第52話 反省だけなら猿でもできる…はずなのに。



 高慢ちき襲来事件から3日が経過した。

 未だ村には、ドロシー様の実家のカンザス子爵家のみならず、教会側からの連絡もない。


 もっとも、子爵家から連絡がないのは仕方がない事だとも思う。

 子爵家は今、ドロシー様の身柄を教会に預けていてるので、ドロシー様の詳細な動向を全く知らないだろうし、教会から何らかの知らせでも来ない限り、教会でつつがなく職務に従事していると考えるのが普通なはず。


 問題なのは教会側の応対だ。

 不特定多数の人間の前で、自分達の立てた聖女が酷い醜態を晒したばかりか、身柄を預かっている子爵家のご令嬢を王都の外に置き去りにするという、色々な意味でアウトな行動を取っておきながら、未だにドロシー様を迎えに来る事も、謝罪の為の使者を寄越す事もしていないのだから。


 複数頭立てのいい馬車ならば、王都からザルツ村まで半日とかからないはずだし、足の速い馬で単身駆ければ、おおよそ2、3時間で山のふもとに辿り着ける、という事実があるにも関わらず、丸3日なしのつぶてというのはあまりに酷い。

 ハッキリ言って各方面から、無責任で不誠実だ、と見做されてしまっても、無理からぬ応対の遅さである。


 特に、カンザス子爵家には喧嘩を売っているも同然だ。

 相手が下位貴族だからって舐め過ぎだろ、教会。


 もしあと1日待っても何の連絡もなければ、こっちからドロシー様を連れてカンザス子爵家に行き、教会の応対も聖女の言動も全部、洗いざらいカンザス子爵にぶち撒けてやる。

 あと、面会の許可が下りるようなら、ヘリング様にも今回の事の顛末全部喋っちゃおっと。


 もしカンザス子爵だけでなく、筆頭公爵家の当主であるヘリング様にもこの話ができたら、あの高慢ちきは夏の到来を待たず、社会的に抹殺されるかもね。

 そしたら晴れて高慢ちきは、地力じゃ戻って来れない辺境の修道院にドナドナ確定だ。


 個人的には、貴族社会の安寧の為にも教会の今後の為にも、そして何より私達の平穏無事な生活の為にも、是非そうなって欲しいと心から思う次第。


 なんせ、侯爵令嬢だというあの高慢ちきが、現状いち貴族としてどれだけの権力と伝手を持ってるのか全く不明で、今後奴がドロシー様に対してどう出てくるか、私達にはほとんど予測がつかないし。


 分かっているのは性格が最悪だという事と、ドロシー様から聞いた、もう21歳になるのに結婚どころか婚約すら調わないと、貴族女性達の間で密かに噂になっている、絵に描いたような事故物件令嬢らしい、という事くらいだ。


 もしかしたら、10日くらい前にチラッと見た、聖女の事に関する記事――甘露芋に巻いてた新聞に載ってた――になら、それなりに詳しい事が書いてあったかも知れないが、今はもう綺麗に焼却処分されて畑の肥やしになっていて、読み返したくても読み返せない。

 ものの見事に後の祭りである。


 それから、高慢ちきの実家であるアムリエ侯爵家の話も、社交界ではほどんど聞かないと、ドロシー様は仰っていた。


 つまりアムリエ侯爵家自体には、社交界で評判になるような功績も、陰口を叩かれるような醜聞もなく、他の上位貴族の話題の中に埋もれてしまうような、平々凡々なお家だという事なんだろうが――

 その平々凡々なお家が、良識を下敷きにした、常識的な行動を取ってくれるかどうかは、また別の話だしなぁ。


 なんて、あれこれ考えて1人で語ってみたが、当事者であるドロシー様は取り立てて思い悩む様子もなく、実に生き生きと過ごしている。

 ストレスの大元から離れたお陰か、ここ3日の間で随分表情が明るくなり、目に見えて血色もよくなった。ご飯もきちんと3食モリモリ食べていて、健康そのものなご様子だ。


 それに、ドロシー様は貴族令嬢なのに飾らない性格で、近所のおばさん達と気さくに話すし、小さな子供達とも一緒に遊んでくれる。

 今日は酪農やってる若夫婦の所でおっかなびっくり牛の乳搾りに挑戦し、搾りたてのミルクの味にとても感動していたようだった。


 そこに特権階級特有の奢りは微塵も見られない。とてもいい人だ。

 本当、なんでこんないい人が、ずっとろくでもない目にばかり遭い続けるんだか。

 神様に物申したいくらいだよ。


 今のドロシー様の様子を見ていると、人間社会ってのはどこ行っても理不尽な事に溢れてるよな、としみじみ思ってしまう。


 この世の中ではいつだって、割を食う羽目になるのは弱い『いい子』で、貧乏くじを引かされるのは、力のない『いい人』ばかり。

 そしてその一方で、楽をしたり得をするのは、大抵は他人を顧みない『子悪党』や『はみ出し者』ばかりなのだ。


 私はかつて、そんな世の中が嫌いで仕方なかった。

 だから、ただひたすらガキの浅知恵で世の中に抵抗して反発して、突っ張って尖っていたのだが、そんな生き方をしているうち、ふと気付いたら、世間様から不良だのヤンキーだのと呼ばれるようになっていた。


 あんだけ嫌っていた、『いい子』に割を食わせ、『いい人』に貧乏くじを引かせる側の人間になってしまっていた訳だ。

 なんともお恥ずかしい話です。


 その時の罪滅ぼしってんじゃないけれど、せめて、ちょっとだけでも他の誰かの助けになれたらいいな、なんて、密かに思っている。

 自分でも調子のいい考え方だと思うし、こっ恥ずかしくて会社の友達にも言えなかった事だけど。


 まあそんな事はどうでもいい。

 今最も重要なのは、今日の夕ご飯をどうするかだ。


 今日は猟師会の仕事で、夜遅くまでリトスが帰って来ない予定なのだ。なんでも夜勤だった人が、急遽夜勤に入れなくなってしまったらしい。

 私は料理ができないし、やっぱここは伝家の宝刀、『強欲』さんの出番――


「おーい、プリムー! 手紙が届いてるぞーー!」


 色々考えながら歩いている所に、村の外から戻って来たジェスさん(みんな気を揉んでたけど2か月前に無事結婚。おめでとう)に声を掛けられ、足を止める。


「ジェスさん。手紙って誰から? まだエフィから手紙が来るには早いよね?」


「あー、差出人なら、見りゃあ分かるさ。村の代表に渡して欲しい、って事らしいが……差出人がコレだし、読むのはお前でいいだろ」


 呆れの色を見せながら言うジェスさんが、白い封筒を差し出してくる。

 受け取った封筒の裏に書かれた手紙の差出人は、神聖教会大司教、ラモン・ガナンシアとなっていた。

 やれやれ、やっと来たか。

 ジェスさんも呆れる訳だよ。


 私もジェスさん同様、呆れ顔をしながら手紙を適当に開封し、とっとと中身を確認する。

 手紙は、格調高い時候の挨拶に始まり、次いで、高慢ちきの振る舞いに対する謝罪と言い訳、ドロシー様を保護した事への感謝の礼、それから正式に謝罪の場を設けたいので、2日後の朝にこちらへ迎えの馬車を出す、という事などが、持って回った言い回しで、大変分かりづらく書かれていた。


 己の地位と身分の高さを当然に思っている人間特有の、無意識の傲慢さが文章の端々から思い切り滲み出ている。

 ぶっちゃけ読んでてイラッとします。


 うん。普段こういう文章に接する機会のない、平民に送る手紙としては実に不適切な書き方だ。読み手に対する配慮ってモンが微塵もないよ。


 あと、謝罪の場を設けたいんなら、まずはこっちにお伺いを立てろ。勝手に日時を設定するな。自分の予定じゃなくて相手の予定に合わせて、迎えを含めたセッティングをしたらどうなんだ。


 ウチの村に喧嘩売ってんのかな? この大司教様は。

 私は口の端が引きつるのを自分でもハッキリ感じていた。


 手にした手紙をぐしゃぐしゃに丸め、くずかごにポイしたくなるのをグッとこらえ、私は一度大きく息を吐いた。


 自分の事しか考えてない事が丸わかりな大司教には、本当イラつくしムカつくが、今後の面倒を考えると、ここで謝罪の申し出を突っぱねるのは得策じゃないだろう。

 それに、今ドロシー様を1人で帰らせるには不安が残る。

 ていうか、不安しかない。


 ドロシー様を1人で帰したりしたら、件の高慢ちきが何をするか分からないし、もし高慢ちきが何かしたとしても、教会がドロシー様を庇わないであろう事は確実。

 そんでもって、普段晴耕雨読に近い暮らしをしてる私達は、予定に余裕がある。

 となれば、出せる答えはひとつだけだ。



 そんな訳で、手紙が届いてから2日後。

 ドロシー様と護衛役のリトスの3人で馬車に揺られながら、私は窓の外を眺めていた。

 こっそり隠し持ってきた腕時計の文字盤が示す時間は、午前9時。


 きっと、この4頭立ての大層ご立派な馬車を出すよう言われた御者さんは、昨日の夜から準備をして、日も出ない早朝のうちから王都を出立したんだろうな、と思うと、何だか申し訳ない気分になってくる。

 今一番反省しなきゃならんのは、他人の予定や苦労を汲み取る気が微塵もない大司教だけど。


 ていうか、手紙に書かれてた差出人のサインを見て、一瞬、あれっ? って思った事がひとつある。

 手紙を寄越した大司教が、自分の名前だけじゃなく、家名も続けて書いてた事だ。


 教会で上の位へと上がり、要職に就く為には、出家して実家と縁を切り、世俗との関わりも絶たなきゃならないはずなのに、なんで手紙に縁切ってるはずの家の名前まで書いてんの? おかしくね?


 それは私のような、教会の人事や運営に関わりのない人間でも、比較的知ってる話だと思うんだけど、どういう事?

 ひょっとして大司教様は、出家した身でありながら未だに実家と裏で繋がってて、上位貴族の権力におんぶに抱っこでいらっしゃるって事ですか? 


 それとも、精霊の巫女わたしがまだ10代後半の小娘かつ、元上位貴族の平民なのを見越して、自分の元の身分と実家の力をチラつかせ、言外にプレッシャーかけるつもりだったとか?

 どっちにしても思考回路がクソですね?


 ああ、そういやドロシー様から聞いたんだけど、手紙に書かれてた大司教の家名のガナンシアって、社交界でも有名な銭ゲバ侯爵家で、高慢ちきの実家のアムリエ侯爵家と親戚なんだとか。


 そのアムリエ侯爵家も大変羽振りがよろしいお家で、当主のアムリエ侯爵は趣味の絵画を金にあかせて買い漁り、妻のアムリエ侯爵夫人は、常にキンキラキンの宝飾品をジャラジャラ着けて、これ見よがしに社交界を闊歩していらっしゃるそうですよ。


 つまり、アムリエ侯爵夫妻は、夫婦揃ってド派手な散財家だという事。

 しかしその散財っぷりに関する話も、既に社交界の中では飽きられていて話題として面白くないのか、誰も何も言わないらしい。それはそれでイタい事だ。


 なんかもうこの時点で、教会の司教によって聖女が見出されたって話自体に、裏金工作を下敷きにした出来レースの臭いがプンプンするんだけど、気のせいかな?


 ……はあ。今更だけど、大司教に会うのめんどくさくなってきたな。

 あの手紙の書き方と内容を見た限り、誠意のある謝罪は期待できないだろうし。

 馬車の中から、あちこちに木々や小さな林が点在する緑の薄い冬の草原を眺めつつ、私はこっそりため息をついた。



 教会が用意した馬車(結構速度が速かった)に揺られる事数時間。

 私達は丁度昼時頃、王都に到着した。

 そしたらなんと、大司教様に突然重要な仕事ができた、とかいう理由から、教会の中にある大変立派な応接室で2時間ばかり、放置プレイ喰らう羽目になりました。


 謝罪の場を改めて設けたい、とか言って勝手に日時を決めて、一方的に人を呼び付けておいて、いざ謝罪相手が教会に着いたら『仕事ができて手が離せない』?


 なんですかそれは。

 どんだけ私達を舐め腐ってやがるんですかね? 大司教様は。


 案内役の若い神官も元が貴族階級なのか、言動が露骨に慇懃無礼だ。

 常に顔面に張り付いている、人を見下したような半笑いが何とも胸クソ悪い。


 あのさ、「室内の調度品はどれもみな1級品ですので、みだりにお手を触れないようお願いします」ってなに。

 それはつまり、私達がよそ様の家のブツに興味本位でベタベタ触って、汚したり壊したりするような人間に見えるって事か。

 張っ倒すぞこのクソッタレ。


 それから、ドロシー様を厄介払いの如く部屋から追い出し、どっかに行かせようとするのもムカつく。何企んでやがるんだ。

 やっぱ教会こいつらの事は信用できん。


 ドロシー様をどこかへ連れて行かれるのを避けるべく、「予定外の待機時間が発生して退屈なので、ドロシー様に話し相手になって頂きたいのですが」とか、「まさか、謝罪を受けるべく訪れた場所でこのような事になるなんて。精霊様がこの事を知ったら、とても残念がられるでしょうね」とか、思い切り嫌味ったらしく言ってみた所、神官は鼻白みながらもすぐに折れ、ドロシー様が室内に留まる事を了承した。


 だが、その後も神官は態度の悪さを一切改めようとしない。

 態度の悪さをドロシー様に指摘され、注意を受けると、口では「申し訳ありません」だの言っておきながら、目はしっかりドロシー様を睨みつけ、挙句の果てには退室時、ドアを後ろ手に閉めながら舌打ちしてくる始末。


 これには、普段から温厚で辛抱強いリトスも顔をしかめ、ドロシー様に至っては、ソファから立ち上がって「お待ちなさい!」と声を上げたが、神官が足を止め、こちらに戻って来る事はなかった。


 かくいう私もブチギレ寸前だ。

 速攻後を追いかけて神官の胸倉ひっ掴み、全力で往復ビンタしてやりたい。

 あんの○○○○(差別用語)野郎、これから行く先々の角という角に足の小指をぶつけまくればいい!


 当然ながら、私やリトスが思い切り不機嫌になっている事に気付いたんだろう。

 ドロシー様は青い顔で私達に向き直り、思い切り頭を下げてくる。


「プリム様、リトス様、我が教会の神官が大変なご無礼を……! 申し訳ございません!」


 ドロシー様の声は震えていて、今にも泣きそうな雰囲気だ。

 いかん、落ち着こう。

 なんの罪もないドロシー様に当たる訳にはいかない。


「頭をお上げ下さい、ドロシー様。あなたの責任ではありません。それより今は、気分転換に別のお話に付き合って頂けませんか? ザルツ山に生えている、珍しい植物の話などいかがでしょう?」


「そうだねプリム。まずは……指で触れると葉が中央の葉脈に沿って、ピッタリ閉じる木の話なんてどうでしょうか。ドロシー様」


「……まあ。精霊の御山にはそんな木があるのですか。それは是非ともお話を聞きたいですわ。……ありがとうございます」


「どういたしまして。さ、こちらにお座り下さい」


 申し訳なさそうな嬉しそうな、ちょっと複雑な顔をしているドロシー様を、隣に呼んで座らせ、話を始める。

 そうしている間にも時間は淡々と流れ、現在クソ神官が退室してから約30分。

 誰も応接室にやって来ない。


 謝罪相手を2時間も待たせる事が確定してるってのに、茶の1杯すら出さんのか。ここの連中は。

 全く、どいつもこいつも! 一体どういう教育受けて育ったんだ!


 私が内心で思い切り憤慨していると、やおら室外からドアを控えめにノックする音が聞こえてきた。

 誰だ? もしかして、誰かがクソ神官の所業を謝りに来たんだろうか。


「? どうぞ」


「失礼致します」


 私が入室を許可すると、短くも柔らかい男性の声が聞こえてきて、静かにドアが開かれる。応接室に入って来たのは、恐らく教会とはあまり縁がないであろうお方――ヘリング様だった。

 え? なにゆえ?

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