第20話.告白します~恋って何だろう

 日が沈み、星もぽつぽつと見え始めたグラウンドに、多くの生徒が群がっている。それはいつも過ごす学校とは違う、非日常的な場所に感じられた。


 隣には、この三ヶ月、毎日のように見た女神様のような横顔。暗闇に差すわずかな光によって照らされたそれは、この空間の何よりも美しかった。


「楽しみですね、花火」

「うん。そうだね」


 そしていよいよ、その時は来た

 ドン、っと打ち上がる音。

 

 ぼくは覚悟を決めた。


「あの、新名さん」


 ヒュルルと花火が昇る。

 生徒たちの歓声が響く。


「は、はい」


 ドーンという音。その振動を全身に感じる。

 ぼくは小さく息を吸い、真っすぐに、その目を見据えた。


「新名智愛さん。ぼくと付き合ってください!」


 このタイミング、このセリフ。

 それが正しいのかはわからない。

 でも、これが今のぼくにできる最大限だ。


「私も…」


 何かを言いかけた新名さんが、一度言葉を飲み込んだ。


 長い沈黙。

 いや、実際には三秒ほどだったかもしれない。だがその時間は、ぼくにはあまりにも重く感じられた。


 次々と花火が上がり、初めの振動が完全に過去のものになった時、彼女の口が再び開いた。


「ごめんなさい」


 その時、ぼくの世界から音が消えた。


「私も相田さんの事は好きです」


 新名さんの声だけが、脳に直接伝わってくる。

 流れているのは、新名さんと過ごしたたくさんの想い出だ。


 ごめん。

 もういいんだ、気を遣わなくて。

 ぼくは大丈夫だから。


「でも、私が最優先すべきは感情ではなくて、理性なんです」


 新名さんは目に涙を溜めている。

 彼女をこんなにも悲しませるなんて、ぼくは本当にどうしようもない人間だ。


「私は、ずっと自分の生き方ばかり考えてきました。どうすれば、納得のいく人生を送れるのか。人に依存することなく、生きることができるのかを」


 彼女は涙を拭い、真剣なまなざしを、ぼくに向けていた。


「もしここで相田さんと付き合うことを選択したら、どこかで依存してしまうかもしれない。感情に委ねた選択で、理想の生き方から離れてしまうのが、怖いんです」


 そうだ。

 彼女の理想の人生に、ぼくは必要ない。

 だって彼女は強いのだから。


「本当に、ごめんなさい」


 ぼくの方こそ、ごめんなさい。

 あなたにとって必要な人間になれなくて。


※※※


 気がつけばぼくは、誰もいなくなった部室にいた。

 

 あれからの記憶がない。おそらく、本能的に一人になれる場所を探して、ここにたどり着いたのだろう。


 新名さんは、感情に委ねた選択をするのが怖いと言っていた。愛という感情に身を委ね、告白したぼくとは対照的に。

 

 テーブルの上には、皆で作った冊子が開いて置いてあった。新名さんのまとめたページだ。そこでは、『ツァラトゥストラ』の一節が引用されていた。


『あなた方は言うのか? 私たちのツァラトゥストラへの信仰は堅い、と。だが、ツァラトゥストラそのものが何だろう! あなた方はわたしの信仰者だ。だが、信仰者そのものにいったい何の意味があるだろう。

 あなた方はまだあなたがた自身を探し求めなかった。そこでたまたま、私を見出すことになった。信仰者とはいつもそうしたものだ。だから、信仰するといってもたいしたことはない。

 いま、わたしがあなたがたに求めることは、わたしを捨て、あなたがた自身を見いだせ、ということだ。そして、あなたがたがみな、わたしを知らないと言ったとき、わたしはあなた方のところに戻ってこよう。』(「ツァラトストラ」贈り与える徳)


 そうか。

 そうだったんだ。


 ぼくは、自分の価値を創造したわけでも、選択したわけでもなかった。

 ただ、ぼくはきっと、彼女のような、のような人間に、なりたかっただけなんだ。


 でも、それは新名智愛とは正反対の生き方だ。

 彼女がツァラトストラなら、ぼくはその信仰者にすぎない。

 自分で生き方を切り開く人間と、その道に追従しようとする人間。目指す方向は同じに見えて、本質はまったく違う。


 そう。

 初めから、ぼくが彼女の隣に立つ資格は、なかったんだ……。



(参考文献 ニーチェ,氷上英廣訳,1967『ツァラトゥストラはこう言った(上)』)



 

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