第51話 大司教の誤算と不運な子爵令嬢



 その日の午後、神聖教会の司教達を束ねる立場にある初老の男性――大司教ラモンは、自室で1人優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。

 ラモンが侯爵家の令息であった頃からの習慣である。


「ふう……。これで王都も王家も、そして協会も、完全に落ち着く事であろう……」


 ラモンは静かに独り言ちる。

 先だって、あの女狂いの大馬鹿者が民衆の前で絞首刑に処され、次代の王の即位にも一定の筋道がついた。


 そして、件の大馬鹿者の処断を行うに当たって、9年前に大罪系スキルの所有を理由に放逐した公爵令嬢と第2王子の件も、上手く有耶無耶にできている。


 もっとも、それは公爵令嬢と第2王子が王都への帰還や、本来の身分・地位と名誉の回復を望まず、片田舎での静かな暮らしを選んでくれたお陰でもあった。

 その点に関しては、ラモンとしても心から両人へ感謝を捧げたい所だ。


 何もない山中の村に引っ込んで、他の平民と混じって貧しい暮らしをする事の一体どこに、王位や公爵家の継承権を捨てるほどの価値があるのか、ラモンには全く理解できなかったが。


 なんにせよ、此度の聖女擁立の効果は大きかった。

 かの公爵令嬢が愚王の処断に多大な貢献をした事により、一時期落ち込んでいた貴族達からの支持も、今やすっかり元通りになりつつある。


 いや、上手くすれば、現状大きく落ち込んでいる他国からのレカニス王国の評価を飛躍的に上げ、更なる信仰を集める切っ掛けにもなるだろう。


 聖女の力の最たるものは、『慈善』のスキルがもたらす強力な治癒と加護の力だが、そんなものは魔法でどうとでも誤魔化しが効く。

 何より、今のレカニス王国には戦火の足音は聞こえず、大規模な災害の予兆もない。

 小手先の誤魔化しでも、十分聖女として立ち続ける事ができるはずだ。

 香り高い紅茶を口に含みながら、ラモンは満足気にうなづいた。


 今回聖女として立てたのは、ラモンの実家であるガナンシア侯爵家の親戚に当たる、アムリエ侯爵家の末娘・アミエーラ。

 無論、最初に聖女候補としてアミエーラを推したのはラモンである。


 ラモンがアミエーラを推薦したのは、水面下で聖女擁立の話を聞き付けたアムリエ侯爵から、密かに多額の献金を受け取っていた事が最たる理由だ。

 しかしながら、ただ金に目が眩んだだけで、アムリエ侯爵の差し出す手を取った訳ではない。


 一度アミエーラと対面し、聖女として、神聖教会の御印として相応しい資質があると、そう判断したからこその推薦でもあった。


 他者に軽んじられる事のない高貴な血筋、美貌。

 上位貴族の令嬢としての知識と優雅な所作。

 そして、他者を前にしても揺らがぬ意志の強さ、毅然とした態度。

 これこそ衆人環視の前へ出るに相応しい聖女であろうと、ラモンは確信していた。


 ただ――ラモンは知らない。

 アムリエ侯爵は、末娘を客観的に評価できない親バカな上、娘の言う事ばかりを何でもホイホイ鵜呑みにする、どうしようもないバカ親であるという事。


 そして。アミエーラが途轍もない猫被りであり、侯爵令嬢としての地位に相応しい振る舞いをするどころか、常日頃から傲慢で我が儘放題な言動を繰り返し、嫁のもらい手以前に婚約者探しにすら苦心している、ド級の事故物件娘であるという事を。



 世の人は言う。

 無知たる事は罪であるが、それと同時に幸福な事でもあり、世の移ろいを知らぬ者は神にも等しい余裕を持つ、と。



 今のラモンはまさに、上に記した言葉通りの状態にあった。

 しかし、そんな優雅で余裕のある状態が長く続くはずもない。


 ラモンが小さなスコーンに手を伸ばそうとしたその時、「大司教様! 大変です!」という切羽詰まった声と共に自室のドアが乱暴に開け放たれた。

 誰かと思えば、ラモン子飼いの神官長だ。


 ラモンは反射的に肩を大きく跳ねさせつつ、口から飛び出かけたみっともない悲鳴を、寸での所で飲み込んだ自分を褒めてやりたい、と心から思った。

 それから、余裕を取り繕う為にティーカップを手に取る。


「……っ!? な、なんだ騒々しい! 神の膝元に近しい、神聖な神殿内でそのような――」


「そ、そのような事を言っている場合ではありませんっ! せ、聖女様が、アミエーラ様が教会の許可なく神官達と側仕えのシスターを連れて、かの精霊の村へ押し掛けようとしたと……!」


「ブフッ!!」


 その言葉を聞いたラモンは、口に少量含んだ紅茶を反射的に噴き出した。


「だっ、大司教様!?」


「ゴホッ、よ、よい、気にするな。……して、聖女はどうした? 精霊の村から無事歓待を受けたのか?」


「い、いえ、それどころか、御山の周囲に張り巡らされた、悪意ある者を退ける結界に阻まれて入山できず、衆人環視の中酷い醜態を晒した挙句……つい先ほど、全身泥にまみれたお姿で、失神したままご帰還されたそうです……!」


 ラモンの顔から血の気が引く。

 手から滑り落ちてテーブルの上に転がったティーカップは、白いテーブルクロスの上に赤茶色の染みを瞬く間に広げていった。


「……。我らが……神聖教会が立てた聖女ともあろう者が、悪意ある者を退ける結界に阻まれ、村へ参じるどころか山にすら入れず……だと……?」


「……はい……。そのように、伝え聞いております……」


「……神官長。今しがた、聖女が酷い醜態を晒したと言ったな? 具体的には、どのような醜態だと聞いている……?」


「……同道した神官達が言うには、聖女様は結界に阻まれて入山できない事に、酷く激高されたそうで……。他の者達の入山を妨げたまま騒ぎ続け、お諫めしようとしたシスターに手を上げようとした、そうです。


 そして、自分でも知らぬまま、結界の中へ逃げ込んだシスターを追いかけようとして……ご自身は結界に強く拒絶され、その衝撃で失神されたとの事です。

 当然ながら、聖女様の振る舞いは入山を希望して集まっていた、多くの平民達に目撃され……。しかも悪い事に、その中には、お忍びで山へお出でになった、上位貴族のご夫妻のお姿もあったほか、精霊の巫女様と思しき女性の姿も――」


「…………」


「あ、あの、大司教様……?」


 おずおずと声をかけてくる神官長。

 しかし、その声はラモンの耳に届かない。


 ラモンは、自身の生家から持って来させた気に入りの椅子に座ったまま、後ろに倒れて気を失った。



 私が言い出した事ではあるが、本当にシスターを置き去りにし、とっとと王都へ帰って行ったあの連中に、私は正直悪感情を抱いていた。

 内心ムカムカしながら、本当にシスター置いて帰りやがった、薄情者共め、シスターひとり庇って守る気概さえねえのかクソザコ、などと呟きつつ、シスターを背負って自宅へ戻る。


 ただ、こっちもぬかるんだ山道に引っくり返って失神した為、着ているワンピースや顔、手足などが泥だらけだ。

 この状態のままベッドに寝かせる訳にはいかないので、ぬるま湯になる程度に軽く水を温め、タオルを浸してシスターの顔や手足を拭き取り、適当に引っ張り出した私の服に着替えさせる。


 頭から肩にかけてをすっぽりと覆う、シスター特有の被り物を取った彼女の髪は、背中の半ばまで真っ直ぐに伸びた、綺麗な栗色のサラサラヘアだった。

 こぢんまりとした小さな顔の中に、目や鼻といった各パーツがバランスよく収まっている、可愛い系美少女だ。


 着替えさせながら身体のあちこちをチェックしてみるが、目立った外傷は見当たらなかった。あちこち汚れはしたけれど、柔らかいぬかるみの上に倒れた事が、いい方向に働いたのかも知れない。


 ただ、やたらと瘦せっぽちな事が、幾らか気にかかる。教会の『清貧の教え』って、こうまで痩せちゃうほど厳しいもんなのかな。


 そのせいもあって替えの服も、あちこちちょっと余ってしまってるようだが、そこは大目に見て頂こう。

 私の方が上背があるから、どうしても縦の長さが余っちゃうんだよね。


 それから、私の服と一緒にシスターの服を洗濯機に放り込み、洗剤と柔軟剤を洗濯機にセットして、念の為、『おしゃれ着洗いモード』を選んでスイッチオン。

 後は洗濯、脱水、乾燥までを全自動でやってくれる。


 ホント楽でいいよね。文明の利器万歳。

 そして『強欲』さんありがとう。

 私もうあなたなしじゃ生きていけない。


 あ、そうだ、リトスが猟師会の仕事から戻ったら、事情の説明をしないと。

 それに、お風呂場とトイレの掃除もやってない。

 文明の利器とスキルの恩恵に浸ってる場合じゃなかった。

 早く家の仕事終わらせなきゃ。




 こうして、高慢ちき聖女の襲来から数時間。

 運び込んで休ませていたシスターが目を覚ましたのは、完全に陽が沈んで夕飯時を過ぎた頃の事だった。

 意識を取り戻した彼女は、どことなくおっとした雰囲気で、深い緑色の瞳が印象的だ。


 遠慮と恐縮の感情からか、目を覚ました直後、私やリトスが止めるのも聞かず、早々にベッドから起き上がった彼女を、私は半ば強引にダイニングのテーブルに着かせ、ライラさんからもらったミックスハーブティーを出す。


 それと合わせてリトスには、夕飯の残りのブラウンシチューを温めて持って来てもらった。

 あの高慢ちきの発言によると、どうやら彼女は子爵令嬢のようなので、平民の料理が口に合うかどうか、ちと不安が残るけど。


「昼間はありがとうございました。改めてお礼申し上げます。私はドロシー・カンザス。レカニス王国に属する、カンザス子爵家の娘でございます」


 ドロシーさん……いや、身分的にはドロシー様って呼ぶべきか。

 なんにせよ彼女は正面の席に座った私に、丁寧なお礼の言葉と挨拶を述べてくれた。こちらに対して礼節を以て接してくれるのなら、私達も精一杯の礼節を以て接しなければ。


「カンザス子爵令嬢ですね。僕はリトスと申します。こちらは幼馴染みのプリムローズです。よろしければ夕飯に、こちらのシチューを召し上がって下さい」


「ありがとうございます、リトス様。有り難く頂戴致しますわ」


 ドロシー様はスプーンを手に取り、ブラウンシチューを口に運んですぐ、笑顔で「美味しい」と言ってくれる。

 口に合ったみたいでよかった。

 ま、リトスの作るご飯はなんでも美味しいから、言うほど心配してなかったけどね。


 しかし……ドロシー・カンザスか……。

 なんだか家ごと竜巻に攫われて、魔法の国に迷い込みそうなお名前だ。

 ……なんて、言ってる場合じゃないか。


「危ない所を助けて頂いたばかりか、お夕飯までご馳走して下さって、本当にありがとうございます。あなた達のような心優しい方に出会えて、私はとても幸運ですわ。

 所で、リトス様とプリムローズ様は、こちらにお2人だけでお住まいなのですか? ご両親はいらっしゃらないのでしょうか」


「ええまあ、子供の頃に色々とありまして、私もリトスも両親はおりません。それと、私の事はプリムと呼んで下さい。他の人達も、みんなそう呼んでくれますし。

 それとドロシー様、どこか痛む所はありませんか? もしどこか痛む箇所があるなら、遠慮なく仰って下さい。契約してる精霊に……モーリンに頼んで、治癒魔法をかけてもらいますから」


「契約している精霊……? では、あなたがあの、噂に名高い精霊の巫女様なのですか? まあ……! お会いできて光栄ですわ!」


 ドロシー様は、ぱっちりした大きな緑色の目をキラキラ輝かせ「凄いわ……!」と呟く。

 いあやの、そんな目で見られても困りますよ、ドロシー様……。

 私が思わず戸惑っていると、ドロシー様がハッと我に返り、ちょっと頬を赤らめつつ「失礼しました」と謝罪してくる。

 なんか可愛い。


「ええと……私の身体の事でしたら、どうかご心配なく。お陰様で、どこも何ともありませんから。むしろ、ここへ来る前よりスッキリしているくらいですの」


「そ、それは何よりです。……あの、よろしければシチューのお代わりはいかがですか? 物足りないようであれば、パンもありますよ」


「えっ? よ、よろしいのですか? ……で、では……ご厚意に甘えさせて頂こうかしら……。実は、今日は朝からほとんど食べていなくて……。お恥ずかしい話なのですけど、お腹がペコペコなのです……」


 赤らんでいた顔を一層赤くして、ちょっとうつむき加減で仰るドロシー様。

 それを聞いたリトスが、すぐに微笑みながら立ち上がった。


「そうでしたか、それはいけません。人間お腹が減っていると、考え方まで後ろ向きになりますから。今シチューとパンをお持ちします。プリムはドロシー様の所にいてね」


「うん。お願いね、リトス」


 既にご存じの方もいるかと思うが、上位にせよ下位にせよ、貴族令嬢はいつ何時も、淑女としての体面を気かけながら過ごす必要がある。

 特に未婚の女性は、婚約者や婚姻相手以外の男性と2人きりになるのを避けねばならない。


 だからリトスは私にこの場を任せ、自分が席を立つ事にしたのだ。

 未婚の貴族令嬢に対する気遣いですね。


 なんせ、ちょっと知人の男性と馬車に相乗りしただけで、ふしだらだの阿婆擦れだのと陰口を叩かれたり、その陰口が尾ひれ背びれをくっつけて、社交界全体に広まってしまう事もあるくらいだ。

 下手すりゃたった一度醜聞が流れただけで、嫁のもらい手がなくなる事さえある。

 本当大変なんですよ。貴族令嬢っていうのは。



 それから、食後に別のお茶を出して色々と話を聞いてみた所、ドロシー様はなんともツイてないお人である事が分かった。


 6歳の頃に母を亡くし、その6年後に入った後妻はドロシー様とどうにも性格が合わず、跡継ぎの男の子が生まれてからは、ドロシー様を酷く冷遇するようになった。

 しかし、人は良くとも呑気な父は、娘が継母に冷遇されている事にも気付かぬまま、王城の仕事でろくに屋敷に帰らない。


 14の頃に纏まった婚約話は、相手の令息の浮気に次ぐ浮気によって1年で破談。次の婚約も似たような理由で半年持たずに破談。

 その次の婚約は2年近く続いたが、結婚寸前という状況で相手方からブッ込まれた、同性愛者であるというカミングアウトと失踪騒ぎによって、これまた破談。


 それ以降、まともな婚約の話が家に来なくなり、もういっそ神に身を捧げようと教会に入ったら、子爵令嬢だという事を理由に、司教達が立てた性悪聖女の世話役にさせられるという悲劇がドロシー様を襲う。


 基本的に、教会では元の身分は考慮されないが、それはあくまで完全に実家と縁を切り、出家した人間だけに適用されるルールなので、両親から出家を許されていないドロシー様は、ここでも身分制度に振り回される羽目になった訳だ。


 そして、日々飽きもせずに繰り返される聖女の、我が儘、癇癪、気まぐれ、パワハラ&嫌がらせの悪辣フルコースによって、ひと月経たないうちに心身共に擦り切れ、ヘトヘトになっていた所で今回の騒ぎに……という事らしい。


 話を聞き終わる頃には、私もリトスもすっかりドロシー様に同情していた。

 成程……。着替えさせてる時に、なんか随分痩せてるなあ、スレンダーなの通り越してガリガリじゃん、とか思ってたけど……。イビりのストレスと、嫌がらせで押し付けられた過剰な粗食のせいで、体重ガタ落ちてたんだな……。


 うん。もういっそ、ここで気が済むまでゆっくりしていって。

 あんな人を人とも思わない高慢ちき、絶対ドロシー様には近寄らせないから。


 もし今後教会からなんか言われたら、モーリンのせいにでもしとけばいいよ。

 人知を超えた力を持つ、泣く子も黙る高位精霊様を責められるもんなら責めてみろってんだ。

 私は木苺のゼリーを冷蔵庫から取り出しつつ、心からそう思った。

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