第243話 クールさんとスポーツウェア

 食後、ひとまず落ち着いた桜彩と、食事前に中断した勉強を再開する。

 そしてその後は予定通り、一緒に運動だ。

 とはいえもう遅い時間なので外でのジョギングは明日の朝以降となる。

 またこのアパートはそこそこ防音性もあるのだが、かといって大きな音を立て過ぎては他の部屋に響くかもしれない。

 その為怜の自室で行う夜のトレーニングはその辺りのことを考えたメニューとなっている。

 2LDKのアパートの一室には騒音に配慮したエアロバイクやバランスボール等が厚いマットの上に置かれている(この部屋は陸翔や蕾華の私物置場でもある)。

 怜もトレーニングウェアに着替えて準備しているとリビングにインターフォンの音が鳴り響く。

 一度自室へと戻った桜彩が、放課後に購入したウェアに着替えて戻って来たのだろう。


『怜、お待たせ』


 受話器を取ると予想通り桜彩の声が聞こえてきた。


「待ってないって。鍵は開いてるから入って来て」


『ふふっ。ありがとね』


 すると玄関の扉が開く音がして、少し後に鍵をかける音とが響いて来る。

 数秒後、リビングの内扉が開いてそこから桜彩がおずおずと姿を現した。


「あの、怜……」


 瞳に映るその姿を見て怜は言葉を失ってしまう。

 それもそのはず、てっきり放課後に一緒に選んだウェアを着てくるのだろうと思っていたのだが、今桜彩が着ているのは怜と共に選んだ物ではない。

 怜と一緒に選んだ物は、トップスは全てシャツタイプでありボトムスはロングパンツタイプの物だ。

 だが今桜彩が着ているのはそのいずれとも違う。

 トップスはヨガ等でよく使われるノースリーブで体に密着するタイプの物だ。

 桜彩の上半身に完全にフィットしており、女性として魅力のあるスタイルをしている桜彩が着用すると目の毒だ。

 ボトムスの方もレギンスとなっており、こちらも桜彩の足にフィットしてその脚線美がこれでもかというくらいに強調されている。

 そして何よりそのお腹。

 トップスの丈が短いタイプの物なので、ボトムスとの間に可愛らしいお腹がチラリと見えてしまっている。

 ただでさえ魅力的な桜彩がこういった服で現れるとは予想すらしていなかった怜としては、本当にもう何も考えることが出来なくなる。


「さ、桜彩……?」


「う、うん……」


 お互いを見たまましばし固まってしまう二人。


(え、えっと……こ、これはいったい……?)


(うう……恥ずかしいよぅ…………)


 顔を真っ赤にしたままお互いに見つめ合う。


「あ、あの、それでこれ、どうかな……?」


 恥ずかしさに負けないように両手を広げて体全体を見せるような体勢をとる桜彩。

 そうすることでより桜彩の体のラインが、具体的にはその胸部が強調されてしまい、買い物の時以上に怜の顔が赤くなってしまう。


「に……似合ってる……う、うん……本当に……」


 それは間違いなく怜の本心だ。

 桜彩本人は太ったと言っていたが、怜の目からすれば太っているようには思えない。

 むしろそんなことを他の女子に言った場合、袋叩き似合うだろう。

 それほど桜彩のスタイルは怜の目から見ても魅力的だ。

 そんな桜彩が体のラインをこれでもかというくらいに強調した服に身を包んでいる。

 似合わないわけが無い。


「そ、そっか……。良かった……」


 赤い顔のまま安堵したように息を吐く桜彩。

 そして嬉しそうにはにかむ。

 それを見て怜の心臓の鼓動が更に早くなる。


「え、えっと……似合ってはいるんだけど、それ、どうしたんだ……? 俺と一緒に買い物に行った時には買ってなかったよな?」


「う、うん。その、蕾華さんがね――」


 そう言って桜彩は、怜と別れた後に何があったのかを語りだした。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ねえサーヤ、ウェアの方はどんなの買ったの? ちょっと見せて」


 下着を買った後、ふとそれが気になった蕾華が好奇心でそう尋ねて来る。


「あ、うん。分かったよ」


 桜彩としても別に隠すことではないので桜彩へとウェアの入った袋を渡す。

 好奇心全開でその中身を確認する蕾華。

 一つ一つの品を見ながらうんうんと頷いていたのだが、全てを確認したところでその顔に疑問符が浮かぶ。


「あれ、サーヤ。これって全部シャツとロングパンツだよね?」


「え? うん。そうだけど……」


 何着か購入したとはいえ種類としてはそれだけだ。

 それを聞いた蕾華が難しい顔をしながら腕を組んで考えこむ。


「あ、あの、何かおかしいでしょうか……?」


 心配そうにそう問いかける桜彩。

 そんな桜彩に蕾華はぶんぶんと首を横に振って


「あ、ごめんね。別におかしいってわけじゃないんだけどさ。でもサーヤ、どうして他の種類は選ばなかったの?」


「え、と、どうしてって……。いまは暑い季節だから必要以上に上に羽織ったりしなくても……」


 ロングタイプのシャツやアウターも当然売ってはいたのだが、これからの季節において着用することはないだろう。

 ならば焦って買う必要も無い。

 しかしそんな真っ当な返答を聞いた蕾華はガシッと桜彩の両肩を力強く掴む。

 その迫力に少し後退してしまう桜彩。


「そうじゃない、上に羽織る物の話じゃないって! 例えばトップスでももっと色々とあるじゃん! タンクトップとかノースリーブとかそういうの!」


「え、ええっ!?」


 それを聞いた桜彩の口から大声が上がると周囲から何事かという視線が向けられる。

 桜彩も蕾華も美人であり、ただでさえ人目を集めやすいところ、より注目を集めてしまった。

 周囲の視線に気が付いた桜彩が顔を赤くしてしまう。


「ま、ちょっと場所移動しよっか。りっくんとれーくんには遅れるって伝えとくから」


 スマホを取り出して二人へとメッセージを送る蕾華。

 そして場所を移動して話の続きを再開する。


「それでサーヤ、なんでシャツタイプばっかなの?」


「な、なんでって……。そもそもそんな恰好で外に出るなんて無理だよ……」


 もちろんそれが運動に適した格好であり、それを着用した状態で人前で運動している女性がいるということも理解している。

 しかし桜彩としては恥ずかしい物は恥ずかしい。

 もしそれを見せるとしても、相手は家族かそれに近い――


(ま、まあ怜になら見られても……)


 そんなことを考える桜彩に対して、その表情から蕾華も桜彩が何を考えているかなんとなく察する。

 そしてニヤッとした笑みを浮かべて


「ねえサーヤ。運動っていってもさ、外で走るだけじゃないでしょ?」


「え? う、うん……。朝は怜と一緒にジョギングだけど、夜は怜の部屋でストレッチがメインになる予定だよ」


 桜彩の口から出た答えは蕾華に取って予想通りの物だった。

 内心で『よしっ!』とガッツポーズしながら桜彩へと言葉を続ける。


「うんうん! だったらさ、別に知らない人にそんな恰好を見られるわけじゃないでしょ?」


「うん……。確かに怜にしか見られないけど……」


「ほらほら! だったらもっと別の物買っても良いじゃん!」


「え、で、でももう色々と買って……」


「それにストレッチだってゆとりのある服よりも体にフィットした服の方が良いんだよ!」


「そ、そうなの……?」


「それにさ、れーくんだってもっと色々なサーヤの姿を見たいと思ってるって!」


「え……? そ、そうでしょうか……? れ、怜も……」


 これまでの経験から、桜彩は余裕がなくなると焦って暴走気味になることは蕾華には充分すぎるほど良く分かっている。

 故に桜彩に考える隙を与えないように桜彩の言葉に矢継ぎ早に言葉を重ねていく。


「うんうん! ってわけでさ、サーヤ! 服、あと何着か買っちゃお?」


「う、うん、分かった! ら、蕾華さん、お願い!」


「うん、まっかせて!」


 そう言って蕾華は作戦が成功したことに心の中でガッツポーズする。

 桜彩に言ったことも嘘ではないが、一番の目的は桜彩のことをもっと怜に意識させることだ。

 太ったとは言っていたが、充分に女性としての魅力に溢れる桜彩がそのラインを強調した薄着で現れたらあの怜としても意識せざるを得ないだろう。

 そんなことを考えながら、蕾華は桜彩のウェアを一緒に選んでいった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「――ってことなんだけど……」


「そっか。そういうことか」


 実際に蕾華が言うように、体にフィットした服の方が良いというのも嘘ではない。

 桜彩のことを(怜は知らないが色々な意味で)充分に考えた上での提案であることも充分に理解出来る。


(だけど、これは……)


 一部の者達から『精神的不能』とかありがたくないあだ名を頂いている怜とはいえ、まごうこと無き思春期真っ只中にある。

 そんな怜からしても、この桜彩の恰好はあまりにも異性としての魅力に溢れている。

 女性ということを意識しないようにするのは不可能だろう。


「え、えっと、怜……? やっぱり変……?」


 先ほどの表情から一転、不安そうな顔で問いかけてくる。


(……ま、まあそうだな。俺が、意識しなければ良いだけだもんな!)


 そう思って心を落ち着かせるために一度深呼吸をする怜。


「いや、本当に似合ってるって。似合い過ぎてて言葉を失ったっていうか……」


「そ、そうなんだ……。そんなに似合ってるって……。嬉しい……」


 怜の言葉に再度桜彩が嬉しそうに微笑む。


(ほ、本当に怜が気に入ってくれた……! ありがとう、蕾華さん!)


 心の中で蕾華へと感謝する桜彩。


「と、とりあえずそろそろストレッチの方を始めていくか」


「う、うん、そうだね!」


 そして二人はまだ顔を赤くしたままストレッチへと取り掛かった。

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