第226話 衣替え② ~「怜も着替えて」~

「そ、それじゃあ次は怜の番だね」


 ひとまずある程度落ち着いた後、桜彩が怜に向かってそんなことを言う。


「俺の番って?」


 いきなりそんなことを言われても怜としても分からない。

 そんな怜に対して桜彩はにっこりと笑って


「ほら、私が見せたんだから、次は怜が私に夏服を着たところを見せてね」


「え?」


「ほら。早く早く!」


 ウキウキとした様子でせかすような視線を向ける桜彩。

 一方で怜としては戸惑ったままだ。


「いや、別に俺はいいだろ。ちゃんと確認もしたんだし」


「むーっ。いいじゃない、別に。ほら、着替えて着替えて!」


 自分だけが夏服姿を見せたということに不満そうに頬を膨らませる桜彩。


「だから別に俺が着替える必要は……」


「ふーん。怜、私にだけ着替えさせたんだ」


「いや、俺は確認した方が良いって言っただけで着替えるべきだとは……」


 怜の返答にツーンといったような表情をして不満そうに拗ねる桜彩。

 とはいえ顔を背けながらも横目でチラチラと怜の方を見ている。


「そもそも男子の制服なんて見たってなにも面白くもないだろ」


「だったらいいじゃない。ほら、怜、着替えて着替えて」


「いやだから……」


 そんな押し問答にしびれを切らしたのか桜彩が両手を猫の手の形にする。

 それを見て怜も桜彩が何を考えているのか理解して、過去の体験を思い出し背筋に冷や汗が走る。


「怜? これ以上拒否するなら、怜が考えを改めるまでくすぐり続けるよ!」


「待った! なにその脅迫!」


 これまで怜が何度か桜彩にくすぐられた時は、怜に非が有った為にまだ納得出来る。

 しかし今回の件に関しては全く非が無いと断言することが出来る。

 これでくすぐりという名の拷問を受けてはたまらない。


「私だけ制服なのは不公平でしょ!?」


「別に全然不公平じゃないから! だから桜彩、くすぐるのは待った!」


 そう言って桜彩にくすぐられるより早くその両手首を怜が掴む。

 桜彩が痛まないように力は加減しているが。

 といってもその程度のハンデで桜彩に負けるわけもなく、二人はそのまま硬直する。


「むーっ! 怜、放して!」


「いや、放したらくすぐってくるだろ!?」


 不満そうに軽く怜を睨む桜彩と、この状態を切り抜ける手段を考える怜。

 少しの間そうして向き合っていたところで桜彩の手から力が抜ける。

 それを確認して怜も掴んでいた桜彩の手首を放した。


「それじゃあ怜。多数決にしよ?」


「多数決?」


「うん。多数決。同数だったら怜の言う通りで良いよ」


 その言葉に怜は訝し気な視線を桜彩へと向けて考える。

 多数決と言ってもこの場には怜と桜彩の二人しか居ない。

 同数だったら着替えなくても良いと言った以上、怜の勝利は確実だ。

 とはいえそれでは桜彩がそう提案する理由はない。


(いったい桜彩は何を考えてるんだ?)


 考えられるのは二つ。

 一つはそう言って怜を油断させたところでくすぐりの奇襲攻撃に出る事。

 これに関してはただ注意していればいいだけだ。

 そして二つ目は


(蕾華あたりに即座に連絡を入れて、多数を勝ち取ることか)


 怜が多数決を認めた瞬間、蕾華に『怜の夏服姿が見たいと言って』と連絡することだ。

 そうすれば二票を手にする桜彩が勝利することになる。

 おそらくこれが桜彩の考える必勝法だろう。

 そう考えて怜は桜彩の問いに首を縦に振る。


「良し分かった。多数決だな」


「うん。恨みっこなしだよ」


「それはこっちの台詞だぞ」


「ふふん。覚悟してね」


 お互いに勝ち誇った笑みを浮かべた顔を相手に向ける。


(桜彩がスマホを出した瞬間、それを奪えばそれで終わりだ)


 怜の考える必勝法、それはすなわち蕾華への連絡手段を奪うこと。

 スマホさえ奪ってしまえば桜彩が二票を獲る手段は無くなり、怜の勝利が確定する。


「ふふっ。それじゃあ怜が着替えることに反対の人」


「はい」


 桜彩の問いに怜のみが手を挙げる。

 これは分かり切っていたことだ。


「うん。反対の人は一票だね」


「ああ。これで桜彩が二票以上手にしなければ俺の勝利だな」


「うんそうだよ」


 勝ち誇った笑みを消さない桜彩。


(ふふふ。甘いな桜彩。桜彩の考えなどお見通しだ)


 内心で勝利を確信する怜。


「それじゃあ怜が着替えることに賛成の人。はい」


 言いながら桜彩が右手を挙げる。

 これで一票。

 そして桜彩の左手が動く。

 ここから桜彩のスマホを奪えばそれで終わり。

 そう考えていた怜だが、次の桜彩の行動は怜の予測を大きく裏切った。


『はいニャ』


 桜彩の左手はスマホに伸びることはなく、テーブルの上に置かれていたれっくんに伸びていた。

 そのれっくんの右手を桜彩が挙げながら、桜彩がはいと口にした。


「はい。怜が着替えることに賛成なのは二人だよね」


「ちょっ、ちょっと待った!」


 慌てて手を振り結果を否定して桜彩へと駆け寄る怜。

 しかしそんな怜に対して桜彩は勝ち誇ったままれっくんを胸に抱く。


「怜? 往生際が悪いよ。多数決の結果だからね。ねえれっくん?」


『そうだニャ。怜君、早く着替えるニャ』


 さすがに怜のように腹話術は出来ない為に微妙に口を動かしながらだが、桜彩がれっくんの言葉を代弁する。


「ちょっ、それはズルい!」


「ズルくないよ。ほら、怜。着替えて」


『そうだニャ。怜君の負けニャ』


「いやだから……」


「むーっ! 怜、着替えなさい! またくすぐるよ!」


 怜は慌てていて気が付かなかったが、今のこの状態は桜彩との距離が本当に近い。

 この状態でくすぐりを防ぐことは出来ないだろう。


「…………分かりました。着替えます。だからその手を止めて」


 くすぐりのポーズをする桜彩に冷や汗をかきながら怜は敗北を宣言する。


「うん。それじゃあ怜、早く早く!」


 そう嬉しそうにはしゃぐ桜彩を横目に怜は夏服を掴んで寝室へと向かう。


(……まあ、別に着替えるのが嫌ってわけじゃあないんだけど。でもなんか釈然としない)


 そんなことを思いながら、怜は寝室で夏服へと着替えた。



【後書き】

 体調不良についてですが、まだ咳が残っていますがそれ以外は良くなりました。

 ご心配をお掛けしました。

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