第231話 美都の気持ち

「はーい。それじゃあそろそろ時間になるからねーっ!」


 部活動という名の打ち上げもそろそろいい時間だ。

 立川の言葉に部員達が片付けの準備へと移行していく。

 試験の結果が良かったこともあってかここに至っても皆の顔は明るいままだ。

 片付けが終わると一人、また一人と家庭科室から帰宅していく。


「それじゃ、美都ちん! 頑張ってね!」


「応援してるからね!」


「う、うん……」


 美都の友人の一年生が、美都の肩を叩きそのような事を告げながら家庭科室を出て行く。

 それに対して美都はなんとも言い難い表情で彼女たちに答えていた。

 怜と美都もその流れの中に入って家庭科室を出て行く。

 そして少し離れたあまり生徒が訪れない空き教室へと二人で入る。


「お時間を作っていただきありがとうございます」


 教室の扉を閉めるとすぐに美都が頭を下げる。


「いや、気にしなくていいぞ。大して用事が有るわけでもないからな」


「そう言っていただけると助かります」


 再度美都が頭を下げる。

 そして頭を上げた美都の目には何か決意のようなものが宿っていた。


「あ、それと先に謝っておかなければいけないことがある」


「え?」


 美都の話題に先んじて、まず怜が頭を下げる。


「昨日のメッセージの件だけど、悪い。ボランティア部の部室で見てたせいで、あの三人に中を見られた」


「え? あ、ああ。気にしないで下さい。特別なことを書いていたわけではありませんので」


 メッセージの内容としては、本日時間を作ってくれとのことだ。

 それが分かったところで何も――いや、その用事については勘繰られるかもしれないが、あの三人は美都から見ても信頼出来る人物だ。

 ならば問題は無い。

 それならばむしろ――


「むしろ私の方も先に謝らせて下さい。私も先輩にメッセージを送ったの、友達にバレてしまったので」


 今度は美都の方が申し訳なさそうに頭を下げる。

 具体的なことは説明していないのだが、先ほど友人から掛けられた言葉から、これから話す内容はバレていると考えても良い。

 二人で謝り合った所で顔を上げてお互いの顔を見る。


「光瀬先輩。その……お話を聞いていただけますか?」


「ああ」


 ゆっくりと頷く怜。

 美都が話したいという内容についてはさすがに想像が出来てしまうが、ひとまず美都の言葉を待つ。


「私、今回のテストで一位を獲ることが出来たら、勇気を出して挑戦してみたいことがあったんです」


「ああ」


「そして、光瀬先輩にテストの対策について色々と教えていただいたおかげで、目標を達成することが出来ました」


「俺のおかげって言われてもな……。まあテスト対策を教えたことについては否定しないけど、それ以上に一番の要因は佐伯が頑張ったことだろ。俺がやったことと言えば、それを少し手助けしたくらいだ」


 怜として手助けしたのは本当にその程度のことだ。

 実際にそれでトップを獲れなかった部員もいるのだから、それは美都が頑張ったということだろう。

 しかし美都は怜の言葉に首をゆっくりと横に振る。


「いいえ、充分に力になっていただきました。これまでのテストの内容から重点箇所を教えていただいたり、分からない箇所を教えていただいたり」


「いや、それは……」


「はい。先輩にとってはそうかもしれませんが、私は本当に助けられました。そう思っています。……………………今回のテストに限らず」


 一度目を閉じる美都。

 頭の中で、これまでの怜との思い出を一つ一つ振り返る。


「私がこの部活に入ったのは、母が甘い物が好きで私もケーキをよく食べることから自分でもお菓子を作ってみたいな、と思ったのが一番の理由です。家庭科部では光瀬先輩にはマドレーヌやキャロットケーキの作り方を教えていただきました。加えて先日、私が弟のお弁当で困っていた時には私の無理なお願いを聞いて下さって。本当に感謝しています。そして――」


 そこで美都がいったん言葉を区切る。

 一度大きく深呼吸をして、美都は続きを口にする。


「これからも、光瀬先輩と一緒に色々なことをしていきたい、そう思うようになりました。一緒にお料理を作ったり、一緒にお勉強したり。え、えっと、今はまだ私が一方的に教わる立場ですが……」


 恥ずかしそうに顔を赤くして慌てて最後に一言付け足す。


「そ、そして……それだけじゃなくて、もっと……一緒に……色々なことを……。一緒に帰ったり、一緒にどこかへお出かけしたり……。そ、そんな関係になって欲しいんです!」


 それはつまり――


「その、先日光瀬先輩や竜崎先輩の言っていたことも分かります。で、ですが、私も最近家で色々とお料理を作ることも多くなってきて、お料理の楽しさを感じるようになって、お料理が趣味と言えるようになっています! それに、光瀬先輩の上辺だけを見ているわけでもありません!」


 それは先日のテスト勉強の時の怜と蕾華の台詞。


『俺は中身ちょっと変わってるからな。浅い付き合いなら良いにしても、深く付き合うと多分趣味とか色々と合わない』


『上辺だけじゃなくれーくんを深く知った上で好きになった子じゃないと付き合うのは無理』


 それを分かった上で、美都は一番伝えたいであろう内容を口にする。


「光瀬怜先輩。――好きです、異性として。私とお付き合いして下さい」


 真剣な瞳で怜を見据えて問うてくる。

 胸の前て握り締めた両手はプルプルと震え、それが一大決心であったことを伝えてくる。

 正直、そう言われることを予想はしていた。

 そして、それに対する答えは――


『ごめんなさい。今は誰とも付き合う気はありません』


 以前美都にも伝えた、怜が告白を断る時の定型句。

 悪く言えば、怜を上辺しか見てこずに告白してきた相手に対する断り方。

 しかし美都本人も言っていたように、美都が怜の上辺のみを見ているわけではないことは充分すぎるほど理解出来る。


「……悪い。俺は佐伯と付き合うことは出来ない」


「……………………そう、ですか」


 半ば予想していたのだろう。

 思っていたよりもショックは受けずに、しかし充分すぎるほど悲しそうに美都が頷く。


「分かり、ました……」


「悪いな」


「あ、謝らないで下さい! 光瀬先輩が悪いわけではないですから!」


 慌てて美都が怜の言葉を否定する。

 これはあくまでも自分が気持ちを伝えただけ。

 だから怜が謝る必要は何もないのだと。


「ですが、その……理由をお聞きしても、よろしいでしょうか……? やはり以前言っていたように、今は誰とも付き合う気はない、からですか……?」


「それもあるけどな。佐伯が決して俺の上辺だけを見て告白したわけじゃないのは分かってる。だから俺も正直に言う。俺は誰かと恋人になりたいって気持ちが分からない。端的に言うと恋愛感情ってものが分からないんだ」


「恋愛感情が分からない……ですか?」


 美都の言葉に怜はゆっくりと首を縦に振る。


「ああ。正直なことを、佐伯には残酷なことを言うことになるけれど、俺は佐伯のことは人としては好きだ。だけどな、それはあくまでも人としてであって恋愛感情じゃない」


「え、えっと……」


 思いがけず、怜から『好き』という単語を口にされた美都が照れてしまう。

 そんな美都を見ながら怜は続きを口にする。


「他の人の受け売りになるけど恋愛感情ってのは言葉で説明出来るような物じゃなく感覚的な物だと思う」


「感覚、ですか……」


「ああ。理屈なんかじゃなく本当にこの人と一緒にいたいって感覚だと思う」


 もっとも世の中には大して好きじゃない相手とお試し感覚で付き合ったりする奴も居るらしいのだが。

 そんな怜の言葉に美都が納得したように頷く。

 これは怜の知らないことだが、美都としてもその言葉には思い当たる節がある。

 弟のお弁当を作るのを手伝ってくれた。

 こちらのミスで火傷をさせてしまっても、むしろこちらを気遣ってくれた。

 そして誕生日には思いがけないプレゼントまで。

 そういった一つ一つの優しさに触れる度に、美都の胸に温かい物が押し寄せてきた。


「だからさ、佐伯がそう言ってくれるのは嬉しいけど、佐伯に対してそういった感覚を抱いたことの無い俺は佐伯とは付き合えない」


 確かに美都は女性としての魅力に溢れている、それは怜から見ても間違いない。

 しかし、だからと言って怜は美都と男女として付き合いたい、といった感覚に襲われたことはない。


「そう、ですか……」


 きっぱりとそう言い切った怜の言葉を美都はゆっくりと考える。

 確かにそう言われてみればそうだろう。

 自分が怜に恋心を抱くような出来事はいくつかあったが、逆に自分が怜に恋心を抱いてくれるような出来事があったかと言われれば答えはノーだ。

 自分が人から見て学力や容姿に優れていることは自覚している。

 性格だって、まあ自分で言うのもなんだが悪いとは思えない。

 しかしそれが怜にとって恋心に繋がるかと言われれば繋がらないだろう。

 そう言われれば美都も納得するしかない。


「分かりました」


 そう言って美都が頭を下げる。

 そして再び頭が上がると、その表情は怜の予想とは違って晴れ晴れとしたものだった。

 表情の理由が分からずに怜はきょとんとしてしまう。

 そんな怜に対して美都は


「ですが、光瀬先輩のお言葉によると、今は誰に対しても恋愛感情という気持ちを持っていないようですので」


「え……?」


「あ、もしかして、誰か好きな方が?」


「い、いや、それはいない、と、思う、けど……」


 以前陸翔や蕾華と共にこの話をした時に思ったこと。

 桜彩との初デートの帰り、高台で感じたあの感覚の答えは――


「それでしたら、先輩が誰かに対してその感覚を覚える前に、私のことをそう感じてもらえれば良いわけですから」


「え…………」


 考え事の最中に聞こえてきた美都の言葉に怜はぽかんとしてしまう。

 それはつまり、一度振られたくらいでは諦めないということで。


「お返事、ありがとうございました。断られてしまったのは残念でしたけれど、先輩のことを知ることが出来て良かったです。ですがその、残念なことには変わりありませんのでお先に失礼しますね。本日は本当にありがとうございました」


 そう言って美都は怜の返事を待たずして空き教室を出て行った。

 笑ってはいたが、目の縁には少し涙が溜まっていたのを怜は見逃してはいない。


「……………………はあ」


 一人残された怜のため息が空き教室にこだまする。


「……部室に行くか」


 ボランティア部の部室には陸翔と蕾華、それに桜彩が残っていると言っていた。

 自分の中でどのように消化して良いか分からない答えを胸に、怜は親友の元へと歩き出す。

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