第21話.失恋したら後輩に絡まれました〜恋人繋ぎは恋人としようね
ぼくは部室を後にし、一人廊下を歩いていた。
照明はもう消えていて、職員室の光だけが淡く漏れ出ている。昼の活気が嘘のような静けさで、壁に残された装飾がどこか物悲しかった。
「せーんぱい」
聞き馴染んだ声が廊下に響く。
振り返った先には、ぼくの唯一の後輩がいた。
「いつにも増して暗いですね~。ゾンビかと思いましたよ」
「暁月さん……。どうしてここに?」
「いや~。花火のとき、先輩と智愛様が二人でいるのを見つけて。終わったら声をかけようと思ってたら、途中で別れていなくなっちゃうじゃないですか~。下駄箱を見たら先輩だけまだ残ってたみたいなので待ってました~」
「そ、そうなんだ」
「先輩、智愛様と何かありました?」
それは、いつもの冗談みたいな調子ではなく、残酷に、核心を突く問いだった。
「え、いや、それは……」
言葉を濁すことしかできない。
だって、答えたらきっと、ぼくの精神はもたないから。
「あ、答えたくなかったら大丈夫で~す。智愛様は門限とかあったんですかね」
「え? あ~。うん。そうそう……」
親切に用意された逃げ場。だがそれは、彼女の敷いた罠だった。
「告白したんですよね?」
「え? どうしてそれを……」
「したんですね⁉」
はめられた。フェイントだ。油断して、一度ガードを緩くしたところをやられた。
「智愛様に告白するなんて……。ぷっ、先輩って相当身の程知らずですね〜」
「いや、その……」
「それで振られて落ち込んでたんですね~。かわいそ~」
「……はい」
もはや言い逃れる術はなかった。暁月さんはニヤニヤと笑っている。本当に恐ろしい女だ。
「あたしでよかったら、話を聞いてあげましょうか?」
彼女はぼくの傷ついた心に寄り添うかのように言った。けど……余計に傷をえぐられるような気しかしない。「どしたん? 話聞こか?」には気を付けろって、教科書に書いてあったし。さっきからダメージしか受けていませんし。
でも、一人で抱え込んでも、なにも代わらない。
それに、ぼくはこれ以上落ちようもない。
ぼくは彼女の言葉に甘えることにした。
「……新名さんの理想の生き方に、ぼくは必要ないんだって」
初めて出会ったあの日から、新名さんはずっとあこがれで。いつか追いつきたい存在だった。そして、彼女の魅力に心惹かれる日々を過ごして、彼女の隣に立つことはぼくの成りたい自分に近づくことなんだと、そう思った。
でも、それはあの日の告白と、本質は何もかわらない。承認欲求という目的が、成りたい自分という大層なものに名前を変えただけで。ぼくが彼女に与えられるものがあったろうか。彼女の隣に立つに値する資格を、何か持ち合わせていただろうか。
「結局、ぼくの気持ちは新名さんに対する信仰にすぎなくて。単に、彼女に並べるような人になりたかっただけで。そんな人間が、彼女に必要とされるわけない……」
こんな自分が新名さんに愛されたいなんて。そんなの身勝手だ。
目に熱いものを感じる。それが惨めでつらい。
暁月さんは同情するでも嘲笑するでもなく、ただ、その美しい顔をぼくに真っすぐに向けていた。
だが、ぼくの言葉を聞き終えると、数秒の沈黙の後、彼女は呆れたように口を開いた。
「はあ。そんなだからモテないんですよ。先輩は」
「……え?」
どん底まで落ちたぼくの心に、ストレートなディスが撃ち込まれた。
想定外の角度からの攻撃に、涙も引っ込む。
「それはどういう――」
「だ、か、ら。信仰がーとか智愛様になりたかったーとか言いますけど。それって智愛様と付き合うことに何か関係ありますか? あたしだって、なれるもんなら智愛様みたいな知的でかわいらしい素敵な女性になりたいですよ」
「はあ」
いきなり強い口調で攻められ、気の抜けた反応しかできなかった。モテないこと、今は関係ないじゃないですか……
「ほんと、哲学する人って考えすぎて、逆に生きづらそうですよね。ソクラテスの裁判の話、初めて読んだ時びっくりしましたよ。このおじさん馬鹿なの?って。大人しくしてればと無罪だったかもしれないのに。自分の信念を曲げずに主張して、結局死刑になって。信念守るために自分の命捨ててどうするんですか」
満足した人間よりも不満足なソクラテスであれ、とまで言われる人を馬鹿呼ばわり……。偉い哲学者の先生方に怒られますよ。
「……智愛様も、理想の前に、自分に正直になるべきなんですよ」
「ん? それはどういう――」
「と、に、か、く、恋愛ってそんなに難しく考えるものじゃないですよ」
「それは暁月さんがモテるからじゃ……?」
というか、弄んでいるからでは? 男を。
付き合うって、相手に対する責任も生じるし、考えるべきことは多い気がするけど。
すると、暁月さんは小指で自分の頬を押しながら、数秒考えるように視線を上に向けると、ぼくに身体を寄せ、絡め取るようにぼくの手を奪った。そして、ぼくの指の間に自らの指を一本ずつ入れていき、それを握って……て、え⁉ え⁉ え⁉
「ちょっ、暁月さん!」
「はい? どうしました?」
「いや、えっと、この手……」
動揺するぼくをニヤリと見ると、暁月さんは耳元でこうささやいた。
「顔、真っ赤ですよ。せーんぱい」
ぼくは彼女の手を振りほどき、2メートルほど後ずさる。
戦闘態勢だ。
「先輩、何か勘違いしてませんか」
勘違いも何もあるか。いま貴様がしたのは――
「恋人繋ぎ、ですか?」
コクコクとぼくは頷く。
心を読まれたってもう驚かないぞ。
「でもこれって、やってること握手と変わりませんよね。単にこの手の繋ぎ方に、恋人同士の手の繋ぎ方っていう意味を付与しただけ。その意味を取っ払えば、何のことはない行為じゃないですか」
何を言っているんだ、この女。手を繋ぐことと握手は違うだろ。それに、ぼくは普通に握手でも緊張するぞ。
「あたし、カップルも同じだと思うんですよね。関係性に名前を付けているだけ。気が合う人間のことを友達って言うように、お互いの独占欲を認め合える関係を恋人って呼んでいるだけ。神聖なものでも、絶対的なものでもないです」
「ん……?」
「そもそも動物でさえ、自分で相手見つけて子孫残せるんですよ。ごちゃごちゃ考える方がおかしくないですか? もっと本能的なものですよ。恋愛は」
うーん、そうなのか。動物だってモテない個体もいそうだけど。
「でも、やっぱり恋人は、本当に好きな人同士であるべきなんじゃ。相手にも失礼だし。」
「はあ。学園祭のカップル見ました? なーんも考えてなさそうな人ばかりだったじゃないですか、あたしみたいに。むしろ、正しい正しくないとか、本当に好きかどうかとか。そんなこと真面目に考えている方が、恋愛からは遠ざかりますよ」
ほとんど偏見だと思うが一理ある、のか?。納得はいかない。
「ま、何が言いたいかというと。先輩たちはもっと根底にある感情に忠実になるべきだってことですよ。難しい言葉で固められた理屈に振り回されるんじゃなくて」
感情。
新名さんが選択を委ねたくないと言ったものだ。
……って、あれ?
「いま、『たち』って言った?」
「はい。だって、智愛様が先輩を必要としていないわけないですから」
「えっ?」
予想外の言葉だった。だって、新名さんはあの時はっきりと。
「智愛様は先輩と一緒に、この部活を作りたかったんですよ? 一人でもできるのに」
「それは……」
たしかに、新名さんはほとんどのことを一人で実現できる。それにも関わらず、彼女はこれまで多くの場面でぼくを頼ってくれた。その意味は何なのか。疑問は残る。
だけど。
「新名さんは、自分の理想の人生にぼくは必要ないって言ったんだ。ぼくに依存することになるからって」
そう。彼女はぼくを拒絶した。それだけだ。
だが、暁月さんは同意せず、考えるようにして答えた。
「……それ、たぶん、智愛様の本心じゃないと思います」
「え?」
「智愛様が先輩を信頼してること、傍から見てもよくわかりますし。休み日に智愛様の方から遊びに誘ってたじゃないですか。あたしは誘われたことないのに……」
心なしか、恨めしそうな顔をしている気がする。
「学園祭でも、先輩といる時、智愛様すごく嬉しそうでしたし。それで今になって先輩が必要ないなんて、おかしいですよ」
でも事実、ぼくは振られたんだ。必要とされなかったんだ。
「じゃあ、新名さんが嘘ついたって言いたいの?」
「そうですよ」
「そんなわけ――」
ぼくの返答を遮り、暁月さんは言った。
「先輩は智愛様と一緒にいる時、新名さんに比べて自分は……って、ネガティブになってませんか?」
「そ、それは……」
「そういうところ、智愛様は絶対に感じ取るはずだから。きっと、これ以上傷つけたくないって思ったんじゃないですか」
「あっ……」
もちろん、これは暁月さんの想像だ。たしかに与えられているのは、『新名智愛の理想の生き方に、相田翼は必要ない』ということだけ。
だけど、暁月さんの言葉に妙に納得する自分もいた。だって、新名さんほど意志の強い人間が、ぼくに依存なんかするだろうか。そして、その原因を断つような仕方で、これを避けるだろうか。彼女ならむしろ、自分の力でそれを乗り越えていくような気がする。
「言うまでもなく、先輩は智愛様の足元にも及ばないです。だけど、先輩は先輩で自己評価が低すぎますよ。あたしみたいな人間にばかにされても普通に受け入れちゃうし」
「ばかにしてたの⁉」
「ばかにされていると思わないあたりが末期ですね」
「んぐぐ」
やっぱりあれはばかにしてたのか。恐ろしい女。
「まあ、先輩は自分で思うよりずっと、智愛様が欲しいものをたくさん持っているんですから。……あたしなんかより、ね」
「そうかな」
ぼくが新名さんにあげられるもの。本当にあるだろうか。
「とりあえず、帰りましょ。そろそろ、玄関閉められそうだし」
気がつけば職員室の照明も消えており、廊下に人の気配はまったくなかった。
そして、そこを女の子と二人で歩く非日常感をどこか楽しんでいる自分が、とても嫌だった。
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