第40話 移ろう時代と王の最期



 村に攻めてきた王国軍が、主にレフさんとモーリンの力によってクソダサい末路を辿ってから、3か月が経過した。

 当初、クソ王からの報復行動が大なり小なり起こるのでは、と懸念していた私達だったが、今の所そんな事は全くなく、村は平穏そのものです。


 どうやらあのクソ王、自分の周囲の火消しやら何やらが忙しいのと、常に雑木抱えた生活が不便過ぎて、村に報復する所にまで手が回らないようだ。

 ざまぁ。これから先死ぬまで、何をするにも雑木持って歩かなきゃならん、微妙にしょっぱい人生を送り続けるがいいわ。


 それから、一時期足が遠のいていた行商の人達も、ちらほら村に顔を出してくれるようになってきた。


 行商人達曰く、王国軍が村を責めようとしている、という、きな臭い話を耳にして以降、村に悪いと思いつつも身を守る為、こちらに来るのを控えていたらしい。

 まあ、当然の判断だろう。


 山の周囲には相変わらず『忌み人避け』の結界を張っているので、行商人の中には、山に入れなくなった者も何人かいたらしいけど、こっちとしても、腹の底に村への悪意を抱えた行商なんて受け入れたくないから、村長のトーマスさんは、それはそれでよかったと思う事にしたみたい。


 それはさておき、村はそろそろ夏に差し掛かる時期で、村の人達はみんな、先々保存食にする為山の恵みの収穫、それらの加工作業に勤しんでいる。

 勿論私やリトスも、スキル頼りの生活ばかりしている訳にいかないから、村の人達に混ざって、諸々の収穫作業や加工作業を行っているが、今はちょっと小休止中。


 ダイニングキッチンのテーブルの前に椅子を並べて座り、一緒にお菓子とミルクを2人でぱくつきながら、デュオさんにもらった新聞(日付は1週間前のものだけど)に目を通していると、あのクソ王が、身体の不調が続いている事を理由に退位を表明した、という記事が目に留まった。


「へえ。身体の不調なんて嘘っぱちだろうけど、あいつ退位するんだ。今後もずっと、しぶとく王位にしがみ付くんじゃないかと思ってたわ」


「そう? 僕は、今回の退位は割と納得のいく話だと思ってるよ。なにせ兄上は昔から、プライドの塊みたいな人だったから。何かあるたび、いちいち雑木の鉢植えを担いで移動する姿なんて、臣下に見られるのも嫌なんじゃないかな。


 何より、外交や夜会の時にそんな恰好で入場したりしたら、他の高位貴族や他国からの来賓に笑い者にされるよ。あの人は、そんなの絶対耐えられないと思う」


「成程。元身内としての客観的な意見、ありがとね。……じゃあ、こっちに書いてあるクソ王の後釜の……ウルグス・オヴェストって人の事は知ってる? 記事によると、オヴェスト辺境伯公の実弟って事らしいけど」


「……ううん、知らない。オヴェスト辺境伯弟の顔どころか、辺境伯弟の実姉だっていう辺境伯公の顔さえ見た事がないよ。これでも僕は、小さな頃から記憶力には自信があるからね、3歳以降の出来事なら大体憶えてる。だから、間違いない」


「そうなんだ。そういやあんたって、昔から色々物覚えよかったものね。本当、あんたの記憶力には何度助けられたか分かんないわ」


「はは、お褒めに与って光栄だよ。……話を戻すけど、プリムもこの間の騒ぎのせいで、オヴェスト辺境伯領の場所や状況なんかは、ある程度分かってるだろう? あそこは王都から見ても、だいぶ辺鄙な場所にある領地だって事とか」


「ああそっか。確か……王都と辺境伯領の間には、だだっ広い平原や森林が広がってるんだったわね。気安く移動できる距離じゃないって、レフさんも言ってたっけ」


「うん。だから、よほどの慶事でもない限り、自領から出て王都にまで足を延ばしたりはしないはずだよ。貴族の旅は平民の旅と違って、旅費が滅茶苦茶かかるしね。ただ……この記事の内容は、正しくないような気がする」


「え? ええと……ああ、ここ?」


 リトスが真顔で指差す記事を目で追うと、そこは丁度さっき目を通した、辺境伯弟の招聘しょうへいに関する話が書かれた箇所だった。


「えーと……このたび国王陛下は、自身の後継者として王冠を賜るに相応しい、極めて有能な人材であるというオヴェスト辺境伯公の実弟、ウルグス・オヴェスト辺境伯弟を王都へ招聘され……って所、よね?」


「そう、そこ。……正直兄上は、有能な後継者なんて求めてないんじゃないかな、と思って。あの人は自分の仕事や、自分がこれまで築き上げてきたものを人に全部丸投げして、楽隠居したがる性分なんかじゃない。絶対に。


 それに……この新聞には、兄上が退位を明言したのが今から1週間前で、新王の即位式を執り行うのは来月の半ばだなんて書かれてる。幾らなんでも事を運ぶのが早過ぎるよ。


 この時点で、ろくに引き継ぎもしないまま、形だけの王座に座らせようとしてるってのが見え見えだ。第一、わざわざ遠方に居を構えてる分家の人間を呼び付けなくたって、王家と縁戚関係が上位貴族の家は、まだ王都にも残ってるはずなんだから」


「……。ふーん。つまり……クソ王はわざと出来の悪い奴に白羽の矢を立てて、自分にとって都合がいい操り人形にしようとしてるのね」


「僕はそうなんじゃないかと思ってる。勿論、これは単なる僕の憶測で、証拠も何もないけどね。けど、もしこの記事じゃなく、僕の憶測の方が正しいんだとしたら、この辺境伯弟の頭の出来具合が、そっくりそのまま兄上の命運を分けそうな気がするんだ」


「それ、どういう事? だってリトスの予想では、辺境伯弟のオツムの出来が悪いだろう事は、おおよそ確定なんでしょ?」


 難しい顔で顎に手をやるリトスに、つい眉根を寄せながら問いかける。


「あ……ごめん、ちょっと遠回しな言い方しちゃったね。辺境伯弟の頭の出来の悪さというより、辺境伯弟が身の丈に合った野心を持ってるのか、って事が気がかりなんだ。

 王都で即位した後、大人しく兄上の言う事を聞いて、気楽なお飾り王として悠々自適の暮らしを送るだけで満足するのか、それとも……」


「……。それとも……常に上から目線で、自分にあれこれ指図してくる前王の支配から逃れて、もっと思うがままに権力を振るいたいと思うようになるのか……って事?」


「……そうだね。そういう事だ。そして……もし辺境伯弟がプリムの指摘した通り、兄上の予想を超えた愚物の野心家だった場合……兄上は間違いなく、何かしらの理由で身罷みまかられる事になると思う」


「でしょうね。甘い汁を楽して沢山吸いたがるバカタレって、世の中結構いるものだし、手を下すのを手伝う奴も普通に出て来そう。身体の不調を理由に若年で退位したって状況から見ても、表向きには病死した事にしておけば、大して角も立たないだろうから。

 ……やっぱり、身の危険があると分かったら、あんなのでも心配になる?」


「……どうだろう。流石に、実際そうなればいいとか、いい気味だとか、そんな風には思わないけど……でも、助けたいとも思わないし……。ごめん、僕にもよく分からないや。

 今分かってるのは、もしそうなった場合には王都だけじゃなく、他の町や村も荒れるかも知れないなって事だけだよ」


「そう。――さーてと。そろそろ仕事に戻りましょ。採ってきた野菜とか山菜とか、早く下処理して瓶に詰めなくちゃ」


 私は項垂れるリトスの背中を軽く叩き、努めて明るい声を出しつつ椅子から立ち上がった。


「……うん、そうだね。保存用の瓶も煮沸しないといけないし、まだまだやる事がたくさんだ。それに、野イバラのジャムもいっぱい作らなくちゃいけないよね? どこかの誰かさんは、来年の夏まで我慢できないだろうから」


「勿論! 野イバラのジャムは私の大好物なんだから!」


 続いて椅子から立ち上がったリトスが、明るい声で私を茶化してくる。

 私は堂々と胸を張り、笑顔でリトスの言葉を肯定した。


 さあ、保存食作り再開だ。ごちゃごちゃ言うのはもうやめよう。

 もはや王侯貴族とは何の関わり合いもない私達が、あのクソ王の進退や身の安全を考えた所で、なんの意味もないんだから。



 シュレインが公式に退位を発表してから1か月後。

 次代の王として辺境伯領からやって来たオヴェスト辺境伯公の実弟、ウルグスの戴冠式は、季節が夏の盛りを迎えた晴天の日に、それ相応の華やかさを以て大々的に催された。


 王城のバルコニーから、王冠を戴いた新王がにこやかに手を振る姿は、魔法で刷り上げられた特別なカラー写真となって新聞にも大きく掲載され、新王ウルグスの緩やかに波打つ豪奢な金髪と、宝石を思わせる深い碧眼を併せ持ったその美丈夫ぶりを、国の内外に広く知らしめたのである。


 こうして始まったウルグスの治世は、前王となったシュレインの指導の元、つつがなく行われていたが、すぐに不穏の火種が生まれ、それは日々、シュレインの与り知らぬ所で消える事なく燻り続けていた。


 的確ではあれど情の欠片もない、常に叱責の入り交じる頭ごなしなシュレインの『指導』に、ウルグスは不平不満を感じ、不快感と怒りを募らせていたのだ。


 確かにシュレインは、前任の父王と比べれば遥かに有能な王である。

 だが、尊大で傲慢、冷淡な性分のせいで、即位以降、諸侯達を始めとした臣下からの人望を、水面下で急速に失っていた。


 彼らの中には、完全にシュレインに失望し、シュレインを支持した事を後悔する者も少なくない。

 だが、他者に心を寄せる事がないシュレインは、その異変に全く気付かなかった。


 やがて、親身に寄り添う体を取ってウルグスの不満につけ込み、その耳によからぬ事を吹き込む者が現れるのは時間の問題であり、また、必然であったと言える。

 しかし、それも全て人心をないがしろにしたシュレインの不徳の致す所であり、自業自得だ。


 そして――ウルグスが即位してからわずか1か月後。

 ついに、静かに燻り続けていた火種が、大きく火を噴き上げる時がやってきた。



「――新たな政策に関する話は以上だ。詳しい説明は詳細な指示書を作成したのち、追って伝える。それまでは文官の指導の元、書類を片付けていろ。貴様のような能無しでも、その程度の事ならば行えよう」


 自身の執務机に身を置き、手にした書類から顔も上げぬまま言い放つシュレイン。

 あまりと言えばあまりなその言動に、ウルグスは大きく顔を引きつらせた。


「…………」


「返事はどうした、能無し。貴様のその口は飾りなのか」


 腹立たしさを押し隠すのに精一杯で即座に返事ができず、その場に立ち尽くすウルグスに苛立ったシュレインが、眉根を寄せながら顔を上げる。


「……も、申し訳ございません。シュレイン様のお言葉を頭の中で反芻しておりまして……反応が遅れてしまいました」


「まあいい。貴様の頭の出来が悪い事は周知の事実だ。それを少しでも改善しようとしての事であるならば、大目に見てやろう」


「ありがとうございます。所でシュレイン様、そろそろ小休止を入れられてはいかがですか? 侍女に命じて茶の用意をさせておりますが」


「ほう? 貴様にして珍しく気の利く事だな。室内に持って来させろ」


「かしこまりました。――入って来い」


「……失礼致します」


 ウルグスがドアの外に向かって声をかけると、やや歳のいった1人の侍女が、茶器などを乗せたワゴンを押しながら、執務室に入室してくる。

 入室以降、侍女は一切口を開かぬまま手際よく茶の用意を進めていき、ほんの数分でシュレインの前に香り高い紅茶が用意された。


「――うむ、いい香りだ。褒めてつかわす」


「ありがとうございます」


 暖かな紅茶が入ったティーカップを持ち上げ、尊大な口調で言うシュレインに、侍女が頭を垂れながら答える。

 いつもどおりの優雅なひと時。

 しかし、シュレインがカップに入った紅茶をたった一口含んで嚥下した、その時。


「……っぐ、あ、あがあぁあああッ!」


 シュレインは手にしていたカップを取り落とし、喉を押さえてもがき苦しみ始めた。

 取り落としたカップが厚手の絨毯の上に落ちるが、他ならぬ絨毯の厚みによって保護され、割れずに残ったカップから紅茶が零れ、真紅の絨毯に大きなシミを作る。


 ついには椅子に座っていられなくなり、絨毯の上に無様に転がったシュレインは、かつてない苦しみにもがきながらも即座に全ての事情を悟り、ウルグスとその傍に控えている顔色の悪い侍女を、射殺さんばかりに睨み付けた。


「……あ、がっ! うぐっ、き、きっ、きざまあぁあ゙あッ! こ……こんな真似をじで、た、タダで、済むど……っ! で、であえっ、誰が、こ、ごの痴れ者を、捕え……ッ!」


「……はは、無駄なご命令ですよ。あなた様が永らえる事を望む者は、今この周辺には誰もおりませんので。恨むのならば、ご自身の不徳を恨まれる事ですね」


「……っ、あが、あ、あ゙っ……! ふ、ふざ、け……っ、……」


 ニタニタと笑うウルグスの顔を睨みつけたまま、切れ切れの短い言葉を必死に紡いだその刹那、シュレインの意識は闇に飲まれて消えた。



 毒によって意識を失ったシュレインが再び目を覚ますと、そこは白い壁面と白い天井、白い床に覆われた、見も知らぬ殺風景な部屋の中に寝転がっていた。

 シュレインは頭を押さえながら、よろよろと立ち上がる。


「……? な、なんだ、ここは……。いや、それ以前に私は、毒を飲まされて……。それがなぜ、このような……」


――それはこっちの台詞よ。まさか、飼い犬に手を噛まれて命を落とすなんてね。かつて魔王の異名で恐れられた暴帝とは思えない、あまりに情けなさ過ぎる最期だわ。


 呆れの色を多分に含んだ、鈴を転がしたような可憐な声に反応し、シュレインは周囲を見回す。

 しかし、誰の姿も見当たらない。


「誰だ!! 私を愚弄するとは不届きな! 姿を見せろ、手討ちにしてくれる!」


――バカね。幾らあなたが異界の出とはいえ、人間が神を手討ちになんてできる訳ないでしょ。


「――は……? か、神、だと……?」


――そうよ。私は今から大体600年前、地上の乱れを正す為の救世主として召喚されたにも関わらず、その期待に背き、地上でやりたい放題やってくれたあなたを排除する為、勇者を召喚してあなたを倒させた神。

 そして、死したあなたの魂に封印をかけ、前世の出来事を思い出せないよう細工した神でもある。


「……な、なんだと……」


――最初はね、私もあなたを可哀想に思っていたのよ? 幾ら同意があったとはいえ、元の世界から引き離され、異界に落とされた挙句そこで散ったあなたを、哀れに思ったの。


 だから温情をかけて、魂を滅ぼす事だけは避けたのだけど……それは間違いだったみたいね。まさか、生まれ変わった先で記憶を取り戻して、かつてと同じ愚行を繰り返そうとするなんて思わなかったわ。


「なにを言うか! 違う! 愚行などではない! 私はあなた方神の意志を受け継いで事を成そうとしただけだ! 弱者と貧しき者を排する事で、かの地を豊かで優れた人間のみで満たし、世の楽園を作り出さんとした! それだけだ!」


――……そう。あなたはそれが正しい事だと思っているのね。そして、どれだけの問答を重ねたとしても、あなたは自分の過ちに気付かないし、気付こうとも思わない。とても悲しいわ。

 ……やっぱり、間違っていたんでしょうね。あなたを喚んだ彼も、あなたに情けをかけた私も。なら……私達が責任を持って終わらせなければね……。


 哀し気なその声を耳にした刹那、シュレインは突如足元に生まれた穴に、その身体を飲み込まれた。


 悲鳴を上げる暇さえなく穴の中へ落ちていくシュレイン。

 シュレインを飲み込んだ穴も、次の瞬間には何事もなかったように塞がって消え、その白い部屋も、薄霧の中に霞むように消えていく。

 後に残されたのは、何もない深淵の闇だけだ。


 こうして、かつてこの世界に深い傷を残した異世界人であり、魔王の異名を以て知られた男は、神の手によって人知れず魂を滅ぼされ、本当の意味での死を迎えたのだった。

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