第23話 メリーディエでのひと時
ザルツ村を出て国境を越え、思いの外楽しい野宿を経てから進む2日目の午後。
私達は無事、メリーディエに到着した。
街の周囲を牧場に囲まれた街は、文字通り牧歌的な雰囲気を醸し出しているが、街から数キロ先に見える、地平線を覆い尽くす勢いで広がる大きな森もまた、非常に印象的だった。
確か手紙によれば、結婚式があるのは明後日。
――観光がてら早めにこっちへ来て、ゆっくり街を巡っていって欲しい。綺麗な街だから、お姉様もきっと気に入ると思う――というエフィーメラ……エフィの勧めに従い、少し早めに出て来たけれど、日程としてはこんなもんで大丈夫だったかな。
でも、確かに綺麗な街並みだ。
クリフさん夫妻の奮闘の甲斐あって、酪農が街の一大産業になって以降、領主の音頭により、新鮮で美味しい乳製品を目玉とした観光業にも参入したメリーディエは、観光客の関心をより一層惹き付けるべく、数年前からどこにある家も、白塗りのレンガに赤い屋根で統一したらしい。
なんでも、サイロをイメージしたカラーリングなんだそうな。ちょっと可愛い。
ついつい、お上りさんよろしくキョロキョロしながら街に入り、招待状を兼ねた手紙に同封されていた、案内の地図を頼りに道を行く事しばし。街と街の外を区切っている外壁の比較的近い場所に、3階建ての大きな建物が見えてきた。
みんなで、多分あれだよね、なんて話ながら建物に近付いていくと、建物のすぐ側に2人の男女が立っているのが目に入る。
あ、もしかして――
「お姉様! お姉様ぁー!」
「エフィ! エフィなのね!」
案の定、こちらに気付いた男女のうち、女性の方が声を上げながらこちらへ駆け寄って来た。
私は、駆け寄る勢いのまま抱き付いてきた女性――エフィを抱き止める。
丁寧に手入れされてるとおぼしき、腰まで真っ直ぐ伸びたサラサラの髪からは、ほんのりいい香りがした。香水でもつけてるのかな。
ていうか、私は癖っ毛なので、エフィのサラサラヘアがちょっと羨ましい。
「お姉様、久し振り! やっぱりお姉様、とっても綺麗になったわね。ちょっと悔しいわ」
「なに言ってるのよ、私より先にいい人捕まえておいて。悔しいってのはこっちの台詞! それに――あんただって凄く綺麗になった。内面から輝いて見えるわ。ひょっとして、愛の力ってやつなのかしら?」
「も、もうっ、お姉様ったら! からかわないで! ……あ、いけないっ、ええと、皆さんお久し振りです。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
エフィは慌てて私から身体を離し、私の少し後ろにいるリトス達に挨拶を始める。
「いいえ、気にしないで下さい。8年ぶりにお姉さんに会ったんです、嬉しくなるのも当然ですよ。シエルとシエラもそう思うだろう?」
「ああ。なんて言っても、めでたい用事での顔合わせだしな。そりゃはしゃぎたくもなるだろうよ」
「そうね。それに、仲がいいのはいい事じゃない? そういう事ですから、リトスの言う通り、どうか気にしないで下さい」
「皆さん、ありがとうございます。――改めて自己紹介させて下さい。プリムローズの妹の、エフィーメラです。今は両親が経営するエルピルス牧場で、チーズ職人として働いています。
それから……こちらが私の夫のコリンです。正式に夫婦になるのは、明後日の昼以降ですけど」
「も、もう、いきなり走り出さないでくれよ、エフィ。君のそういう活動的な所も、好きだけどさ……。あ、え、ええと、初めまして、僕はコリンといいます。今はエフィのお義父さん達が経営してる牧場で、経理を担当させてもらっています」
いきなり走り出した恋人の後を慌てて追いかけてきた男性を掌で指し、ニッコリ笑うエフィ。
コリンさんは、確かに飛び抜けたイケメンではないけれど、結構整った面立ちをしている男性だった。
うん。手紙に書いてあった通り、鼻の周囲にあるそばかすも相まって、ちょっと照れ臭そうな笑顔がチャーミングに映る。
表情を見るだけで、コリンさんの性格の良さが伝わってくるようだ。
なかなか男の趣味がいいじゃないか。こいつめ。
「ご丁寧にありがとうございます、コリンさん。初めまして。私はエフィーメラの姉のプリムローズです。こちらにいるのが私の友人達で、右から順に、リトス、シエラ、シエルです」
深々と頭を下げて挨拶してくるコリンさんに、私も頭を下げて挨拶する。
「お義姉さんも、ご友人の方々も、このたびは僕達の晴れの日を祝福しに遠い所からお出で下さって、本当にありがとうございます。心からお礼申し上げます」
「こちらこそ、2人の門出を直接祝う機会を戴きました事、大変嬉しく思います。それと――これは村の者と私達が用意した、心ばかりの品です。こちらの包みには石鹸、こちらの包みにはクッキーが入っています。どうぞお納め下さい」
「これは……わざわざありがとうございます、ありがたく頂戴いたします。ではこちらへどうぞ、皆さん。今年の春、うちの商会が新たに経営を始めた宿へご案内しますので、今日はそちらでごゆっくりお休み下さい」
「お姉様、ごめんなさい。本当は、うちの家に泊まって欲しいと思ってたんだけど、色々と立て込んで散らかってるから……」
「いいのよ、エフィ。気にしないで」
コリンさん共々、申し訳なさそうな顔をするエフィに、私は笑って言う。
なんたって、商会長夫妻の娘が結婚するんだから、やる事なんて前日までてんこ盛りでしょうよ。本当は今だって、忙しい所を抜けて来てたんじゃないの? ぶっちゃけた話。
「明後日には結婚式なんだもの。今のうちにやらなくちゃいけない事はいっぱいあるだろうし、片付けなくちゃいけない物だってあるでしょ? 私達の事はいいから、今は自分達の事を優先的に考えなさい。
なんせ女の子にとって、結婚式ってのは一生に一度の晴れ舞台で、一大イベントなんだから。誰の目から見ても、うんと楽しくて幸せなものにしなくちゃね!」
「お姉様……。ありがとう。今日は、時間的にちょっと難しいかも知れないけど、明日は丸1日、この街をゆっくり観光してね。
今から案内する宿は、観光のお客様用に建てたものだから、宿の中に観光案内人が常駐してるの。案内人に聞けば、色んなお勧めの店を教えてくれるわ」
「へえ、そうなんだ……! それは凄いわね。教えてくれてありがとう。明日になったら早速話を聞いてみるわ」
「ええ、是非ともそうして! ああそれと、食事も含めた宿代は全部うちの商会が持つから、お姉様達は宿でのお金の支払いは気にしないでね」
「え、全部? でもそれじゃあ――」
「いいの! 商会長もそうするようにって言ってるんだから。私達はそれに従うだけ。……あのね、お姉様。商会長……お父さんが言ってたの。私がマルク先生の医院で治療を受ける為に必要なお金、お姉様が出してくれたみたいなものなんでしょう? その話を聞いた時……私、嬉しかった。凄く、凄く嬉しかったわ」
エフィの表情が、少しだけ泣き笑いに近いものになる。
「お姉様からもらった宝石の原石がなかったら、私、最後まで治療を受けられなかったかも知れないし、それに残った原石も、商会の立ち上げの時とても役に立ったんだよって、お父さん達は言ってたわ。
私もお父さんも、それから勿論お母さんも、私達みんなずっと思ってたの。家族だからって甘えてばかりいないで、ちゃんと返せるものは返さなくちゃって。優しさもお金も、もらってばかりでいたらダメだって。だから……」
「エフィ……。分かった。そういう事なら、ありがたくお言葉に甘えさせてもらうわね。……今のあんたなら……あんた達なら、これから先、きっともっと商会を盛り立てていけると思う。頑張って」
「うんっ! ありがとう! 私達頑張るわ!」
まるで花のような笑顔を浮かべるエフィの手を、私は両手でしっかりと握り締める。
あの日、冬の寒空の下、やむを得ず離れ離れになってから8年。
まだ16歳なのに、すっかり身も心も立派な大人になった妹の言動に、私はちょっと涙腺が緩みそうになった。
◆
エフィとコリンさんの口利きで宿に泊まった翌日。
私達は、宿にいた観光案内人の勧めに従って街を散策していた。
昨日から思ってたけど、やっぱりこの街、人の数が多いな。
多分その多くは観光客なんだろうけど。
観光案内人の話によれば、今メリーディエでは、チーズを始めとした乳製品が安価に手に入り、また、それらをふんだんに使ったお菓子も、格安で食べられるらしい。
他所の国のみならず、ここカスタニア王国の中においても、メリーディエ以上に質のいい乳製品を気軽に食べられる街は、どこにもないという。
てな訳で、早速近場の屋台でミニシュークリームとミニチーズケーキを購入してみた。
ミニシュークリームは、カスタードクリーム入りのものと生クリーム入りのものの2種類。多分、サイズ的に生クリームとカスタードクリームのダブルクリーム入りにはできなかったんだろう。
ええ、勿論両方買いましたよ。
言うまでもなく、滅茶苦茶美味でございます。
晩ご飯が入らなくなったら困るから、リトスと私とで買うもの変えて、半分ずつシェアしてるけど。
でも、生クリームとカスタードクリームは、乳製品特有の濃密さと軽やかさが絶妙なバランスで両取りされ、チーズケーキも、濃厚なチーズのねっとり感と甘さ、その後から追いかけてくる仄かで爽やかな酸味とのハーモニーを存分に楽しめる、珠玉の一品だった。
ハッキリ言って、屋台でチョイ売りされてていいようなレベルの品じゃない。
レストランで供されていてもおかしくない味だった。
しかも、だ。屋台で売られているものは、シュークリームやチーズケーキのみならず、他にも色々なものが一口サイズになって売られている。
生地の固さを適度に調整し、ピックで刺して口に運べるようにしてあったり、本来上からかけるソースなどを、予め丸く成型した生地の中に、直接注入するという工夫を施したものもあった。
実はこのメリーディエ、他所の街に先駆けて、食べ歩き文化を取り入れていそうなのだ。
当然ながら、お菓子類だけでなく軽食類なども、食べ歩き可能なように工夫されたものが多い。さっき通りかかった場所にも、チーズ入りのハッシュドポテトとか、ライスコロッケとかを一口サイズにして売ってる屋台があった。
私達も今現在、郷に入っては郷に従えの精神に基づき、みんなで歩きながら屋台で買ったシュークリームとチーズケーキをぱくついている。
周囲に視線を向ければ、私達と同じように、シュークリームなどをピックに刺して、食べながら歩いている人の姿がちらほら見えた。みんな楽しそうだ。
あー、ライスコロッケ美味しそうだったなあ。まだシュークリーム食べてる最中だけど、ちょこっと買ってキープしとけばよかったかも。
思わずそんな風に、食い意地の張った事を考えてしまうくらい、この街の屋台の食べ物はどれもみんな魅力的だ。
聞いた所によると、食べ歩きに関しては、やはり最初の頃は上流階級を中心とした年配の人などから、『行儀が悪い』、『はしたない』などという意見が多く出たらしいのだが、それでも、食べ歩き文化が立ち消える事はなかった。
元々国境に近く、様々な風習を持つ様々な国の商人達の中継点として、長らく機能し続けてきたというメリーディエの歴史的背景が、この新たな文化の受け入れに一役買ったのである。
それでなくても、商人ってのは忙しい人が多いみたいだから、歩きながら腹を満たし、栄養補給ができる食べ歩きは、とても都合がいい考え方だったのだろう。
そんなこんなで、今はレストラン級のハイレベルな品を、気軽に摘みながら食べ歩きできるという、この世界でも類を見ない贅沢さを味わうべく、国内外の各地から観光客が足を延ばしてくる、という事らしい。
つーか、さっきからシエルとシエラが、私とリトスの2人と微妙に距離取ってるような感じがするんだけど、気のせいだろうか。あとなんか、なにかこっそり話してるっぽい感じもするし。どうしたんだろ。
私が首を傾げつつ、ちら、と背後に視線を向けるその間にも、シエルとシエラはやっぱりなにか、こそこそ話をしているようだった。
◇
プリムローズとリトスの2人とやや距離を置いた後方にて、シエルとシエラは互いに肩を寄せ、ひそひそと話し合っていた。
(だーかーらぁ、なんで俺が気ぃ遣って、あいつらと距離取んなきゃなんねえんだよ……!)
(それは勿論、どっから見てももう、あんたに勝ち目はないからよ、シエル。潔く身を引いて、リトスを応援しなさい)
(なっ……! なんつー事言いやがんだシエラ! つか、なんでそんな事お前に分かるんだよ!)
(分かるわよ。むしろ、誰の目から見ても丸分かりでしょ? だってあんたときたら、もう18になるって言うのに未だに全然素直になれないで、プリムにガキ臭い事ばっかしてるじゃない。
一昨日の野宿中にだって、余計な事言ってプリムにデコピンされてたわよね。そんな男を誰が好きになるってのよ)
(ぐ……。そ、それ言ったらリトスの奴だって、全然態度が煮え切らねえじゃねえかよ!)
(あー、確かにそれは一理あるかもだけど、それでもレディファーストってものを心得てる分、あんたよりは可能性遥かに高いわよ。
ていうか……やっぱり料理ができるっていうのが、リトスにとって一番大きなアドバンテージよね。プリムも、自覚があるんだかないんだか分からないけど、今じゃすっかりリトスに餌付けされちゃって。
子供の頃から同居してる分、色んな意味で距離が近くて仲がいいし、リトスの気持ちに気付いたら、あっという間にオチるんじゃないかしら。プリム)
(…………。まだ、分かんねえよ。剣の腕は俺の方が上だし……。もう何年もずっと一緒に暮らしてるってのに、全然好きだって気づかれねえじゃねえか。あいつ)
(ったく、往生際悪いわねえ。剣の腕前や力の強さなんてものに、あの食いしん坊娘が惹かれ訳ないでしょうに。そんなに諦めつかないんなら、いっそあんたも今から料理覚えてみる?)
(はあ!? なんで俺がっ……! 出来っかよそんな事!)
(そうね。こっちから話振っておいてなんだけど、出来る訳ないわよね。だってあんた、スクランブルエッグもまともに作れないんだもの。今更料理の腕でリトスと張り合おうなんて、ちゃんちゃらおかしくて笑っちゃうわよね)
(うるせぇ! 放っとけ!)
(はいはい。ああそれから、一応今のうちに言っておくけど……決闘で勝った方がプリムに告白するとか、そういう前時代的で頭の悪い事だけは言い出さないでね。あんたと双子の姉弟やってる私まで、神経疑われちゃうもの。
プリムだって嫌な顔するに決まってるわ。まるで勝負事の景品扱いされてるみたいだもんね、そういうのって)
(…………)
(ちょっと、ねえ聞いてる?)
(……っせーな。……聞いてるよ……くそ)
(いい歳して拗ねてんじゃないわよ。……。ねえ。やっぱ、こんな風に露骨に距離取るのはよくなさそうね。さっきからプリムもリトスも、私達の事気にしてるみたい)
(当たり前だろ。こんな事されたら俺だって気になるっつーの。気が回るようで回んねえよな、お前。気遣いの方向性がズレてるって言うかよ。――とっとと戻んぞ)
(……分かってるわよ。ていうか、気の遣い方であんたに意見されるの、ムカつくんだけど)
シエルとシエラは、互いに違う意味で肩を竦め、歩く速度を速めてプリムローズとリトスの所へ近づいていく。
息をするような自然さと当たり前さで、それぞれ手にしたシュークリームとチーズケーキを食べさせ合っている、仲のいい幼馴染達の所へ。
正直シエラとしては、なぜあれで付き合っていないのか、不思議で仕方がなかった。
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