第248話 一日の最後に話す相手は
怜と別れた後、桜彩は風呂で汗を流す。
「ふぅ……。凄く心地良いなあ」
お湯に浸かっていると自然に口から言葉が漏れる。
昨日までも自分一人でストレッチは行っていた。
それが怜と一緒というだけで、とても充実感がある。
いやもちろん昨日までとは負荷の掛け方もだいぶ違うのだが。
心地好い疲労感もあっていつもの風呂がいつも以上に気持ち良く感じてしまう。
お気に入りのバスオイルの香りを堪能しながら先ほどまでの怜とのストレッチを思い出すと、つい顔に笑みが浮かんでしまう。
「ふふっ。疲れたけど楽しかったぁ……」
緩んだ顔のまま、ほぅ、と呟く。
(それに、私の、その……香りが落ち着くって……)
汗だくのまま怜に密着し、あまつさえ怜の顔に汗を垂らしてしまった時は本当にもう何もかもが終わったと思ってしまった。
しかしそんな予想に反して、怜の口から出た言葉は本当に嬉しかった。
(だ、だからといって、汗のケアはちゃんとやらなきゃだけど……)
恥ずかしくなってしまい、浴槽の湯を掬って顔にバシャバシャと掛けて気持ちを落ち着ける。
もちろん怜が良い香りだと言ってくれたとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。
いや、お互いに汗をかいたまま相手の香りを嗅ぎ合っていた身でありながら今更恥ずかしがるのも何なのだが。
そんな感じで今日一日の出来事を思い出しながらいつも以上に時間を掛けて入浴を楽しんだ後、自室に戻っていつも通りに肌や髪のケアをする。
「あ、そうだ」
ケア用品を片付ける際に目に映ったのはスマートフォン。
それを見て昨日蕾華へと相談したことを思い出し、事の顛末を説明する為に蕾華へとメッセージを送る。
『蕾華さん 起きてる?』
『起きてるよ どうしたの?』
すると昨日同様、すぐに蕾華から返信が来たことに安堵する。
やはり相談した相手には早い内に事実を伝えたい。
『ダイエットについてなんだけど 色々あって成功したよ』
ピピピピピ
するとすぐに蕾華からの着信音が鳴り響く。
「もしもし、蕾華さん?」
『え? サーヤ、ダイエットが成功したってどういうこと!? まだ一日だよね!?』
スマホの向こう側から不思議そうな声が聞こえてくる。
まあそれも当然だろうと桜彩の顔に苦笑が浮かぶ。
そんな蕾華に桜彩は先ほどの件を説明する。
説明が終わると一拍置いて、スマホから蕾華の呆れるような声が響いてきた。
『ふーっ。まあ、なんていうかね……』
「う……。わ、分かってるよ。変な事言っちゃったって……」
桜彩としても蕾華が呆れるのは理解出来る。
逆の立場であれば自分も呆れていたかもしれない。
しかしあの時は、なにしろ五キロも体重が増えていたというその事態により冷静な判断が出来なくなってしまったのだ。
『ほら、アタシの言った通り、サーヤって全然太ってないじゃん』
「う、うん。そ、それなんだけど……」
『まあサーヤも太ったわけじゃないって分かって良かったでしょ?』
「あ、いえ、そ、その、でも春先に比べて一キロ弱くらい増えてたのは本当なんだよ……」
実際に体重計の誤差を修正したところで厳密には桜彩の体重は春先に比べて増えていたことは事実だ。
『そんなもん誤差だって、誤差。量るタイミングでもそのくらい違うことなんてざらにあるし』
「そ、そうなの……?」
『そうだって。例えば水をコップ一杯飲めば、それだけで百グラム以上増えるわけだしさ。質量保存の法則だよ』
「う、うん。怜もそう言ってくれたよ。で、でも春先も同じようなタイミングで量ったんだけど……」
怜も蕾華も似たようなことを言ってくれるが、桜彩が春先に体重を量ったのも風呂上がりで同じタイミングだ。
であれば、本当に体重が増えたと考えるべきだろう。
『……ってかさ、サーヤ。昨日、胸のサイズ、大きくなったって言ってたよね。それじゃないの?』
スマホから昨日と同じく不満そうな蕾華の声が聞こえてくる。
『てか、今日の放課後もそう言ってたよね』
蕾華と共に下着を選んでいた際にサイズについての話をしたことを思い出す。
「え……? で、でも、例え胸が大きくなったとしても、体重が増えたのは事実で……。ま、まあ蕾華さんの言っていた通り、怜にスタイルが良いって褒められたけど……」
『処刑!』
「えっ? ええっ!?」
『だからそれは自慢なの! 全く……お姉ちゃんといい、なんでアタシの周りはみんな胸が大きいんだろ……』
悩むような蕾華の声。
実際に瑠華は蕾華に比べて胸だけは大きい。
瑠華が蕾華にマウントをとることの出来る数少ないポイントだ。
「だ、だけど蕾華さんも充分にスタイルが良いと思うけど……」
『はあ……だからさ、サーヤがそれを言うと、下手したら嫌味になるからね』
「ええっ!?」
ちなみにそんな蕾華の言葉も他の女子が聞いたら嫌味になりかねないのだが。
『でもまあ良かったよ。サーヤが問題ないことが分かって。それじゃあサーヤ、もう遅いからおやすみ』
「うん、ありがとう。おやすみ」
そう言って二人は通話を終える。
通話が終了したスマホを充電器に挿してベッドへと倒れ込む桜彩。
そしていつも通りれっくんを抱えて電気を消す。
「ふふっ。明日は朝から怜とジョギングかあ。楽しみだなあ」
その後はストレッチのほどよい疲れもあったので、昨日同様すぐに夢の世界へと旅立って行く――
「あっ……!」
――前にその事実に気が付く。
今日、最後に話したのは怜ではなく蕾華。
それだけではない。
昨日、最後に話した相手も蕾華である。
ゴールデンウィーク、桜彩が実家に帰った時の怜との会話を思い出す。
『だから桜彩が『おやすみ』って一日の最後に話す相手も『おはよう』って一日の最初に話す相手も俺じゃないんだなって思っちゃって』
『だからその……もしも怜が私と話した後で、美玖さんや蕾華さん、陸翔さん達と話してるって考えると私もモヤっとするし……』
あの時、二人共一日の最初と最後に話す相手がお互いではない事を残念に思ってしまった。
もちろん桜彩としても蕾華はとても大切な親友でもある。
しかし、やはり最後に話すのは怜が良い。
それに気が付くと、桜彩の心に寂しさが訪れる。
(……怜、まだ起きてるかな?)
そう思ってスマホのメッセージアプリから怜の名前を選択する。
『怜、まだ起きてる?』
ヴヴヴ
メッセージを送信した数秒後、桜彩のスマホが震えて怜からのメッセージが届いたことを告げて来た。
怜からメッセージが来たことに桜彩の顔がぱあっ、と明るくなる。
(良かった。起きててくれた)
スマホに目を落として怜からのメッセージを確認する。
『起きてるよ どうかしたのか?』
その返信を見てメッセージアプリの通話のボタンを押すと、怜の声が聞こえてきた。
『桜彩、どうかしたのか?』
スマホから聞こえてきた声、今一番待ち望んでいた声。
そんな心配するような声に少々申し訳なく思いながら話を続ける。
「あ、遅くにごめんね」
『気にしないで良いって。それで、なにかあったのか?』
「あ、うん。実はさ――」
そして今しがたの出来事を怜へと伝える。
『そっか。そう思ってくれて嬉しいよ』
「ありがとね、怜。こんな我が儘聞いてくれて」
『構わないって。それにさ、ゴールデンウィークの時は俺の方から同じような事言ったわけだし。それじゃあ桜彩。今日の最後の挨拶をするか』
「うん。ありがと。それじゃあおやすみ、怜」
『ああ。おやすみ、桜彩』
それで通話が終了する。
一分にも満たない二人だけの通話。
しかしそれだけでに桜彩の胸が温かくなっていく。
「ふふっ、良い夢見れそう」
スマホを机の上にそっと置いてベッドの中へと潜り込む。
そしてストレッチによる心地好い疲れと怜との会話による心の充実により、桜彩は夢の世界へと旅立って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……ありがとう、か。むしろお礼を言うのは俺の方なんだけどな」
たった今、寝ようとしたところで掛かって来た通話に怜の顔に笑みが浮かぶ。
一日の一番最後に会話する相手に自分を選んでくれた。
その事実が本当に嬉しい。
嬉しく感じる理由は今の怜には説明が出来ないが。
「……それじゃあ俺も寝るかな」
そう呟いて、怜は部屋の電気を消す。
明日、一番最初に会話する桜彩との『おはよう』を想いながら。
【後書き】
前編はここで終了となります。
第五章前に作成した簡易プロット通りでは、この後に球技大会イベントを考えていたのですが、実際に書いて見るとダイエット編が予想以上に長くなったことに加え、球技大会編も予想以上に長くなりそうですのでひとまずここで区切ることとしました。それに伴い前編を【クールさんと運動】から【クールさんとダイエット】編へと変更します。
中編からは球技大会にかこつけて二人の想いに変化を付けていく予定です。
前編の時点で既に当初のプロットから外れてしまっていますが、何とか頑張っていければと思います。
よろしければ感想等頂けたら嬉しいです。
話の展開が遅い、いい加減二人に恋心を自覚させろ、といった内容でも構いません。
また、面白かった、続きが読みたい等と思っていただけたら作品や作者のフォロー、各エピソードの応援、☆での評価、レビュー等頂ける嬉しいです。
出来れば意見、感想、評価等頂けたら嬉しいです。
(『面白かった』と書いていただけるだけでも嬉しいです)
今後もよろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます