第12話.テストが返ってきました~悪い女も事情があるようだ
「見てください! これ」
いよいよテストの返却日。
暁月さんは机に五枚の回答用紙を並べる。
点数は……全教科50点以上だ。英語に関しては75点も取っている。
「お二人とも本当にありがとうございました。おかげさまで無事、目標を達成できました」
笑顔を見せる暁月さん。よかった。ぼくも毎日教えた甲斐があった。
初めはなかなか理解してもらえなかったけど、段々「なるほど~」と言われるようになって。でも、テストが終わった直後に「数学自信ないです……」って聞いた時はどうしようかと思ったよ。……うう、泣けてきた。
それに、暁月さんのおかげでぼくもモチベーションが上がり、高校に入ってから一番勉強できたような気がする。特に数学は平均点の割にはかなり取れた。これぞWin-Winだね。
「奏ちゃん、おめでとうございます!」
「ありがとうございました。智愛様が用意してくれたプリントと同じ問題もあったので、英語はばっちりでした」
そういえば新名さん、自分が一年生の時の定期テストと睨めっこしてたな。傾向の分析もしていたのかな。さすが、新名さんであります。
「相田先輩が教えてくれたところも、すごく役立ちました。……ありがとうございます」
「う、うん。どういたしまして」
暁月さんに珍しく面と向かってお礼を言われる。嬉しいけど、少し照れくさいな。
はっ、これがツンデレの魅力……!
知らんけど。
「本当にお二人のおかげです。ありがとうございました」
暁月さんの笑顔。けれど、少し違和感があった。
だって彼女の表情は、いつもよりどこか、硬かったから。
「ふふふ。でも、忘れないでくださいね。一番は奏ちゃんの努力、ですよ」
「……智愛様!」
その優しい言葉に、抑え込んでいた感情が溢れだしたのか、暁月さんは新名さんの胸に顔を押しつけ、涙を流した。それを新名さんは優しく抱き返す。
「先輩たちの力を借りて、目標を達成できたのに……。こんな気持ちになっちゃうのは、すごく失礼だって……わかっているんですけど。あたし……悔しいんです。今までにないくらい勉強して、たくさん助けてもらって。それでも……それでも、平均点にすら届かなかった……。それで、何のとりえもない私が、努力をしても、意味……ないのかなって……思ってしまって」
暁月さんは嗚咽を漏らしながら言った。
そんな彼女を、新名さんはただ黙って撫で続ける。
「ごめんなさい。あたし、こんなの、智愛様にも相田先輩にも失礼で……」
暁月さんは袖で涙を拭く。
すると、新名さんはその背中をさすりながら、彼女に語りかけた。
「大丈夫ですよ。あんなにがんばったのですから、悔しいのは当然です。それに、奏ちゃんの努力は、決して無駄ではありませんよ。それは私が保障します」
「でも、あたしが達成したのは、他の人が難なくできるような目標で……」
「大事なのは、その悔しいという感情です。だってその感情は奏ちゃんの努力の結果で、奏ちゃんだけのものなのですから。それは間違いなく、奏ちゃんの世界を広げてくれるはずです」
「あたしの世界を……?」
「はい。過去のすべてが、今の自分を形成するのですから。無駄な経験なんて一つもないです。それに」
新名さんは腕を自分の後ろに回し、うつむいた暁月さんの顔を覗き込んだ。
「奏ちゃんは自分の行動で、なりたい自分に近づいたんです。私は、そんな奏ちゃんを尊敬します。次のテストでは平均点を越えられるように、またがんばりましょう」
「……智愛様、ありがとうございます」
涙を拭う暁月さんを、新名さんはもう一度撫でた。いいなあ。これが先輩と後輩か。青春だなあ。微笑ましいな。いや、うらやましいなあ。ぼくも撫でられたいなあ。
「あと、改めて相田先輩もありがとうございました~。またお願いしま~す」
少し煽りっぽい口調も含め、それはいつもの暁月さんだった。
「任せてよ。ぼくは先輩だからね」
「……あ、はい」
少し調子に乗っただけですぐツンとされる。次のデレはいつ見られるのかな。
「では、さっそく部活を……と言いたいところなのですが。実はこれから部長会があって抜けなきゃいけないんです。」
「そっか。学園祭も近いもんね」
例年、学園祭ではクラス単位だけでなく、部活単位での活動するところもある。本番まであと約一か月ということを考えると、そろそろ動き出す頃だろう。
「なので、今日の部活は相田さんにお願いしてもいいですか?」
「もちろん。任せてよ」
「え~。大丈夫ですか~?」
「う、うん。」
暁月さんにまたも煽られる。元気になったようで何よりです。
「それでは、よろしくお願いします」
※※※
こうして、新名さんに部活を託されたわけだが。
だからといって特別にやることがある訳でもない。いつも通り『自由論』の内容をまとめた原稿作りに取り掛かった。暁月さんも黙って本を開いている。
だが10分程作業した頃だろうか。暁月さんに声をかけられた。
「相田せんぱ~い。この機会に確認したいことがあるんですけど~」
「どうしたの?」
ぼくは手を動かしたまま問い返す。
「先輩は智愛様と付き合っているんですか?」
ボキッ! と、勢いよくシャーペンの芯が折れた。昨日下ろしたばかりのノートに穴が空いてしまう。
「な、なんで?」
平常心だ、平常心。答えはNOに決まってる。
たしかに、この間は二人で遊んだし、家に行ったこともある。プリクラでは腕を抱かれてもいる。
で、でも、別にそういうんじゃないんだからね。
暁月さんは動揺するぼくをみてニヤニヤしている。心の底から楽しんでいるという感じだ。さっきまで泣いていた人とは思えない。
「だって~、よく二人で一緒に帰ってるじゃないですか~。それに、休日も一緒に出かけたんですよね?」
くっ。ばれてやがる。いたのはイマジナリーの暁月さんだけじゃなかったのか。
「それは、たまたま家が近いからで。出かけたのも、本を買いに行っただけで――」
「ゴマフアザラシ。取ってあげたみたいですね」
「それは、うん」
新名さんから聞いたのかな。これはまずいぞ。
「なんか先輩といる時、智愛様楽しそうな気もしますし~」
「そ、そうかなあ。」
ぼくといる時、新名さん楽しそうなのかぁ。えへへ。……だめだ、顔がにやけてしまう。こんな時こそ爽やか笑顔だ。
「でも、付き合ってないから!」
つい大きな声を出してしまう。
絶対廊下まで響いたよ。恥ずかしい……。
暁月さんはポカンとした顔になったが、その後プッと吹き出した
「知ってますよ~、聞いてみただけですって。なに大きな声出してるんですか~? 智愛様みたいな知的でかわいくて魅力しかない人と、それをニヤニヤ見ているだけの先輩が釣り合うわけないじゃないですか~」
「……」
急に手のひらを返される。そうだこの女、男の敵だった。
……だけど、事実だから何も言い返せない。つらいです。
「まあ、それは冗談ですけど」
人を傷つける冗談はだめって、小学校で習わなかったのかな?
「……でも、少なくとも先輩は智愛様のこと意識してますよね。恋愛対象として」
ドキリとした。
いつものからかうような調子でなく、少し寂しげに発せられた彼女の言葉は、これまでぼくが目を背けてきた感情を、あっさりと開示してしまったのだ。
そう。たしかに、ぼくは新名さんのことが好きだ。でも、それはオタクが推しを愛でるような一方的なものだから許される感情で。
新名さんへの想いが恋だと認めることは、愛されたいと願う自分に逆戻りすることで。
新名さんとの出会いを通じて、自分がなりたいと願った自分から遠ざかることだ。
ぼくが彼女を、恋愛的に意識しているなら、ぼくはそんな自分を、引き受ける覚悟はあるのだろうか。
「先輩ってほんとおもしろいですね〜」
気がつけば、暁月さんは満開の笑顔の花を咲かせている。
「ぼくで遊んでる?」
「ごめんなさい〜。ちょっとからかいたくなりました~」
冗談なのか本気なのかちっともわからない。いつまでぼくを玩具にするのでしょう、この女は。
「あー。なんか元気出ました。ありがとうございま~す」
「それなら、よかったけど」
振り回されてばかりなのに、本人が楽しそうだからどうも憎めない。
と、思ってしまう時点で彼女の術中にはまってるんだろうな。恐ろしい女。
「からかいついでに、もう一つ私の話聞いてもらってもいいですか。」
顔は笑っていたが目は真剣だった。おかげで、何がついでかわからないのに、ツッコむタイミングを逃した。漫才の道は険しい。
「いいけど。何の話?」
「智愛様への愛ですかね。あたしの」
「はあ……」
ぼくが新名さんを意識していると言ったかと思えば、今度は自分が新名さんを愛していると。新名さんモテモテやね。
「まあ、とにかく聞いて下さいよ」
そして、暁月さんは話し始めた。
「実はあたし、双子の弟がいるんです。あたしと違って頭が良くて、性格も完璧で。昔はよく勉強を教えてくれていたんです」
暁月さん、弟いたんだ。なんとなく、兄弟はいないものだと思い込んでた。
でも、そんなに優秀な弟さんなら、ぼくたちに頼らずともテスト勉強を手伝ってくれたのでは? 人に頼るのが苦手ってわけでもないだろうし
「昔は、って。今は違うの?」
「はい。苦しくなっちゃったんですよ。弟といるのが」
「苦しく?」
「はい。弟とあたしは同じ親の遺伝子を継いでいて、同じ環境で育って。条件はまったく同じなのに、どこを見ても、あたしは弟より劣っているんです。唯一勝ってるのは、少し早く生まれたってことくらい……。弟といると、否が応でもその現実を突きつけられて、苦しくなるんです」
ああ、わかるな。
ぼくも劣等感という病に苦しめられ続けてきたから。
だけどたぶん彼女のそれは、ぼくよりもずっと深刻だ。生まれも、育ちも言い訳にならない。その原因をすべて、自分で背負わなければならないのだから。
「それで、あたしは弟に勉強を聞くのをやめて、少しずつ話すことも減って、気がつけば、弟を避けるようにまでなりました。弟は何も悪くないのに、本当にかわいそうですよね」
弟さんの事はよく知らないけど、きっといい人なんだろうな。
だけど、ぼくには暁月さんの気持ちが痛いほど理解できた。与えられる側には、与えられる側の苦しみがある。自分より優れた人間。彼らから何かを受けとることは、少しずつ負い目の感情を膨らませ、やがて、取返しがつかないほど大きくなってしまうのだ。
「部活に入ったのは、弟を避けたかったからでもあるんです。せっかく違う高校に入ったのに、家に帰ったら弟がいるし」
「そっか」
暁月さんも、いろいろ悩んでいたんだ。
ただ男を弄ぶ悪い女じゃなかったのね。
「……先輩、なんか失礼なこと考えてませんか?」
「いやいや、そんなことないよ」
びっくりしたー。暁月さんって、人の感情読むのうまいよな。たまに、心見られてんのかって思ってしまう。さすが、日頃から人をからかって遊んでいるだけある。
「まあ、それであたしは弟に頼ることはなくなったんですけど、智愛様のことは頼っていいと思えたんです」
「うん。知ってた」
ぎろりと睨まれる。つい本音が。
でもあなた、入部二日目で助けを求めておられたではありませんか。
「……続けていいですか?」
「はい」
すみませんでした。反省したので怖い顔しないでください。
「あたしが智愛様を頼れたのは、歳上だからっていうのはあるんですけど。一番は、あたしが受け取った親切を、きちんと返させてくれると思ったから」
「親切を返す、か」
そういえば前に新名さんに教えてもらったな。大きな親切は復讐を引き起こす、って。ツァラトゥストラの言葉だっけ。
復讐というのは極端だけど、親切を与えすぎると申し訳なさで相手を苦しめてしまうことはたしかにあって。
新名さんはきっと、そういうことも考えているんだろうな。
「まあ、今のところもらってばかりで、借金まみれですけどね。……でも、必ずお返しします」
けっこう繊細なんだな、暁月さん。
ただ、男の子の繊細な心も理解してくれると、とても嬉しいのだけれど。
「暁月さんにとって、新名さんはすごく大切な人なんだね。」
「当然です。だから、智愛様は私がいただきます」
「は、はあ」
新名さんはぼくんだ!
と、言いたいところだが、残念ながらぼくに止める権利はない。ぐぬぬ。
しかし、ぼくの頭にはまた別の疑問も浮かんでいた。
「ところで、そんな大事な話をどうしてぼくに?」
「なんとなくです。」
当然のように即答される。「何ですか?その愚問」とでも言いそうな表情だ。
「な、なんとなく?」
「はい。誰かに聞いてほしかったんですよ」
腑に落ちない。何となくでする話か? それだけぼくを信頼している……ということではないだろうし。
そんなぼく気持ちを察したのか、彼女は少し考えてから続けた。
「まあ、強いて言うなら……先輩にあまり興味がないからですね」
「え?」
信頼されてるとは思わなかったけど、興味がないまで言われるとは……。かなC。
「……それは悪口ですか」
「え〜と、先輩ってなんか暗いし、いつもうじうじしてるじゃないですか~?」
「悪口ですね」
やめて、ぼくのライフはもうゼロよ。
「そーですかね? でも、話したら意外とおもしろくて、割といい人だし。かといって、魅力的はそんなにないので。なんていうか、ちょうどいーんですよね~」
褒めて……ないな。うん。
「……どのような点でちょうどよいのでしょうか」
「だって、自分が好きな人に本音を話して、嫌われたら立ち直れないじゃないですか~」
「それは、そうか?」
「そうですよ。女の子は難しいんです。先輩も少し勉強したらどうですか?」
「うう」
女の子、難しい……。
「……まあ、あたしが好きな人と結ばれることはありませんけどね」
暁月さんは儚げに、ぽつりと漏らした。
「暁月さん?」
「いや、何でもないです。あと、一応先輩にも感謝してますよ」
「……そうなの?」
「こんなにからかいがいのある人、他にいませんからね~」
「……」
一瞬でも期待したぼくが馬鹿だった。やっぱりこいつは男の敵だ。
「まあ、先輩はお人好しなので、便利に使われないように気をつけてくださいよ~。疲弊して、これ以上暗くなったら困りますからね~」
「あなたがそれを言いますか?」
「あたしはいいんですよ~。可愛い後輩なんですから~」
「は、はあ」
ま、頼られるのは悪い気はしないけどさ。
……こういうところがお人好しなのか。
「そんなわけで。あたしは本読みますね~。先輩も作業に戻っていいですよ~」
暁月さんは勢いよく本を開くと、いつものように10秒で眠ってしまった。この人、本当に一冊読み切れるのか?
部室に静寂が戻る。ぼくもひたすら、原稿を進めていく。けれど、暁月さんのあの言葉が、頭からどうしても離れなかった。
『智愛様のこと意識してますよね?』
ぼくの新名さんへの感情はただの尊敬で、恋じゃない。新名さんにとってもぼくは単なる友達だ。それ以上でも以下でもない。繰り返し自分に言い聞かせる。
でも、もし……、なんて。つい淡い幻想を抱いてしまう。
この気持ちは、やっぱり甘えなのだろうか。
(参考文献 ニーチェ著,氷上英廣訳,1967『ツァラトゥストラはこう言った(上)』岩波書店)
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