第24話 幸福の象徴、陰に燻る火種



 北方の国らしく、過ごしやすくもカラリと晴れた夏空の下、教会の鐘の音が響き渡る。

 正面の扉が内側から開け放たれ、教会の中から純白の衣装に身を包んだ花婿と花嫁――コリンさんとエフィが姿を現すと、教会前に集まった参列者の口から、明るい祝福の言葉が次々と投げかけられていく。

 エフィが手に持っている、真紅のバラとカスミソウを束ねて作ったブーケが目に鮮やかだ。


 エフィが今日着ているのは、目に見えた露出のない立襟・長袖の、至ってシンプルにデザインされたウエディングドレスだった。

 正式名称は『ローブ・モンタント』というそうで、この地方の上流階級の女性が婚姻を結ぶ際に着用する、伝統的な型のドレスらしい。


 ただしスカート部分だけは、昨今の流行が幾らか取り入れられているようで、下へ向かうにつれて緩やかに広がる、軽やかで柔らかな仕上がりになっていた。

 多分あれ、下にパニエでも穿いてるんじゃないかな。


 エフィが言うにはなんとこのドレス、この地方を収めている領主・アイトリア辺境伯が『街興しの立役者となってくれた商会へ、心からの感謝を表する』という名目で、ヴェールやアクセサリー 一式と共に、わざわざ仕立てて贈ってくれたものだという。


 目に見えた派手さは全くないが、その代わり、ヴェールを含めた布地の全てに最高級のシルクが使用されているし、袖口や襟、ウエストライン、ドレスの裾部分には精緻な金糸の刺繍が施され、そこかしこに大粒の真珠が縫い付けられていた。

 左右の耳と胸元で淡い輝きを放つアクセサリーも、真珠で統一されている。


 ドレスとアクセサリー、そしてヴェールと手袋。この日の為に揃えられた何もかもが、身につける者に清楚で気品ある美しさを醸し出させている。

 素人意見だが、そんな意匠であるように思う。


 うん。凄く似合ってるし、凄く綺麗。

 なんか、どっかの国の王妃様みたいじゃん。エフィ。

 ああ写真撮りたい。デジカメが欲しい。


 コリンさんと2人、顔を見合わせて微笑みながら並び立っているその姿は、まさしく絵に描いたような幸せいっぱいのカップルといった様子だ。

 どうかこれから先も、ずっと幸せなままでいて欲しい。

 今後、いずれいつの日か襲い来るであろうトラブルや不幸を、2人で力を合わせて跳ね返し、笑い合えるように。


 ――あーやば。また涙腺緩んできた。

 身体は若くても、中身がオバサンだと涙脆くなるもんなのかな。

 そんな個人的事情を誤魔化すように、私もまた、周囲の人達に負けないくらいの大きな声で、「おめでとう!」と叫んだ。


 ちなみに蛇足ながら、この世界の冠婚葬祭における平民のドレスコードは、大変緩かったりする。

 なので今日私は、ちょっと仕立てのいい青いワンピースを着てるだけだし、シエラも私と同じ、ちょっと仕立てのいい淡いピンクのワンピースを着てるだけ。

 宝飾品はなし。お互い、髪を止めてまとめる為の、木製のバレッタのみ着けてます。


 リトスは生成りのYシャツに茶系のパンツ、同系色のジレを着てループタイを軽く締めた格好で、シエルも同じようなナリをしている……っていうか、なんかほとんど双子コーデみたいな感じになっちゃってて、少し笑いそうになった。

 まあもっとも、他の出席者の服装も、大体私達と似たり寄ったりなんだけど。


 どうして結婚式の参列者が、みんな揃いも揃ってそんなラフな服装してるのか。

 それは、平民の多くは平均して年収が低く、誰もが特定の日にだけ着用する、お洒落で値の張る服を用意できる訳ではないから。


 勿論私達だって、年収はそんなにない。

 生活環境的な理由から一切食うには困ってないが、むしろ稼ぎは少ない方だと思う。

 それゆえ平民には――


 1つ、花嫁・花婿より目立つ格好をしない。

 2つ、服装に白と黒を入れないようにする。

 3つ、過剰な露出のある服装で出席しない。


 上記3点を守ってさえいれば、普段着で結婚式に出席しても特にマナー違反には当たらない、という、独自のルールが適用される訳です。

 葬式の際もしかりだ。別段黒の喪服を用意せずとも、暖色系や白を避け、普段着より彩度や明度の低い服を着て行けば、それで誰もが納得する。


 私のようにお洒落意識が薄く、服装に対するこだわりや頓着がほとんどない人間にとって、この世界の平民社会というのはとっても楽で大変ありがたい。

 あー、公爵令嬢やめられてマジよかった。

 ある意味ラッキーだわ。


 色んな事をつらつら考えていると、やおらシエラに肘で身体をつつかれる。


「プリム、ちょっとプリム! ぼさっとしてないで構えなさい! ブーケトスが始まるわよ!」


「へ? あ、そう? んー、でもなぁ、私別に――」


 いい人なんていないし、と、言いかけた瞬間、エフィが手にしたブーケを空高く投げ上げた。


 こっちの世界には、花嫁のブーケは地面に落ちる前にキャッチしなければならない、という暗黙のルールがある。

 一度でもブーケを地面に落とすと、地中に住んでいる悪戯好きの土の妖精に、ブーケに宿っている『縁』を全部持っていかれてしまう、と言われているからだ。


 当然今もブーケを狙う女性達の目は、誰も彼もみな真剣である。

 つーか、真剣なの通り越してギラついてて、ちょっと怖いんですが。


「きゃーーっ! 落ちる! 地面に落ちちゃう! 拾ってぇっ!」


「えっ!? えっ!? ちょ、そんな事言われたって……!」


 赤い花弁を何枚か宙に散らしつつ、吹き抜ける風にやや流されたブーケは、むきになって全力で手を伸ばすシエラと、シエラの声に焦って、思わず反射で手を伸ばした私の間に落ちてくる。


 正直、ブーケ自体に対しては特に興味はない。しかしそれでも、妹の幸せが詰まったブーケだと思うと、地面に落とすのはやはり嫌になるもの。


 その結果、完全に接地してしまう前に、と、2人で慌ててブーケを掬い上げて掴んだせいで、ブーケの所有権がどっちにあるのか分からないという、なんとも締まりのない結末を迎えるに至り、私とシエラは周囲から、なんとも言えない苦笑い向けられる羽目になったのだった。




 ブーケトスの後に軽く話し合った結果、私とシエラはエフィの商会の関係者に頼み、ブーケを綺麗に2分割してもらった。

 折角の祝い事の席なのだし、ここは2人仲よく『縁』を分け合おう、という結論を出した訳です。

 妹の結婚式で友達と揉めるなんて、私としてもノーサンキューだからね。


 それから、魔法でドライフラワーを作ってくれるという業者を、式の後のガーデンパーティーで紹介されたので、私達はその業者に早速ブーケを渡す事にした。

 このまま普通に持ってても萎びて枯れちゃうだけだし、どうせなら、少しでも長く楽しめるようにしようと思ったのだ。


 このパーティーの最中からドライフラワーの制作作業に入るとの事なので、遅くとも明日にはドライフラワーが出来上がっているはず。

 パーティーのご馳走を摘むのとは、また違う楽しみができて嬉しい。

 内心ちょっとワクワクしていると、グラスを手にしたエフィがこっちに近付いてきた。


「お姉様、パーティー楽しんでくれてるかしら」


「ええ勿論。このクラッカーに塗ってあるクリームチーズ、軽いのに味が濃くて美味しいわね」


「そう? ……ふふっ。実はそれ、クリームチーズじゃなくて、水分を切ったヨーグルトなのよ?」


「え、そうなの? へぇ……水気を切るだけで、こんなにも風味が変わるものなのね……。これってエフィが考えたの?」


「ううん。これはコリンが考えたのよ。その他にも、弾力が強くて加熱するとよく伸びる『フェアレンチーズ』とか、そのフェアレンチーズを袋状にして、中に生クリームを詰めた、まん丸の『シアールチーズ』とか……色々新商品を考えてくれたわ。

 彼、そういう新しいものを考えるのが得意みたいなの。どれもまだ試作段階で、売り出す所までは行ってないんだけどね」


「そっかぁ。エフィの旦那さん、思考が柔軟なのね。どっちも聞くだに美味しそうだし、きっとよく売れるんじゃない?」


 ニコニコ笑って言うエフィに、私も笑ってそう答える。

 っていうか……。多分今エフィが言ったフェアレンチーズって、モッツァレラチーズに特徴が似てるし、シアールチーズに至っては、構造がまんまブッラータじゃないか?


 よくもまあそんな事思い付くな。

 なろう小説に出てくる、食糧事情に革命を起こす転生者のようだわ。

 私がうんうんうなづいて感心していると、低めの生垣で囲まれた、パーティー会場になってる庭の外――目抜き通りの脇道を、ガシャガシャ音立てながら小走りで抜けていく人が、何人かいる事に気が付いた。


「あれ? ……ねえ、今の人達って、もしかして警備の兵士さん?」


「え? うん、多分そうだと思う、けど……」


「? どうしたの、エフィ」


「……。あのね、お姉様。ここだけの話なんだけど、なんだか最近この街、武装している人の数が多くなった気がするの。領主様の警備兵もそうだけど、他所から来た傭兵みたいな人達も、よく見かけるようになったし……。

 特に領主様が何か仰ってる訳でもないから、私達商人が気にかけるような事なんて、何もないと思うのだけど……でもなんだか、落ち着かないのよね」


 エフィは形のいい眉を寄せながら、小さくため息をつく。

 武装した人間の数が増えた、か。なんかきな臭いな……それ。


 楽しい祝いの空気に水を差されたような気分になって、私も少しだけ眉根を寄せる。するとまた、生垣の外にある道を、誰かが金属音を響かせながら小走りに進んで行くのが見えた。


 もしかしたら、私達平民の与り知らない水面下で、何かが起きているのかも知れない。

 半端に残ったグラスの中身をチビリと口に含みつつ、私は何となくそう思った。



 街の一角で、華やかなウエディングパーティーが開かれているその一方、メリーディエの治安維持を担う警備兵詰め所では、緊迫した空気が流れていた。


 ここひと月の間、街に2か所ある孤児院から、子供が1人2人と、少しずつ姿を消す事件が発生し続けているのだ。

 今日もまた、2人の子供の行方が分からなくなっており、今も警備兵達は隊長の指揮の元、3、4人の班を作った上で、街中やその周囲を捜索している。


 事件の発覚からこの方、一向に解決のめどが立たない案件に業を煮やした、警備兵を指揮する警備隊長は、領主から与えられた権限を使い、同領内の別の街から応援の兵を呼びよせ、今も子供達の捜索に当たっているが、芳しい結果は得られていない。


 孤児院というのは、お世辞にも恵まれた生活ができるとは言い難い場所だ。

 ゆえに、自身の将来や行く末を悲観して命を絶つ子供、もしくは、よりよい環境での暮らしを夢見て姿を消す子供などが、ごく稀に出る。

 しかしながら、こうまで立て続けに何人もの子供が姿を消すなど、今までの傾向から見ても有り得ない事だった。


 特に、ここメリーディエの孤児院は数年前、酪農産業で大成功を収めた移民の実業家・クリフ夫妻の功績によって、街そのものが豊かになった影響から、受け取れる支援金や物資が増えた為、他所の街と比べて過ごしやすく、安定した環境へと変わってきている。


 つまり、昨今の孤児院は子供達にとって住みよい場所で、出ていく理由は希薄になっているはずなのだ。


 となれば、当然警備の兵達が次に疑うのは、人攫いの存在である。

 だが、どれほど街中をくまなく捜索し、聞き込みを続けても、なぜかそれらしき情報は全く出て来ない。


 分かった事と言えば、まるでお伽話に出てくる精霊のかどわかしのように、どの子供達も、なんの痕跡も残さぬまま忽然と消えているようだ、という事だけ。

 警備隊長は頭を抱えるばかりだった。


 なお、幸い今の所、街の治安の悪化を懸念する声などは特に上がっていない。

 言い方はよくないが、いなくなっているのは全て、親のない孤児ばかりだという事もあって、騒ぎ立てる大人がほとんどいないからだ。


 むしろ、孤児院の子供がいなくなっているという事に、全く気付かず過ごしている者の方が圧倒的に多い。残念ながら、街で普通に暮らしている大人達と孤児院の子供達との接点は、それほどまでに薄いのである。



「――失礼します。捜索状況の進捗をお知らせに参りました」


 そんな中、苦虫を嚙み潰したような表情を隠す事もなく、詰め所の中で兵の指揮を執り続けている警備隊長は、戻って来た部下にうなづきながら答えた。


「ああ、ご苦労。どうだ、何か進展はあったか?」


「いえ。今の所、全く。やはりどこへ行っても、不審な者を見たという情報すら出て来ません。ただ……」


「ただ?」


「レカニス王国を経由してきた、複数名の商人に聞き込みをした所……どうやらここ数日の間、北の関所で荷の出入りが活発になっているようです。証言によると、大した量もない似たようなサイズの木箱を、国境間で何度も持ち込んだり運び出したりと、随分忙しない様子だったそうで。


 それを怪訝に思った商人の1人が、世間話を装って、荷の出し入れをしている者に話を訊こうとした、らしいのですが……。なんでもその者達は、レカニス王家の御用商人だという事らしく……。その、それもあって、何も訊けなかった、と」


「それはまあ、当然だろうな。自国にせよ他国にせよ、王家の御用商人に、運んでいる荷の内容物の事なんぞ訊ける訳がない。だが……」


「……。はい。自分も臭いと思います。ですが、他国の王家が絡んだ話となると、一介の警備兵にしか過ぎない自分達にできる事など……」


「みなまで言うな。しかし……うむ。だからと言って座視するには、あまりに怪し過ぎるか……」


「……。いかが致しますか、隊長」


 腕組みしながら唸る警備隊長に、部下の兵士が様子を窺うような視線を向ける。

 だが警備隊長は、そう長くは悩まなかった。


「……そうだな。ここはひとまず、アイトリア辺境伯公に事の次第をお伝えし、判断を仰いでみるとしよう。だが、過度な期待はするんじゃないぞ。

 辺境伯公は何においても、国王陛下より賜ったご自身の領……ひいては我が国の領土を死守せねばならんという、重責を担っておられる。


 場合によっては大事の為に小事を切り捨てる、そういった非情な決断を下さねばならんお方だという事を、ゆめゆめ忘れるな」


「分かっております。自分の実家の両親も、辺境伯公にお仕えしている身ですから。……しかし……何と言いますか、先月から兵の間で流れてる件の噂といい、昨今は嫌な話ばかり耳に入ってきて、精神的にキツいですよ……」


 部下の口からやおら零れた、愚痴めいた言葉を耳にした警備隊長が片眉を上げる。


「噂? ――ああ、隣国のレカニス王が、戦争の準備を進めているらしいとかいう話か。確かにあの国も、8年ほど前にあった国王の代替わりあとから、あまり動きが読めなくなっているからな。

 まあ、現王は前王と比べて、随分と優秀らしいという話はよく聞くが……」


「その話は自分も聞いてますけど……かと言ってその優秀な王が、どこの誰に対しても善良であるという保証は、どこにもないじゃありませんか」


「ああ、分かっているとも。ここで俺達が他国の王に関してあれこれと語った所で、状況は何も変わらんという事も含めてな。――さて。俺は今から、アイトリア辺境伯公へ報告の手紙を書く。お前は引き続き、子供達の捜索に当たってくれ。

 何か判明した事があれば、即座にここへ戻ってきて報告しろ。どんな小さな事でもだ。いいな」


「はっ。速やかに捜索に戻ります。失礼しました」


 略式の敬礼を取ったのち、言葉通り速やかに踵を返し、室外へ出ていく部下の背に目を向けながら、警備隊長は深く長いため息を吐き出した。

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