第239話 買い残したのは?
「これで全部だね」
「そうだな。これで早速今日の夜からトレーニングしていくか」
「うんっ、楽しみ~っ!」
たった今購入したスポーツ用品の入った袋を掲げた桜彩が満足そうに頷く。
さっそく今日からの運動に役立つことだろう。
そんな笑顔でスポーツ用品店を出て行く二人の姿を店員はニコニコとしながら眺めていた。
「それじゃあ食材買って帰るか」
「うん。それじゃあ一階に行こっ。ふふっ、何が安いかな~っ」
桜彩がにっこりと笑ってまだ見ぬ夕食を想像しながら怜に頷く。
そして二人は手を繋いだまま肩を並べて食品売り場へと向かって歩き始めた。
一階に降りる為のエスカレーターを目指して歩いているところ、ふと桜彩の目がとある一角を捉えた。
「あ、そうだ。あのね、食材を買う前にまだ買い忘れてるのがあるんだけど」
「買い忘れてる? 何かあったか?」
少なくともジョギングや軽い運動であれば先ほど購入したもので充分だろう。
そう思って首を傾げる怜だが、その次の桜彩の言葉は完全に予想の外だった。
「あ、うん。その……下着なんだけど……」
「…………えっ?」
桜彩の言った言葉の意味を考えて、それを理解した怜が絶句する。
確かに女性は男性に比べて運動するときの下着にも気を遣うだろう。
男性である怜が気が付かなかったのは責められない。
「あ、ああ……そ、そっか、そ、そういうもんか……」
何と言って良いか分からずにそれだけを口にする。
「う、うん……。体育とかでも使ってる物もあるんだけど、買い換えたいなって……」
「そ、そっか……」
「うん……」
そこで会話が止まってしまう。
下着を購入したいというのは理解出来るのだが、どう返事を返して良いのか分からない。
「そ、それじゃあ俺はフード―コート辺りで待ってるから……」
何はともあれ男性の怜が女性である桜彩の下着を一緒に選ぶのはおかしいだろう。
そう思って提案したのだが、桜彩の返答は更に怜の予想の外を行く。
「あ、あのね……その……せ、せっかくだから、怜も一緒に来てほしいなって…………」
「……………………え?」
再び絶句してしまう怜。
それも当然だろう。
女性用の下着売り場に一緒に入っていく勇気などは生まれてこの方持ち合わせていない。
「あ、あのあの、その、私、こういうのっていったいどういうのを選べば良いか分からないから、だから、その、怜に聞きたいなって……」
「い、いや、そう言われても、俺はそういったの良く分からないし、むしろ桜彩の方が多分詳しいっていうか、体育の時に身に付けていたのと同じので良いんじゃないかっていうか……。い、いや、桜彩が体育の時に何着けてるかは知らないけど……」
「で、でもね、その……その……運動に関しては怜の方が詳しいし、変な物だったら嫌だなって…………」
「だ、大丈夫だから……! 普通に体育とかで使ってる奴で多分大丈夫だから……! ってか俺が選ぶのを手伝うってのはつまり、桜彩のその……それを知ってしまうってことで……」
「あっ……」
桜彩の方も頭が混乱してしまっていたが、確かに怜の言う通りだ。
怜が選ぶのを手伝うのであれば、必然的に桜彩の下着は怜の知るところになってしまう。
「で、でも……れ、怜には二回見られてるし……」
「う……。だ、だけど、だからと言ってまた見られても良いってわけでも……」
ベランダで歌っていた時と、桜彩が足を捻挫した時。
不可抗力で怜は桜彩の下着を二回視界に収めている。
ショッピングモールの通路であわあわと慌てながら言い合う二人。
ただでさえ目立つ外見をした二人がそんな風にしていては周囲の目を集めてしまう。
そんな二人を救ったのは、良く聞きなれた二人の声だった。
「…………こんなとこで何やってるの、二人共」
「…………何やってんだ、いったい」
お互いから視線を外して声の方向を向くと、そこには二人の親友である陸翔と蕾華が呆れた顔をして立っていた。
それを見て、怜も桜彩も自分達が周りのことを忘れてしまったことに気が付く。
何人かの通行人がチラチラとすれ違いざまに視線を向けていた。
「とりあえず落ち着けって。移動しようぜ」
「あ、ああ……」
「は、はい……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フードコートのテーブル席へと移動する四人。
「――というわけなんです……」
椅子に座ってこれまでのいきさつを簡単に話す。
桜彩のダイエットについて陸翔にも知られることとなったが、まあ陸翔であれば問題ない。
説明を聞いた陸翔と蕾華は先ほどと同様に呆れたような視線を怜と桜彩へと向ける。
「…………えっととりあえずサーヤ、落ち着こ?」
「う、うん……」
「はい、それじゃあ深呼吸して」
「うん……。スー……ハ―……スー……ハー……」
蕾華の言葉通り深呼吸する桜彩。
「はい、落ち着いたね。それじゃあサーヤ、さっきれーくんに言ったこと、よーく考えてみて」
「う、うん……。ええっと…………………………………………あっ!」
蕾華の言葉によりようやく先ほど自分が何を言っていたのかを理解する。
「あ、あのあの……わ、私…………」
顔を真っ赤にして怜の方を見て、即座に視線を逸らす。
そんな桜彩に対し、やっと気が付いたのか、と蕾華と陸翔は半分呆れて眺めている。
「れ、怜……、そ、その、ち、違う、違うから……!」
「わ、分かってる! 分かってるから!」
怜も慌てて両手を振って大丈夫だとアピールする。
「うぅ…………」
自らの失態に気付き、真っ赤になった顔を押さえた桜彩が項垂れる。
それを傍目に小声で会話を始める陸翔と蕾華。
「……いや、でもこれはそのままにした方が良かったかもね」
「確かにな。これを機に二人を更に意識させるってのもありか」
「あ、でも今の状態じゃ厳しいよね」
「そうだな。まあ怜のことだからなんだかんだ言って何とかしたかもしれないけど」
あのまま自分達が口を挟まなければ、お互いのことをもっと意識することに繋がったかもしれない。
とはいえいくら桜彩が慌てていようとさすがに一緒に買いに行くことにはならなかっただろうが。
「まあとりあえず、その件に関しては蕾華、頼む」
「うん。任せて」
それについて現状で一番頼りになるのは蕾華だろう。
というよりも怜も陸翔もその辺りは参考になる意見が言えないので、必然的に蕾華の役目となる。
それを理解しているのか、怜の言葉に蕾華が頷いて立ち上がる。
「それじゃあサーヤ、一緒に買いに行こっか」
「う、うん。それじゃあ蕾華さん、お願い」
「うんっ。任せて」
「オレ達はここで待ってるぞ」
「ああ。別に急がないでも良いからな」
「うん。それじゃ行って来るね」
座ったままの男性陣に手を振りながら、桜彩と蕾華は下着を買いに向かって行った。
その際、蕾華の目に怪しい光が灯っていたことに怜は全く気が付いていなかった。
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