第19話.お化け屋敷です~女の子の手は柔らかい
小川さんと暁月さんが入っていた2分後。
ぼくたちもいよいよ『呪いの館』に入館した。
「暗いですね……ちょっと怖いです」
「う、うん。そうだね」
新名さんに男らしいところを見せるチャンスだ。がんばらねば。
とはいえ、ゴールを目指して進むだけで、特にこちらからアクションすることはない。要は雰囲気が怖い迷路である。
教室も狭いため、あっという間に扉の光が見えてきた。
「そろそろゴールでしょうか……?」
不意にドンっと音が鳴った。
振り向くと、血まみれの髪の長い女の人が追って来ている。
「キャーーーーー!!!!!!」
新名さんの悲鳴が響き渡る。
かわいい……けど、とにかく脱出せねば
「い、急ごう」
ぼくは新名さんの手を引き、そのまま扉の方へと走る。怖がる新名さんを見て、考える前に身体が動いてしまっていた。そのまま外に脱出する。
「お疲れ様でした〜。またお待ちしてま〜す」
係の人に迎えられる。
よかった。生きてた。
「はあ、はあ。怖かったね」
「そう、ですね。……あの、手」
「あ、ご、ごめん!」
慌てて手を放す。夢中でずっと握ってしまっていた。柔らかった……。
少し決まずい時間が流れる。
お互い、顔が赤くなっている。
「お、お二人とも、いませんね」
「う、うん。もう行っちゃったのかな」
暁月さんと小川さん。お互いかなり意気投合してたし。そのまま、二人で別行動を始めていても不思議ではない。
壁の時計が目に入る。
自由時間終了まで残り三十分だ。
「新名さん、部室で少し話さない?」
「は、はい。構いませんよ。お二人もどこかに行かれたようですもんね」
「ありがとう」
部室はここから遠くはなかったが、近づくほど人は少なくなり、部室の周りはシーンと静まり返っていた。
さっき程までカフェだった場所。その扉を開けると、新名さんは本棚の横にある冊子を手に取り、ゆっくり椅子に座った。ぼくも一番近くにあった椅子に腰かける。
学園祭が始まってから初めての、新名さんと二人だけの時間だ。
「相田さんの『道徳の系譜』の考察。とても興味深かったです」
「ほんと?」
「はい!」
『他者と比べてしまう人間は、ニーチェからルサンチマンという事実を突きつけられたとき、真理を知った気持ちになってしまう。だが、そこで満足する人間は未だルサンチマンを脱け出ていない。なぜなら、彼らの満足はルサンチマンに気がついていない人間に対する優越に起因する。それもまた、ルサンチマンにすぎないのである。ニーチェを読む上で必要なのは、彼の思想を完璧に読み解き、それに満足することではなく、むしろ彼の思想を通じて自分の価値の創造へと向かうことなのだ』
新名さんは、ゆっくりと指でなぞりながら、ぼくの書いた文章を読み上げた。
「私はニーチェに惹かれた人間ですが、彼の背中を追いすぎて、視野を狭めてしまっては本末転倒だなって、改めて反省させられました。貴重な気づきを与えてくださり、ありがとうございました」
「それはこちらこそだよ。新名さんが紹介してくれたおかげで、ぼくもニーチェに出会えて、たくさんの事を学べたんだから」
ぼくがニーチェから、そして新名智愛から学んだこと。自分の価値を創造し、信じることにこそ価値がある。他者と比較する必要なんてない。
ぼくを苦しみ続ける劣等感という病。すなわちルサンチマン。これを再び突きつけたのが新名さんなら、これを乗り越える道を示してくれたのも新名さんだった。
「ねえ、新名さん」
彼女に抱く愛と嫉妬。二つの感情をいかに調停すべきか。ずっと考えてきた。
あの日、汚点となってしまったぼくの告白。そこには、自分の価値を信じる勇気も、他の価値を跳ね返す強さもなかった。
今のぼくが、その勇気と強さを備えているとは思わない。
「はい。何ですか?」
けれど、一つだけたしかなのは、新名さんの隣に立つ人間は、ぼくでありたいということ。それは間違いなく、他の誰でもない、自分自身の願い。
そうであるならば、ぼくの取るべき選択は、もう決まっている。
「今夜の花火。一緒に見ませんか――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます