第44話 潜入作戦&公爵VS筆頭公爵夫人



(僕、何やってるんだろ……)


 へリング公爵家に招かれた翌日の朝。

 茶色のカツラを被って薄化粧し、侍女のお仕着せを身に付けたリトスは、へリング公爵ことフィリウスの後ろに付き従う恰好でしずしずと歩きながら、内心で独り言ちた。


 フィリウスの斜め後ろを歩く、護衛騎士に変装したデュオとカトルが、時折なんとも言えぬ同情的な眼差しを送ってくるせいで、余計居たたまれない。


 この国の最高権力者である国王が、臣民のかどわかしを主動している、とあれば、少しでもそれに対抗しうる力を持った、高位貴族の助力を得た方がいいだろう、という意見でまとまり、フィリウスに協力する事を伝えた所、早速潜入捜査への協力を要請され、それにうなづいた途端、この扱いだ。泣きたくなってくる。


(大体、なんで僕が女装する事になってるんだよ……。自分で言うのもなんだけど、こんな背が高い侍女、悪目立ちするだけじゃないか……)


 リトスはまたも内心で独り言ちた。

 確かに、城内でも面の割れていない自分達が、筆頭公爵であるフィリウスの手引きで場内へ侵入し、内部を探る手伝いを行う、というフィリウスの考え自体は、別におかしなものではない。


 実際、筆頭公爵の肩書は大きいものだ。

 モアナの手紙にあったような、ここ最近入城者に求められるようになった、身辺調査の大半を筆頭公爵としての権力を以て偽装した上、それを城の中で押し通してしまえるのだから。


 だが、正直な所、リトスの上背はかなり高い。

 ここしばらく測っていないので正確な数値は分からないが、少なくとも180センチ前後はあるはずだ。


 この国における女性の平均身長は、おおよそ165センチ強である。

 それと比較すれば、今のリトスは周囲に人間の目に、相当高身長な侍女と映っているだろう。


 今はまだ、リトスと大して上背の変わらない、フィリウスやデュオ、カトルに混じって歩いているのであまり目立っていないようだが、ここからひとたび離れて他の女性達の輪の中へ入り込んだが最後、1発で見咎められてしまうに違いない。


 一応、へリング公爵家の侍女達に、できるだけ地味な見た目になるように、と頼んで化粧を施してもらってはいるし、首にはのどぼとけの存在を誤魔化し、変声を促すチョーカー型の魔法具を身に付けているが、リトスとしては、それも焼け石に水のような気がしてならなかった。


 事実、もう既に入城してから、通りすがりの使用人や兵士に、何度もチラチラと見られている。動揺を悟られないよう、どうにかうつむき加減で歩いて誤魔化しているが、正直言って肝が冷えて仕方ない。


 こんなナリで他の侍女に紛れて動くなど、どうあっても無理筋なのではないか。

 リトスは、半ば以上そう思っていたのだが――


 フィリウスやデュオ達と体のいい所で離れ、筆頭公爵が直々に偽造してこさえた紹介状片手に、王専属の侍女が待機している部屋へ足を踏み入れた所で、その考えは覆る事になった。


 一体どこから搔き集めて来たのか知らないが、王の身の回りの世話をする侍女の多くは、出る所が出てスラリとしている――いわゆるモデル体型で高身長な美女で溢れ返っていた。目測だが、170センチ以上ある女性ばかりだ。


 なんでも現王が、そのようにせよ、とうるさく騒いだゆえの事らしい。

 命じる方も命じる方だが、それを本当に聞き届けてしまう方も大概である。何とも馬鹿馬鹿しい話だ。


 しかし成程、これならば、リトスもさほど目立たないかも知れない。

 道理でフィリウスが自信満々に送り出そうとしてくる訳だ、と、リトスは今更ながらに納得した。

 それに、ここからどうやって情報を集めようか、と思案するのも、ほんの僅かな間だけで済んだ。


 リトスが紛れ込んだ高身長な美女達は、揃いも揃ってお喋りで口が軽く、わざわざこちらから話しかけずとも、比較的近い場所で勝手にピーチクパーチクさえずってくれた。


 恐らくだが、ひたすら見た目を重視して搔き集めたばかりに、身分のあまり明るくない者や、侍女としての教育を受けても、それをしっかり吸収できない、不出来な娘が多くいるのだろう。


 この辺りからも、現王とその周囲を取り巻く、側近連中の愚かさ加減がよく分かる。

 しばらくの間リトスは、本当にもうこの国はおしまいなのかも知れない、と内心で気落ちしていたが、だんだん落ち込んでいられなくなってきた。


 なにせ、今も彼女達のお喋りは続いている。

 その口からは、やれ、今の王様はスケベで、よく人の尻を触ってくるだとか、どこそこの娘を夜に呼び出して、部屋のドアを施錠もせず、ひたすらにゃんにゃんしているのだとか、なんとも下劣で、聞くだに顔の引きつる話ばかりが飛び出てくる。


 挙句、近いうちに後宮を作って、そこに身分を問わず見た目のいい女を搔き集めて囲い、ハーレム遊びをするつもりらしい、という話が聞こえた時には、本気で持ち場を飛び出して、国王の私室に殴り込みをかけたくなった。


 話の流れと状況から察するに、このままそのハーレムとやらが出来上がれば、間違いなく、自分の友人であるシエラとトリア、モアナもその中に放り込まれるであろう事は確実であり、何より、世界で一番大切に思っている人が……プリムローズまでもがそこに放り込まれる事になりかねない。


 最愛の女性プリムローズが、絵姿でしか顔を知らない、下衆な男の薄汚い手によって手折られる。

 想像するだけで、はらわたが煮えくり返って吐き気がした。




 あれこれと思い悩んでいるさなか、もうそろそろ、陛下が茶を所望する頃合いだ、と外から声をかけられたリトスは、スケベな国王の所へ顔を出すのを渋る他の侍女達に、茶を供する役割を押し付けられ、高級な茶葉と高価なティーセットを乗せたワゴンを押しつつ、廊下を1人歩いていた。


 その頭の中は、いつ愛する人を手中に収めるか分からぬ、好色な国王への罵詈雑言で満ち満ちていたし、なんならもう想像の中で、4、5回は締め上げて半殺しにしている。


 リトスにとって、プリムローズに無理矢理手を出そうとする輩はみな、国王だろうが誰だろうが許されざる悪党であり、ゴキブリ以下のゴミなのだ。

 いや、ゴミという呼称を与える事すら認め難い。


(もういっそ、本当に国王を片付けて、全部終わらせた方がいいんじゃないのかな)


 しまいには、そんな物騒な考えが頭の半分以上を満たし始めていたリトスだったが、廊下の奥から聞こえてくる怒号や悲鳴らしき声を拾って、反射的に足を止める。


(……? なんだ? 今……「捕まえろ」とか聞こえたような気がしたけど……)


 なんとなく、そっちに行ってみた方がいいような気がしたリトスは、ワゴンを廊下の端に寄せて放置し、声が聞こえる方へ小走りで向かい――硬直した。

 赤い絨毯が敷かれた廊下を、小さな光に先導されながら、何やら滑るような恰好で高速移動しているプリムローズを目撃して。




 ここで話は、リトスがフィリウスの手引きで王城内へと入り込み、国王専属の侍女達が詰めている部屋へ足を踏み入れた時間帯にまで遡る。

 リトスが、教育のなっていない侍女達の、恥じらいの欠片もない話に顔を赤くしたり青くしたりしていた頃、プリムローズ達の所にも、招かれざる客が足を向けていた。



 それはクローディア様から、現王が企てている実にしょうもない計画を聞かされ、腹立たしさからくるモヤモヤした気分を抱えたまま夜を明かし、無駄に時間が過ぎていく事にも焦りを覚え始めた朝の事。


 出された食事を取り終え、人心地ついた私達が、牢屋の端っこでクローディア様を交えて、さてこっからどうしようか、なんて話をし始めた時、チョビ髭を生やしてる、小太りで偉そうなちっさいおっさんが牢屋にやって来た。

 第一印象はダサい。その一言に尽きる。


 特に、寸詰まりな上背と自己主張が激しい出っ腹も相まってか、やたらと華美でゴテゴテした装飾が施されている、濃紺色したジュストコールの不似合いっぷりが酷かった。服に着られてる感がハンパねえ。


 よっぽど華やかな面立ちをしている人じゃないと、あのジュストコールの派手な意匠に負けてしまうだろう。

 あと、膝丈の黒いキュロットと真っ白なロングタイツが、これまた絶妙に似合ってない。なんか、西洋版バカ殿様みたいな感じがする。このおっさんが、やたらと色白なせいだろうか。


 思わず、もうちょい自分に似合う服模索したらどうなんだよ、おっさん、と突っ込みたくなるが、いやでも、これでもまともな方だよな、と緩くかぶりを振って思い直す。

 もし仮に、この見てくれでかぼちゃパンツなんて穿かれた日には、私の腹筋は数分保たずにご臨終していたと思われる。危ない所だった。


「まあ、おはようございます、ウーデン公爵。一体何用で、このような場所までお出でになられましたの?」


「ああ、おはようございます、へリング公爵夫人。なぁに、大した用ではありませんよ」


 牢屋の正面に立ったちっさいおっさんに、いつの間にやら近づいたクローディア様が、見事なアルカイックスマイルを向けつつ、微妙に刺々しい口調で挨拶を述べると、おっさん(公爵だったのか)もニチャアッとした感じのキモい笑みを浮かべ、嫌味ったらしい口調で挨拶を返してきた。


 うん、ホントキモい。

 私だったら反射でドツいてたかも知れん。


「あら、大した用でもないのにこのような所へ自ら出向かれるなんて、とても時間が余っておいでですのね。さぞや奥方様やご子息が優秀でいらっしゃるのでしょう。


 公爵家の現当主という身分にあってなお、仕事に追われる事なく優雅な日々を送れるだなんて、とても羨ましいですわ。一体どうすれば、そのように余裕のある振る舞いができるのかしら」


 おっと、ここでクローディア様が先制のジャブを放ったぞ。「大した用もねえのに牢屋に来るなんて、どんだけ暇なんだよ。カミさんと息子に仕事投げて遊んでるとか、いいご身分だな。それでも公爵家の当主かボンクラ野郎」と仰られています。

 意味が分かると結構キツい。


 一方おっさんも、クローディア様の言わんとしている事が分かるようで、口の端っこが若干ヒクヒク動いて引きつっている。

 あらら。白いデコに青筋浮いてるぞ、おっさん。

 でも、怒鳴り付けたいのを我慢して取り繕っていられる辺り、流石は公爵様といった所か。


 同じ公爵家でも、クローディア様が夫人として身を置いてるのは筆頭公爵家だ。この国における身分制度を下敷きにして比較すると、おおよそクローディア様とこのおっさんは同格に当たる。

 だからこそ、余計に変な言動は取れないって事か。


 幾らビジュアルがバカ殿様寄りであろうと、このおっさんも上位貴族の端くれ。

 男も女も老いも若きも、相手の言動に中てられて、感情剥き出しにした時点で負け確だというのを、よくよく理解しているんだろう。


 衆人環視の元で感情を露わにした分だけ、周囲の者から侮られ、自身の格を落とす事になる。

 それが貴族社会における暗黙のルールだ。

 実に面倒で厳しい世界だね。

 私、平民になれてよかった。


「は、ははは。別に私は、公爵夫人に羨んで頂けるような暮らしなど、送っておりませんよ。今朝は陛下のご意向で、件の村の娘達の様子を見に来ただけに過ぎません。――おい、ザルツ村から来たという娘、こちらへ来い」


 クローディア様に、まだ幾らか引きつったままの顔と声色でそう答えると、やおら気を取り直し、今にもその場でふんぞり返りそうな勢いで、牢屋の中に向かって横柄に呼びかけてくる。


 ホントはシカトしたい所だけど、まさか平民の身分で公爵の呼びかけを聞かなかった事にする、なんて大それた事をする訳にもいかず、私達は数秒顔を見合わせたのち、渋々ながらも立ち上がって、おっさんの所へ近づいていく。


 うわ、間近で見るとますますちっさいな。身長150センチないんじゃない?

 こんなちっさいおっさん、こっちの世界じゃ初めて見たよ。


 平民と比べて、遥かに栄養状態のいい環境で育つ貴族男性は、みな押し並べて発育がいい。このおっさんのように、身長が170に届かない……どころか、160以下の上背しかないってのは、相当珍しい事だ。

 ひょっとしたらこのおっさん、小さい頃から酷い偏食なのかも知れない。


 まあ、そんな事はどうでもいいか。

 なんにせよ、こんな所で不敬呼ばわりされたら堪らんので、私はなるべく、おっさんをまじまじ見ないように気を付けていたが、おっさんの方は私達を、頭の上から爪先まで、不躾にジロジロ眺めてくる。

 ……かと思うと、おっさんはいきなり私の方に視線を向けてきた。


「――ふぅむ、どいつもなかなか悪くない顔をしている。平民にしておくのが惜しいほどだ。特にそこの、赤毛の娘。他の娘より飛びぬけて見目がいい上に、上背もあるな。陛下もさぞお気に召される事だろう」


 おっさんは顎に手をやりながら、またあの、ニチャアッとした笑みをこっちに向けてくる。

 うわキショッ! サブイボが出る!

 ていうか、すっげぇ嫌な予感がするんですが!

 私は思わず自分で自分の身体を抱き締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る