第242話 ダイエットメニューと食うルさん

「それじゃあ一旦勉強の方は中断するか」


「うん、そうだね」


 切りが良いところで炊飯器の方を見ると、炊き上がりまで後十分程度となっていた。

 一旦勉強用具を片付けてテーブルの上を清掃。

 そして二人共エプロンを着用してキッチンへと向かい、夕食の準備を再開する。


「それじゃあ料理に戻るか。桜彩、サラダの方は任せて良いか?」


「うん。キュウリが多めで良いんだよね?」


「ああ。俺はタレの方を作るから」


 付け合わせのサラダを桜彩へと任せてタレの準備に取り掛かる。

 といっても特定の調味料を混ぜ合わせれば完成だ。

 ボウルを用意してそこに摩り下ろしたショウガや醤油、オイスターソース等の原料を混ぜ合わせ、みじん切りにしたネギを散らしていく。

 小さじでそれを掬って一舐めすると舌の上でピリッとした辛みの刺激が走る。


「うん。こんなものかな。桜彩ーっ」


「え? どうしたの?」


 怜の言葉にサラダの準備を中断した桜彩がきょとんとして振り向く。

 そんな桜彩に怜は新しいスプーンでタレを掬って差し出した。


「ちょっと味をみてくれないか?」


「あ、うん。分かったよ」


 そして顔を少し下げて差し出されたスプーンを咥える。


「んっ」


「どう? 辛くないか?」


 怜の問いに桜彩はスプーンから口を離して満足げに笑みを浮かべる。


「うん、このくらいなら大丈夫。甘辛で美味しいよ」


「そっか。それじゃあタレの方はこれで完成だな」


「ふふっ、楽しみ~っ」


 かき混ぜていたボウルの中身を専用の容器へと移し替えてタレの方は完成だ。

 そうこうしている内に桜彩の方もサラダの準備が終了する。


「うん。こっちも完成!」


 その言葉にサラダボウルの中を見ると、レタスやトマト、そしてキュウリが飾り付けられている。

 やはり一緒に料理を始めた当初からは想像も出来ないくらいに腕前が上達したのが分かる。


「よし。それじゃあテーブルに持って行くか」


「うん。後はご飯だね」


「ああ。っと、そうこう言ってるうちに炊けたぞ」


 桜彩がサラダを運んでいると、炊飯器がピーッと音を立てて炊き上がりを知らせてくる。

 その音に中身を確認する為蓋を開けると、すぐさま美味しそうな香りが二人の鼻へと届く。


「よし。良い感じだな」


 炊飯器の中を確認すると良い感じにご飯が炊けており、その上のむね肉も柔らかそうにその存在を主張している。


「ホント? やった、楽しみーっ!」


 嬉しそうな声を上げながら桜彩も炊飯器の中身を確認する。


「それじゃあ俺は鶏肉を切っちゃうから、桜彩はご飯を皿に盛ってくれるか?」


「うん、分かった」


 そう言って怜は炊飯器から鶏肉を取り出して、食べやすい大きさに切っていく。

 その間に桜彩は怜の指示通りに更にご飯を丸く盛りつける。


「よし、後はこれを載せて……」


 盛り付けられたご飯の上に鶏肉を綺麗に並べていく。

 その上に先ほど作ったタレを掛けて完成だ。


「よし、完成。桜彩、運んでくれるか?」


「うん。あれ、まだ何か作るの?」


「作るってほどでもないけどな。お米を炊くのに使ったチキンスープの味を調整するだけだ」


 そう言いながらチキンスープの中へと各種調味料を入れて味を整えていく。


「ふふっ。それも楽しみだな」


 そしてついにテーブルの上に全ての料理が並ぶ。

 サラダにチキンスープ、そしてメインはカオマンガイ。

 鶏むね肉を使ったタイのチキンライスとして有名だ。

 日本にあるタイ料理店では必ずメニューに存在すると言っても過言ではないだろう。


「やった! それじゃあ早く食べよ、食べよ!」


 テーブルの上の料理を前に、待ちきれない様子の桜彩。

 そして二人揃ってエプロンを脱いで椅子に座って手を合わせる。


「それじゃあ……いただきまーす!」


「いただきます――って桜彩、ストップ!」


「え?」


 当然のようにメインのカオマンガイにスプーンを伸ばした桜彩を慌てて止める。

 対照的にスプーンをカオマンガイの手前で停止させたままポカンとする桜彩。


「あれ? 何か変なことしちゃった?」


「いや、変な事ってわけでもないけどな。でもダイエットって観点から考えるとまずサラダやスープから食べた方が良い」


「え? そうなの?」


「ああ。最初に食物繊維を摂ることで血糖値が上がりにくくなって脂肪の吸収が抑えられるからな」


「へー、そうなんだ」


 今日の食事はダイエットメニューということで、ならば食べる順番にも気にした方が良いだろう。

 怜の説明に感心したように頷く桜彩。


「まあサラダは多めに用意したからな。まずある程度サラダとスープを食べたら後は好きな順で食べれば良いと思うぞ。前にも言ったけどさ、俺としては桜彩はダイエットが必要なようには見えないしな」


「ふふっ、ありがと、怜」


 そうにっこりと笑いながらスプーンを置いて、桜彩がサラダへと箸を伸ばす。


「うんっ。このサラダも美味しいね。あのタレってお肉だけじゃなくてサラダにも掛けられるんだ」


 甘辛のたれの掛かったサラダを美味しそうに食べる桜彩。

 怜としても桜彩がこの味を気に入ってくれて嬉しそうに笑う。

 一通りサラダを食べたところでいよいよメインのカオマンガイに再チャレンジだ。


「それじゃあ今度こそ、いただきます!」


 桜彩が再びスプーンをカオマンガイへと伸ばす。

 今度はそれを阻むものはなく、念願のカオマンガイを口に頬張る。


「うんっ! 美味し~い!」


「ははは、ありがと」


 幸せそうにカオマンガイを頬張っている姿を見ると、怜としても嬉しさや達成感が込み上げてくる。

 こうして桜彩の食べている姿は本当に料理人冥利に尽きる。


「これ本当に胸肉なの? しっとりプリプリしてて美味しすぎーっ!」


「ははは。気に入ってくれて嬉しいな」


「もっちろん! こんなに美味しい物、気に入らないわけなんてないよ! 私、むね肉に対する価値観が変わりそう~っ」


 怜の言葉に桜彩が自信満々に頷く。

 怜もカオマンガイを食べて見ると、桜彩の言った通りとても美味しい。

 しっとりと柔らかくなった胸肉は特有のぱさぱさ感などまるで感じられない。


「後はよく噛んで食べると良いぞ。噛むことによって満腹中枢が刺激されて満腹感を生み出す作用があるからな。だから食べすぎも防げるぞ」


「え? そうなんだ。でもそうなると今日作ったこのカオマンガイが余っちゃわない?」


 本日炊いた米は二合。

 怜も桜彩も普段からよく食べるので気にしてはいなかったのだが、普通に食べる分として一人一合は少々多い。


「その場合は明日の朝に鶏雑炊にすればいいって。卵もあるしな」


「わあ、それも楽しみーっ!」


 カオマンガイを食べながら鶏雑炊のことを考えてうっとりとした表情を浮かべる桜彩。

 この分なら明日の朝食も気に入ってくれるだろう。


「ははは。まあ食うルさんならよく噛んだとしても、このくらいの量は全部食べ切っちゃうかもしれないけど……あっ……」


 楽しさからつい怜の口が滑り、慌てて手で口を押さえる。

 だが当然ながら桜彩がそれを聞き逃すことはない。

 口を押えたままの怜がおそるおそる対面を見ると、先ほどまでカオマンガイを美味しそうに頬張っていた時とは対照的に、桜彩が睨むような目をこちらの方へと向けていた。


「れーいーっ!? 今、何て言ったの!?」


「え、えっと……明日の朝は鶏雑炊にしようかなって……」


 冷や汗を流しながら言い訳を試みる。

 だがテーブルの対面から桜彩が身を乗り出しながら迫ってくる。


「その後! 今、食うルって言ったよね!?」


「……そ、そうだっけ?」


「へー、忘れちゃったんだ。なら、思い出させてあげるね!」


 止める間もなくテーブル越しに怜の両頬に手を伸ばす桜彩。

 そして当然のように前後左右に振り回す。


「痛っ、痛い! ごめんっ!」


「誰が! 食うル! だって!?」


「ごめんなさい! 桜彩は食うルじゃありません!」


 そんなじゃれ合いを続ける怜と桜彩のことを傍らで眺めるれっくんと千円。

 二体のぬいぐるみの目からはなんだか呆れているような感じがした。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 結局のところ桜彩食うルさんがカオマンガイを全て食べつくすということはなく、明日の朝食のメニューは鶏雑炊ということが無事に決まった。

 怜の両頬に関しては無事ではないのだが。

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