなものもどんどん増えていくのかな。
「『定言命法からは残酷さが臭う……』覚えていますか?」
「う、うん。『道徳の系譜』だよね?」
「はい。第二論文六節です」
急に始まる抜き打ちテスト。
ちなみに、定言命法はカントが用いた言葉で、理性の絶対的な命令、格率だ。まあ、要はみんなにとって正しい道徳くらいに考えればいい。と、前に新名さんが言ってた。
「私は、相田さんの事で不安になったり、奏ちゃんに嫉妬する自分が嫌で。だから、そうした感情よりも理性を優先するための選択をすべきだと思いました」
「うん」
「でも、ニーチェが定言命法、理性の命令を批判したように。私自身を肯定するために、自分を好きでいるために否定すべきだったのは、感情ではなく理性をだったのかもしれないなって、今になって思うんです」
「理性の否定、か」
ぼくは暁月さんの言葉を思い出していた。『正義や道徳、生きる意味について考えるなんて馬鹿らしい、だから自分は哲学に向いてない。』なんて言ってたけど。案外、一番ニーチェに近いのは、暁月さんだったりして。
「そういえば、ぼくも『道徳の系譜』で印象に残っている言葉があって。『病気であるということは、学ぶことも多いものだ』っていう部分なんだけど」
「第三論文九節ですね」
該当箇所を浮かべるのが早い。チエペディアって感じだね。
「うん。ぼくの心が万全じゃなかったからこそ、初めて話した時、新名さんの言葉が胸に染みたのかなって。それで、こうやって新名さんといられることを考えると、悩んだ時間とか苦しんだ経験も、それなりに意味があるのかなって思えるんだ」
「ふふふ。そうですね。自分の世界を広げると、自分の嫌なところが見えて、余計に苦しむこともあるけれど。でもやっぱり、自分に正直になって、それを乗り越えることほど、自分が望む自分に近づける経験は、ないのかもしれませんね」
新名さんの言葉は、自分に言い聞かせているようでもあった
「だから、よろしくお願いしますね。……翼、くん」
消えそうなくらい小さな声だったけど、ぼくの耳にははっきりと伝わってきた。
その特別な響きをぼくは噛み締める
「うん。よろしく。……智愛、さん」
やっぱりまだ照れてしまう。熱くて蒸発しそう。
でも、すごく幸せだ。
「新名さん、これ」
ぼくは、その熱気に任せ。あるものを取り出した。
「さっき、売店で買ったんだ。その、初めてのおそろい……みたいな」
「あ……ありがとうございます。大切にします」
照れながら、控えめに見せた彼女の笑顔が、なによりも尊くて。それが他でもない、ぼくだけに向けられたものであることが、どうしようもないくらい、嬉しかった。
(参考文献 ニーチェ著,中山元訳,2009「道徳の系譜学」光文社)
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