ママのバクダン
ママが知らない男の人をお家に連れてくるのはこれが初めてではなかった。けれど、こんなに長く一緒に住んでいるのはシンちゃんが初めてだった。ママはシンちゃんのことが大好きなんだと思う。シンちゃんが来てから、ママはよく美味しそうなご飯を作ってくれるようになった。その日も公園から帰ると、ママがご飯を作ってくれていた。
「二人ともお帰り!どこに行ったの?」
ママの真っ赤な唇がにっこりと笑って三日月の形になった。小さい公園に行ったこと、ママに言ってもいいのかな。私はシンちゃんの方をこっそり盗み見た。
「公園に行った」
「あぁ!あの大きいところ?」
「いや、別なとこ」
それを聞くとママはちょっと眉間に皺を寄せた。導火線に火が付くかもしれない気配を感じて私は身体を固くした。けれど、予想に反してママは口をとがらせて意見を言っただけだった。
「シンちゃんって大きい公園あるの知らない?今度からそこにしなよ、トランポリンとかもあるし楽しいよ」
「うん、そうする」
私はほっと胸をなでおろして、なんでもなさそうな顔をしているシンちゃんと、小さい女の子がふてくされたような顔をしているママを交互に見上げた。ママは、シンちゃんの前だとバクダンにならないのかもしれない。私はいつもママが爆発しないように、息を殺してママのそばにいる。けれどママは、私がそっと吐いた息で爆発しちゃうこともあれば、私が動き回っても平気そうにしていることもあって、どうすればママが爆発しないでいられるのか私にはぜんぜん分からなかった。私とシンちゃんが手を洗ってご飯を食べている間、ママは「恋華がシンちゃんに懐いててよかった」「今日遊んでもらえてよかったね」と言ってずっとニコニコしていた。私も同じようにニコニコしながら、あまり食べ慣れない肉じゃがを口の中に一生懸命詰め込んだ。お昼に食べたおにぎりがまだ少し残っていて、お腹が重い。
ご飯を食べ終わってママとシンちゃんがテレビを観ていたので、私は二人をミサンガ作りに誘った。私がいろいろな色の刺繍糸が入った箱を見せると、二人は箱の中を覗き込んだ。
「何色にしようかな~」
母は箱に手を入れて、箱から紐を出したり戻したりした。桜色に染められた母の爪が、真っ赤な刺繍糸を無遠慮な手つきでつまんだ。
「からまっちゃう」
私がそう言ってママの手から刺繍糸を引ったくろうとすると、ママは途端にブスッとした顔になって「こんなので絡まんないから」と乱暴に刺繍糸を私の手に押し付けてテレビに視線を戻した。頬杖をついたまま顔をテレビの方に固定して、私の方はもう見ていない。黒いテープで綺麗に束ねられていた赤い紐が、その均質さを少し失ってしまったのを見て私は泣きたくなった。箱の中で赤い刺繍糸だけが、だらしなく弛んでしまっている。私は赤い刺繍糸を束ねていた黒いテープを外して、すっかりぐにゃぐにゃになってしまった赤い糸の塊を箱の中にそっと戻した。他の色の刺繍糸からも、全部黒いテープを外した。刺繍糸たちがみんなくったりとしている。
「いいの?」
シンちゃんがぼそりと聞くのに、私は黙って頷いた。声を出したら、なんでか涙が出てしまいそうだった。それから私とシンちゃんは、すごく重い空気でミサンガを作った。私が全然喋らなかったからかもしれないけれど、シンちゃんも何も喋らなかった。私が赤とオレンジのミサンガを作ってあげたときに「ありがとう」と言っただけだった。シンちゃんはそれをすぐに自分の足につけてくれたけど、私はシンちゃんにもらったミサンガをつけなかった。シンちゃんが選んだ赤とピンクと白は、私のための色ではないと思った。シンちゃんも、ママも、私のことを全然わかってない。
シンちゃんと私が二人だけでお留守番する日はそれからしばらくはやってこなくて、寒くなってきてママがニットを着るようになったころには、シンちゃんが家に来ない日も少しずつ増えてきて、それと反比例するかのように、なぜかママがよく私をドライブに連れていってくれるようになった。最初に見えたコンビニで温かいココアを買ってくれて、それから一緒に海を見たり、山の上からキラキラ光る夜景を見たりした。ドライブをしているときは、私は笑ったりはしゃいだりする必要が無くて、ただママの隣で外を眺めていたら良かったからとても居心地が良かった。私は母の車の助手席でうたた寝をしながら、「涙など見せない」で始まる曲を何度も何度もその微睡みの中で聴いていた。私が再びシンちゃんと二人で過ごすことになったのは十二月くらいのことで、そのころには私はママの車で流れていた曲をもうすっかり暗記してしまっていた。
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