最終話 めでたしめでたしで終われるように



 ドロシー様が聖女として認定されてから、1か月が経過した。

 ザルツ山でもようやく雪解けの時期が到来し、雪が解けた地面からは、ちらほらと春の草花や山菜が芽吹き始めている。

 うちの庭の隅っこにも、フキノトウに似た山菜がちょこちょこ生えてきていて、ちょっとニンマリしてしまう。


 フロースゲンマ、という名前のこの山菜は、成長するとヒヤシンスとアジサイを足して2で割ったような、独特の形をした小さな白い花を咲かせるのだが、地面の下から息吹いたばかりの芽は、苦みもえぐみも癖もなく、火を通すと甘みがよく出て本当に美味しい。

 風味としてはちょっとアスパラに似ています。


 個人的に一番好きなのはフリッターで、次点が蒸し焼き。

 フリッターは甘酸っぱいトマトソースかシンプルに塩、蒸し焼きはちょこっと酸味を足したバターソースつけて食べると、マジで最高なんだな、これが。


 それから、もうちょっとしたら始めようと計画してる事もある。

 デュオさんの店で、今年の春から新しく扱い始めた大豆を使って、醤油と味噌を自作してみようと思っているのだ。


 よその大陸のよその国はどうか分からないが、少なくとも私が住んでるこの国には、醬油と味噌は存在しない。

 米を炊いて食べる文化は一応あるのに。


 なお、最も重要な問題である醤油と味噌の仕込み方だが、これは『強欲』さんの権能を使えば普通に習得できるので、特に問題ないと見ていいだろう。

 成功すれば念願の味噌汁が飲めるし、何と合わせても美味しく頂ける最強クラスの調味料・ガリバタ醤油も作れるようになる。


 もっとも、どの料理にしたってメシマズ女の私にゃマトモに作れないんで、リトスにお願いする形になると思うけど。


 いや、私だって、このままじゃよくないとは思ってるんだよ?

 だっていつかはリトスも、好きな子と一緒になってこの家を出る日がやって来る。


 その時の事を想像するだけで、もう正直寂しくて寂しくて仕方ないが、目を背けてはいけない現実だ。

 私はいつまでも、リトスにおんぶに抱っこなままでいてはいけない。


 だから昨日、早速一念発起して、意気揚々とキッチンに立って包丁とリンゴを手に取り、ここはまずシンプルに、リンゴの皮剥きから始めてみようとしたんだけど――


 皮剥きを始めて1分と経たないうちに、キッチンの一部がエグい事になりました。


 ホントもう、パッと見のビジュアルがだいぶヤバかったんで、ここでは詳細な描写は避けるけど、なんかこう、刃傷沙汰の現場みたいになってしまった、という事だけお伝えさせて頂きます。

 モーリンに怪我を治してもらわなかったら、左の掌を何針か縫う羽目になってたと思う。


 あと、リトスがいない時にやらかしたからか、夕方仕事から戻ってきたリトスにもしこたま怒られた。

 一通りお説教を喰らった後、リトスがリンゴの皮剥きをマンツーマンで指導してくれたものの、どんだけ丁寧に教えられ、手取り足取り包丁とリンゴの持ち方などを指導されても、欠片も上達しないという体たらく。


 私自身、あまりに情けないこの結果が精神的にしんどくて、今朝になってから再チャレンジに走った。

 やや強めの口調で止めてくるリトスに、「ちょっと野菜を切るくらいならできるだろう、いや、できるはずだ」と強硬に言い張り、ニンジン切ろうとしたらうっかり手が滑って悲劇再び。


 そして再びモーリンのお世話になりました。

 お手数おかけして本当に申し訳ない。


 流石の私も気まずくて、いやはや、危うく左手の親指がなくなる所だったよ、とおどけて見せたものの、モーリンはすっかり呆れ顔で、『下手の横好きも大概にせぬと洒落にならんぞえ』と、苦言まで呈されてしまった。


 はい、そうですね。仰る通りです。

 返す言葉もございません。


 ついでに言うなら、まだリトス君は怒っていらっしゃるようだ。腕組みしながら半眼で、椅子に座ったまま縮こまってる私をじっと見ていらっしゃる。

 やべぇ。気まずいのと申し訳ないのとおっかないのとで、まともにリトスの顔を見られない。


 つか、そろそろ出かけなくていいのかな。

 いいんだろうな。

 昨夜「明日は1日休みもらった」…とか言ってたし。

 これは少々、長引くかも知れない。


「……うん。とにかく今回の事で、プリムがどれだけ料理に向いてないのかは、よく分かった。……もう僕も、いい加減吹っ切れたよ。前からシエラにも言われてたけど、そろそろ腹を括って動く事にする。


 自分に自信がない事を言い訳にして、これ以上後ろばっかり向いて黙ってたって、いい事なんて何もないよね。僕がウダウダして立ち止まってる間に、プリムがまた勝手に突っ走って、そのうち手の指が何本かなくなるかも知れないし」


 リトスは形のいい細い眉を真ん中に思い切り寄せ、深々とため息を吐き出しながら言う。

 だからゴメンて。

 つか、モーリンがいるから、指がなくなるような事にはならんよ。マジで。


「いい? よく聞いて、プリム。これからプリムは、包丁触るの一生禁止。今後包丁を使う作業は死ぬまで全部僕がやるから。そうじゃないと、胃が溶けてなくなる。分かった?」


「へ? 死ぬまで? ……い、いやいやいや! それはちょっと考え直そうよ!

 幾らなんでも行き過ぎだから! それじゃああんた、これから先好きな子ができても、いつまで経ってもお婿に行けないでしょ!?」


「お婿になんて行かないよ。好きな子なら今目の前にいるし。どこにも行く必要ないだろ?」


「――はい?」


「ああそうだ、キッチンのマットは買い換えようね。あれもう、洗っても綺麗にならないと思うし、僕自身あのマットを見るたび、君の怪我の事思い出して、複雑な気持ちになるから」


「いやあの、り、リトス君? 今なんて言ったの? 悪いんだけどその、なんか私今、幻聴っぽいものが聞こえてね?」


「幻聴じゃないよ。――そりゃ、照れ臭くて話の流れに無理矢理告白捻じ込んだ僕もよくなかったと思うけど、幻聴扱いする事はないだろ? それとも、幻聴だって事にしないとやってられないくらい、僕の事嫌いなの?」


「あ、え、いや、そんな事は、ない、けど」


「……そう。よかった。じゃあちょっと出かけてくる」


 混乱する私をよそに、リトスはさっさと椅子から立ち上がり、玄関に向かって歩き出す。


「えっ? で、でかける? どこに?」


「カトルさんの店。カトルさんの店は基本衣料品店だけど、材料を渡して頼めば彫金もやってくれるんだって。多芸だよね、カトルさんって」


「そ、そうなんだ。それでその、彫金? で、なに作ってもらうの?」


「それは勿論、指輪を作ってもらうんだよ。……。その、やっぱり今のは……告白として、なってなかったなって。

 だから……きちんとした指輪を作ってもらって、もう一度ちゃんとやり直すから、もう一度ちゃんと聞いて。――行ってきます」


 私を振り返る事なく、そのまま家を出ていくリトス。

 でも私は見てしまった。

 リトスの耳が、茹で蛸のように真っ赤になっていたのを。


 ヤバい。手が震える。

 動悸がめったくそに激しい。

 耳元で心臓が鳴ってる。

 なんか息苦しくなってきた。


「…………。どうしよ」


 私は無意識に呟く。

 一体何がどうなってこういう事になったんでしょう、神様。

 ねえこれドッキリじゃないの? 本当に本当の出来事なの?

 私ちゃんと起きてる? 寝ぼけて変な夢見てるんじゃないよね?

 いやまあ別に嫌ではないけどさ!


 ああもう!

 ホントマジでどうしていいのか分からんのですが!


『いやあ、春じゃのう。家の中まで春じゃのう』


「うっさい! 余計な事言わないでくれます!?」


 私はニヤニヤしながらのたまうモーリンに叫び返したのち、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。

 なんか、頭から湯気が出そうだった。



 洗濯機が止まるのを待つ間、近くに置いておいた椅子に座ってうたた寝していた私は、脱水終了の合図である甲高いアラーム音で意識を浮上させた。


「ふぁ……。なんか、懐かしい夢見たなぁ……」


 独り言ちながら伸びをして、洗濯かごを手に取って洗濯機の蓋を開ける。

 その中には、ここ数年で一気に数が増えた洗濯物がみっちり入っていて、思わず苦笑いが浮かんだ。


 あれからもう10年。

 私もリトスもそろそろ三十路に片足突っ込んだ歳になり、否が応でも年月の経過の早さを実感する。


 結局、あの後私は押し切られような格好でリトスと結婚し、20代で1男1女の母親になった。

 どっちも名付けたのはリトスで、長男はロイド、長女はロザリアという。

 私と違って、実にネーミングセンスがよろしい。


 ともあれ、結婚の話が持ち上がり、実際結婚するまでは、私は正直自分の気持ちさえよく理解できず、色々な感情を持て余していたのだが、いざ夫婦として生活を始め、時間を積み重ねていくうち、ようやく自覚した。


 自分の中で、リトスがどれだけ大きく大切な存在になっていたのかを。


(いや、そんなん結婚する前に気付けって話なんだけど)


 我ながらよく見放されなかったな、と呆れるほどの鈍さを、リトスは笑って受け止めてくれた。

 リトスは外で、「プリムには頭が上がらない」…なんて言ってるらしいけど、それはこっちの台詞だ。


 こんなニブチンでガサツな女の手を取って、今日まで力強く引っ張って来てくれた事、本当に感謝してる。ありがとう。


 あんたの心の広さと愛情ほど、得難いものはないと思ってるし、心底ありがたく思ってる。きっと私は、あんたに死ぬまで頭が上がらない。

 これから先も、ずっと大事にしていかないと。


 かごに移し終わった洗濯物を抱えて庭に出れば、綺麗に整えられた花壇と、可愛らしいサイズの家庭菜園とが同時に目に入る。

 今は時期的に、チューリップとパンジー、低木になるよう剪定されたブルーベリーの花が、丁度見頃を迎えているようだった。コケモモはもうちょっと後かな。


 ちなみにこれ、どっちもリトスの趣味だったりする。

 植物を種や球根から育てて開花した花を愛でたり、実った果実や野菜を収穫して、それを家族で囲むテーブルに乗せるのが大好きなのだ。

 モーリンの忌み人避けの結界のお陰で、猟師会の仕事があんまり忙しくないからこそできる趣味だろう。


 ……てか、今朝「一緒に洗濯物干すの手伝う」って言ってた、ウチのチビ共はどこ行った?

 全く、どうせまたあっちこっちを駆け回って遊んでるうちに、すっかり忘れちゃってるんだろ。

 ホント誰に似たんだ……って、私か。


 今、上の男の子が8歳で、下の女の子は4歳になるんだけど、見てくれはどっちもリトスに似たのに、中身は完璧私に似ちゃってんだよね、あいつら。

 山ん中でヘビ捕まえてブン回すわ、木登りの限界に挑戦して上から落ちて怪我するわ、ちょっと目を離すと、とんでもない遊びばっかりやらかしてくれる。


 ぶっちゃけた話、言いたくないし認めたくもないが、子供の頃の私とやってる事がマジ一緒。

 遺伝子って怖い。


 外見は天使だけど、はっきり言って中身はどっちも野生丸出しのやんちゃなガキンチョだ。ちょっとだけでいいから、中身もリトスに似て欲しかったけど、それは今更言っても仕方ない。

 そもそも五体満足健康体なだけで、十分ありがたい事だし。

 あとは、私のメシマズ女の特性を引き継いでいない事を祈るばかりだ。


 もし仮に、そんな負の遺伝子を引き継いでいるだなんて判明してしまった日には、どっちも奈落の底に沈むくらいショックを受けるだろうな。

 しばらく前、モアナん家にお呼ばれした時、あいつらに「お母さんの事は好きだけど、お母さんが作るご飯は好きじゃない」とかみんなの前で言われた時は、マジでヘコんだからね……。



 何気なく洗濯かごの中から引っ張り出した靴下は、リトスや私のものと比べるととても小さくて、半分以下の大きさしかない。

 でも、これでもだいぶ大きくなった。

 なんせ生まれたばっかの頃は、それこそ何もかもが、ままごと遊びに使う人形みたいなサイズだったから。


 ちょっとずつサイズが変わっていく服や靴下、靴なんかを目にするたび、つい「大きくなったなあ」なんて思ってしまう訳です。


 まあ、手伝いの約束をすっぽかしてくれた、愛すべき我がガキンチョ共には後で説教くれてやるつもりだが、いつも通り元気な事は評価しよう。

 あとは、何事もなく今日が過ぎていく事を祈るばかりだ。


 このまま最期まで平穏に生きて、そして『めでたしめでたし』で人生の幕を引けるように。


 って、いかんいかん。今は物思いにふけってる場合じゃない。

 とっとと洗濯物干しを終わらせて、風呂場の掃除を始めないと。

 この間買った本を読む時間がなくなってしまう。


 気を取り直して洗濯物干しを続け、ようやく全部の洗濯物を干し終えようか、といった頃合いになった時、家の真ん前にある道の向こうから、見知った顔がこっちへ駆けて来るのが見えた。


 モアナの娘のリリカ(6歳)と、シエラの息子のライル(5歳)だ。

 なお、蛇足ながら、私はまだギリギリ20代なので、村の子供達には「おばさん」ではなく「お姉さん」と呼ぶよう、周知徹底しています。


 一応ある程度覚悟はしてたけど、やっぱよそん家の子供からおばさん呼ばわりされるのは、なかなか精神的にクるものがあったもんで。


 え? 子供相手に見栄張るなって?

 別にいいでしょ。

 リトスは「そんな所も可愛い」って言ってくれたもん。


「プリムおねーさーん!」


「たいへん、たいへーん!」


「ロザリアが木の枝に引っかかって、下りられなくなっちゃったー!」


「はあ!? なにそれ!?」


 リリカとライルからもたらされた、なんともろくでもない報告に、私は思わず裏返った声を上げる。

 またかよ!

 何べん似たような目に遭えば懲りるんだあいつらは!


「ちょっ、それどこ!? どこら辺のどの木!?」


「あっちー!」


「ロイド兄ちゃんが下ろそうとしてるけど、上手くいかないのー!」


「ロイド兄ちゃんも引っかかりそうだったよー!」


「あーもー! ホンット目を離すとロクな事しないな! 悪いけど案内して!」


「うん!」


「落っこちそうだから急いでー!」


「ひえええっ! ロザリア! ロイドー!」


 私はリリカの先導で庭を飛び出して道を走り出す。

 全くもう! あいつらときたら!

 一体私はいつになったら、『穏やかな日常』ってのを味わえるんでしょうね!



                                  〈完〉

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