第53話 援軍、醜態、底の浅い策謀



「久しぶりですね、プリム、リトス。またそちらでは色々とあったようですが、元気そうで何よりです」


 あまりに予想外な人物の登場に、思わず全員揃ってポカンとしてしまったが、ヘリング様から笑顔で挨拶され、私達は慌ててソファから立ち上がり、頭を下げて挨拶をした。

 ただし、子爵令嬢のドロシー様だけは簡易的なカーテシーをする。


「おっ、お久しぶりです、ヘリング様。先だってはプリムや他の村の仲間達の件で、大変お世話になりました」


「お久しぶりです。ヘリング様もお元気そうでよかった。今日は教会の方にご用事ですか?」


「いいえ、教会自体に用があって来たのではありません。……そちらは確か、カンザス子爵家のご令嬢ですね?

 初めまして、ヘリング筆頭公爵家の当主、フィリウス・ヘリングと申します。どうぞ楽になさって下さい」


「お気遣いありがとうございます。初めまして。カンザス子爵家が娘、ドロシーと申します。このような場所と状況ではございますが、こうして直接お会いした上にお声がけまで頂けて、とても光栄でございますわ」


「こちらこそ、王城の上級文官としての堅実な仕事ぶりと、分かりやすい指導で多くの文官から慕われていると評判の、カンザス子爵のお嬢様とお会いできて光栄です」


「まあ……。ありがとうございます。ヘリング公爵閣下からそのようなお言葉を頂けるなんて。父もさぞ喜ぶ事でしょう。

 ――所で閣下、今日はどのようなご用向きで……いえ、今こうしてこの場へお出でになられている時点で、どなたにご用がおありなのかは、明白になっているも同然でございますわね」


「流石はカンザス子爵の娘御だ。――はい。ここにはプリム、リトスの2人に会い、話をする為に参りました。数日前、神聖教会が擁立した聖女が起こした問題に関しては、私も聞き及んでおりましたので」


 ヘリング様は、ドロシー様と幾つか言葉を交わしたのち、私とリトスに向き直った。


「しかし……精霊の村の民を非礼の謝罪という名目で呼び出しておきながら、このような狭い場所に押し込めた挙句、茶の一杯も出さずに放置ですか。

 神聖教会の大司教殿は、君達に誠心誠意謝罪の言葉を述べるどころか、最低限のもてなしをする意志すらないのですね。どうやら常識や良識の尺度が、私とは大きく異なっておられるようだ。


 プリム、リトス。よければここを出て、軽く食事でもしませんか? 今日の再会を祝してご馳走させて下さい。この場の様子から察するに、大司教殿は、君達に昼食の時間も与えなかったのではありませんか?」


「え? あ、はい。その通りです……けど、それでも私とリトスは、教会の大司教様から正式に招待を受けた身ですし、勝手にここから出ていなくなる訳には……」


「大丈夫ですよ。最初に礼を欠いたのは教会側ですし、そもそも君達を連れ出すのは、筆頭公爵家の当主である私なのです。状況的にも身分的にも、大司教殿は文句を言えませんよ。あの方は、未だに過去の身分を引きずっておられますからね。


 よろしければ、ドロシー嬢もご一緒にいかがですか? 身分に拘わらず気楽に食事が取れるよい店ですよ。勿論、ドロシー嬢の分も私が責任持って奢らせて頂きます」


「……そうですわね。私は教会の末端に属するだけの身ではありますが、その私の目から見ても、此度の大司教様のなさりようは、あまりに酷いように思いますので。


 本来ならば私は、教会のシスターとして、教義に則った粗食を取らねばならない所でございますが、従うべき教会側に、こうまで礼を欠いた言動を見せ付けられると、教義を守る気も失せてしまいますわ。

 ……初対面の、それも貴きご身分である公爵閣下にお食事を奢って頂くとなりますと、少々気が引けてしまいますけれど……」


 にこやかな表情で、強引にどんどん話を進めていくヘリング様に、ドロシー様が少しだけ困ったような顔で笑いながら答える。


 まあ、正直こっちとしても、ホントにいいのかなあ、とか思わなくもないが、この国で国王に次ぐ権力を持ってる、ヘリング様がここまで仰ってくれてるんだし、固辞するのは失礼だろう。

 誰かの厚意に甘えっぱなしでいるのは問題だが、遠慮してばかりいても失礼になる。それが人付き合いというものだ。


 てな訳で、私達はヘリング様のお言葉に甘えて、教会の応接室をとっとと後にした。

 途中にいた警備役の僧兵に、今からちょっと食事に出てくる、とヘリング様が(一方的に)告げてくれたので、私達が気にする事は何もない。


 立派なヘリング公爵家の馬車に乗り込み、そのまま30分ほど移動した先にあった、ハイソな雰囲気の素敵なカフェに連れて行っても羅った私達は、美味しいランチメニューをたっぷり楽しんだ。


 正直言うなら最初の頃は、私もリトスもドロシー様も、ヘリング様に失礼があってはいけないと緊張していた。

 なんせ、私とリトスは今やすっかり上位貴族のマナーには疎くなってしまっていたし、ドロシー様も、上位貴族と下位貴族ではマナーが異なる部分も多い事を理由に、思い切り肩肘張っていたのだ。


 だがヘリング様が、「マナーを気にかけて、神経質になられる事はありませんよ。ゆっくり食事を楽しんで下さい」と寛容な事を仰ってくれたので、すぐに食事を楽しむ余裕ができた。


 やっぱ、真に高貴な人っていうのは、人としての器が違うものなんだね。

 それでも一応、あんまり食器をガチャガチャ言わせないように気を付けたけど。




 こうして、行きと帰りの移動時間含め、3時間ほどの時間を教会の外で過ごし、時折談笑などしながらのんびりした足取りで元いた応接室に戻ると、見るからに特別そうな意匠の聖衣を着込んだ、でっぷり太った禿げ頭のおっさん――多分、このおっさんが大司教なんだろう――が、露骨にイライラしながらソファに座って待っていた。


 そりゃイライラもするか。

 単純計算でおよそ1時間半ほどの間、ここで私達を待ちぼうけしていた訳だから。

 ていうか、よく律儀にここで待ってたな。このおっさん。

 今までさぞ暇だっただろうに。


 でもぶっちゃけ、大司教に対する罪悪感はゼロだ。

 だって、最初に失礼な真似しまくったのは大司教だもんね。


 ヘリング様から事前に言われていた通り、私達は、わざとヘリング様の入室を一番最後にし、涼しい顔で「お待たせしました」とか何とか言いながら、しれっと応接室に足を踏み入れた。

 すると、大司教は不機嫌な顔のまま、ソファから立ち上がりもせず、はあぁ、とわざとらしいため息を吐き出しながら私達に目を向ける。


「皆様方、随分と遅いお戻りでしたなあ。此度はわざわざ馬車まで出して、あなた方をここへお招きしたというのに、一体どこで油を売っておられたのやら。

 そもそもドロシーよ、客人を諌めるどころかお前まで一緒になって他所へ出るなど、一体何を考えておる。ここで安穏とした暮らしを送るうち、お前はこの私がどこの誰であるのか、すっかり忘れてしまったようだな? よいかドロシー、私は――」


「――元ガナンシア侯爵家の3男で、名をラモン。現在はガナンシア侯爵家と縁を切って出家し、神聖教会大司教の地位を得ている者。ゆえに、今はただのラモンという一個人に過ぎない。そうですよね?」


「――は? あっ、えっ? ……あ、あああ、あなっ、あなた様は……っ!」


 今の今まで取っていた、横柄で不遜な態度はどこへやら。

 見事なアルカイックスマイルを浮かべて入室しながら、大司教の今の正式な身分を指摘してきたヘリング様に、大司教は思い切り狼狽えつつソファから立ち上がった。

 ふーん。ヘリング様相手ならソファから立つんだな。お前。



 一見重厚そうでいて、その実大した厚みのない応接室のドア。

 教会が擁立した聖女アミエーラは、そのドアにベッタリと張り付いて室内の話を盗み聞いていた。

 侯爵令嬢とは思えぬ不作法ぶりである。




――こ、これはヘリング公爵閣下、ようこそお出で下さいました。しかし、貴い御身であらせられるというのに先触れを出さず、突然お1人で来訪されては、こちらとしても少々困るのですが――


――これはまた異な事を。神聖教会は、一切の身分や立場の垣根を除外し、あまねく民をいつ何時も受け入れる、と経典にて明言されているというのに。まるで、私に今ここへ来られた事が迷惑だと言わんばかりだ。


――いっ、いえっ! 決してそのような事は! た、ただ私は、上位貴族という責任あるお立場のお方が、貴族としての作法をお守りにならぬというのは、いささか問題なのではないかと……。


――おや。おかしな事を仰いますね。我々貴族の間でも、公的な理由や職務に関わりのない、完全な私用である場合は、先触れを出さずに大聖堂や教会の支部を来訪しても不作法には当たらない、とされているではありませんか。

 もしや……元はご自身も上位貴族であり、今や大司教という責任あるお立場にある方が、そのような基本的な事すらご存じないので?


――いっ……!? あ、い、いいえっ! 存じております! 存じておりますとも! わわ、私はただ、ヘリング公爵閣下の御身を案じておりましただけでっ!

 んん、ゴホンっ! そ、それより、困りますぞ公爵閣下! よく知りもせぬのに、本日我が教会がお招きしたお客人を勝手に連れ出し、何時間も拘束なされては。

 閣下のようなご身分の方からの申しつけでは、お客人も逆らえなかった事でしょう。


――いいえ、ザルツ村の方々と私は、決して知らぬ仲などではありませんよ? なにせ我がヘリング公爵家も、当時の国主が引き起こした問題の解決に動き出された、ザルツ村の方々の為、多少貢献させて頂きましたので。

 特にプリムとリトスの2人とは、それなりによい関係を築かせて頂いていると自負しております。


――そうですね。私も、ヘリング公爵閣下には当時とてもよくして頂いた、とリトス達から聞いております。御身の危険も顧みず、国主が放った者共の魔手から守り、匿って頂いたと。

 その節は本当にありがとうございました、閣下。私を含め村の者一同、当時の閣下の勇気とご英断に、心から謝意を感じております。


――そうですか、そこまで持ち上げられてしまうと少々面映ゆいですが、ここは素直にあなたの言葉を受け取るべきでしょうね。私としても、あなた方の助けになれた事を誇りに思いますよ。


――それより……私個人としては、謝罪の場を設けるという理由で、相手の都合もなにも考慮せず、一方的に来訪の日時などの予定を決め、半ば強引にお連れした客人を、職務の多忙を理由に一切のもてなしの用意もなく、2時間も応接室に放置しようとした方の、厚顔無恥ぶりの方がとても気にかかるのですが。


――挙句、実際に客人の応対に当たった神官は、客人に対してもてなしの心を持つどころか、まるで無為に押しかけて来た酔客でもあしらうかのような、それは酷い態度だったと聞いておりますし、そちらにおられるドロシー嬢に対しても、大変不遜な言動を取っていたとも聞き及んでいますよ。


――幾ら教会内部にシスターとして身を置いているのだとしても、出家していない以上彼女は子爵令嬢だ。教会内での教義などもありますから、へりくだれなどというつもりは毛頭ありませんが、必要最低限の礼節を以て接するべきなのでは?


――あ、あ、そ、それ、それは……。


――おや? 何を驚いていらっしゃるのですか、大司教。ここへ客人を招いた者が犯した非礼は、それだけではないのですよ?

 通常、目的はなんであれ、会食を伴わぬ場に客人を招く際には、客人の移動時間などを逆算し、客人が途中で空腹を抱えたり、睡魔に襲われたりせぬよう十二分に配慮するのが、ホスト側が払って当然の気遣いであり、礼節です。


――だというのに、ここへ客人を招いた者は、客人の到着時間になんら頓着をせず、昼時に到着して内心空腹を抱えておられるであろう方々を、何もない部屋の中に茶の1杯すら出す事なく、身勝手な都合で押し込め続けようとした。

 来訪される方々の身分が平民であるという事を理由に、客人を見下しておられたのでしょうか。


――大司教。身分は大きく異なれど、私も妻も、プリムとリトスを友人にも等しい存在だと思っております。その2人を粗雑に扱われた事に、私は大変な不快感を覚えているのですよ。

 此度の予定を汲んだ責任者を、ここへ呼んで頂きたい。私自らその者と、此度の件をしかと話し合い、プリムとリトスに誠心誠意謝罪させねば気が済まないのです。


――せ、責任者、ですか。それ、それについては、後でしっかりと、関係者の洗い出しを……。


――なぜ後になるのです。此度の件に関係する者が、複数名に及ぶとでも仰るのですか? このような杜撰な計画を立てた者が、教会内には何十人といると。

 今日び、デビュタントが済んだばかりの小さなレディでも、ここまでの醜態は晒さないというのに、なんという体たらくでしょう。


――重ねて申し上げます。此度の予定を汲んだ責任者を、ここへ呼んで頂きたい。そして、可及的速やかに相応の対応を成される事を強くお勧めします。このままでは最悪、御身の破滅を招きかねませんよ。それをお分かりになっておられないのですか。


――は……あ、い、いえ……。そ、それは……そのぅ……。




 応接室内の会話をずっと聞いていたアミエーラは、大して厚みのないドアに耳を密着させたまま顔をしかめ、内心で(あの役立たず! 年若い公爵相手にあっさり押し切られてるんじゃないわよ!)と、大司教を罵りながら舌打ちした。


(全くもう! これだから、お金儲けしか能がない家の甘ちゃん坊やは! こうなった以上、やっぱり私が出るしかなさそうね!)


 アミエーラは張り付いていたドアから離れ、背後を振り返る。

 そこには、教会のシスター達を半ば恫喝するようにして用意させた、ティーセットと茶菓子が乗せてあるワゴンが一台置いてあった。

 当然このワゴンも、アミエーラがシスターに言いつけてここまで持って来させたものだ。


(ふん。安心なさい、役立たずのおじさま。謝罪がどうのなんて話し合い、すぐにできなくしてやるから……!)


 ニヤリと笑うアミエーラの手には、無色透明の液体が入った小瓶がひとつ、握られていた。

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