第225話 衣替え① ~夏服の準備~
「そうだ。桜彩、明日の準備は出来てるか?」
日曜日、昼食の片付けを終えて思い出したように怜が桜彩へと問いかける。
「明日? なにかあったっけ?」
ソファーに座ってれっくんと戯れていた桜彩が不思議そうに首を傾げる。
明日、と言われても抽象的すぎて怜が何が言いたいのか分からない。
その桜彩の言葉で、怜は言葉が足りなかったなと反省しつつ具体的なことを口にする。
「ほら、テスト期間も終わったから衣替えだろ?」
「ああ。そのことね」
領峰学園では、前期中間試験が終わった後の一週間が衣替えの期間である。
金曜日まで余裕があるとはいえ六月も中旬に差し掛かっており気温も上がってきている。
まだ冬服でも問題ないといえなくもないが、怜も桜彩も夏服の方が過ごしやすい。
現に今も二人共比較的薄着で過ごしている。
領峰学園の夏服は、男子はスラックス、女子はスカートの生地が冬服よりも薄くなる。
シャツは半袖でも長袖でも構わないのだが、まあ基本的に半袖だ。
男女ともに冬服では着用義務だったネクタイも未着用が許可されて首元周りも快適になる。
それに加えてベストもあるのだが、そちらも着用するかどうかは本人の意思に委ねることとなっている。
とはいえ男子の方でベストを着用する学生はまずいない。
それは中学時代は学生服の詰襟まできちんと留め、高校に入ってからも冬はワイシャツの第一ボタンまで留めている怜も例外ではない。
一方で女子の方は、夏服の薄さが気になりベストを着用している女子もそこそこ多い。
身の回りの相手では蕾華や奏がそちら側だ。
「桜彩も明日から夏服にするって言ってたろ?」
数日前に雑談がてらそんな話をした時に桜彩はそう言っていた。
「うん。私は大丈夫だよ。昨日準備したからさ」
「そっか。それなら良いんだ。俺はこれからやる予定だからな」
「そうなんだ。あ、そうだ。男子の夏服ってどんな感じなの?」
れっくんを抱えながら興味深そうに桜彩が聞いてくる。
今年度の頭から転入してきた桜彩としては、まだ領峰学園男子の夏服は見たことがないだろう。
「まあどこも変わらないと思うけどな。まあいいや。それじゃあ持って来るよ」
そう言ってエプロンを外して寝室のクローゼットへと向かう怜。
言葉で説明するよりも見てもらった方が早いだろう。
昨年使用した夏服を取り出してリビングへと戻って来る。
「ほら、これだよ。特に目新しくもないだろ?」
制服を掲げながら桜彩に問いかける。
実際に男子の夏服などどこの高校も大して変わらないだろう。
「うーん、聞いておいてなんだけど確かにそうだね」
「だろ?」
苦笑しながらそう言って制服をソファーテーブルの上に置いて細部を確認していく。
前回クリーニングに出した後にも確認したのだが、念には念を入れてだ。
そんな作業を桜彩は興味深そうに眺める。
そしてしばらくして確認の作業が終わった。
「桜彩の方は……いや、桜彩の場合は新品だから問題無いのか」
転入してきた桜彩は当然ながら領峰学園の夏服を着るのは今年が初めてだ。
なので桜彩の夏服は完全なる新品だ。
「そうだね。私はいいかな。買ってから一度も着てないし」
「そっか。あ、でも一度着てみた方が良いんじゃないか? なんか不具合とかあっても嫌だろうし」
「うーん……そうだね。うん、怜の言う通りそうしてみるね」
怜の提案に桜彩が頷く。
実際のところ初期不良というものはありえないわけではないし、念には念を入れるのも良いだろう。
「それじゃあちょっと待っててね。すぐに戻ってくるから」
「ああ、分かった」
そう言って桜彩はれっくんを置いて一度自室へと戻って行く。
せっかくなのですぐに確認した方が良いということだろう。
「れっくん置いて行かれちゃったな」
『うん。でも確認したらすぐに戻って来ると思うニャ』
残されたれっくんと一人腹話術で遊ぶ怜。
桜彩や陸翔、蕾華以外の他人に見られたら少々引かれるかもしれないが。
「さて。それじゃあ制服は仕舞っておくかな」
いつまでもリビングに出しておく必要は無い。
そう考えて制服を持って寝室へと向かおうとしたのだが、そこでインターホンが鳴る。
「もしもし?」
『あ、怜。また入るね』
「分かった。鍵は開いてるから」
先ほど桜彩が出て行った後に鍵は施錠していないのでそのまま入って来てくれて問題はない。
(……にしては早いな)
新品ということだから確認にはさほど時間が掛からないと思ったのだが、それにしても早すぎる。
これでは大して確認などしていないのではないか。
そう思っているとリビングの扉が開いてそこから桜彩が姿を現した。
領峰学園の夏服を着用した状態で。
「じゃーん! 怜、どう?」
両手を広げて怜に夏服を見せるようにアピールする桜彩。
とはいえ両手が完全に外に向いており、スタイルの良い桜彩が胸を張っているそのポーズは健全な男子(本人としては健全だと思っている)である怜としては少々目に毒だ。
そんな怜の葛藤に気が付かず、桜彩は怜の方へと歩いて行く。
「ねえ。これどう? 似合ってる?」
そう言いながらくるりとゆっくり回転する桜彩。
その際に胸元に輝く初デート記念のネックレスがふわりと宙に浮く。
スカートが高く上がらなかったのは不幸中の幸いだろう。
もしそうなって中の存在が目に映ってしまったらどうなってしまったか。
そんな感じでウキウキとした様子で夏服の自分について問いかける桜彩。
怜としては、これは正直予想外だった。
領峰学園女子の夏服は昨年の物とは変わらない。
よって怜は昨年の夏期にそれを充分に見ていたのだが、それでも心が揺すぶられる。
これまでに見た夏服とはまるで別物に見えてしまう。
桜彩の問いに返す言葉を忘れて見惚れていると、怜の返答がないことに桜彩が不安そうな表情へと変わって上目遣いで問いかけてくる。
「あ、あの、も、もしかして、変、だった……?」
正直再度問いかけてくるその仕草も可愛すぎて我を忘れてしまいそうになるが、桜彩の言葉で怜の意識が現実へと戻される。
「いや、全然変なんてことはないから! むしろその、見とれちゃったっていうか……」
「え……? み、見とれちゃってって……?」
不安に思っていたところ、思いがけない怜の返答に桜彩の顔が瞬間的に赤く染まる。
「ほ、本当に……?」
「あ、ああ。本当に似合ってる」
「そ、そっか。やった。嬉しいな。これ、怜に見てほしかったんだ」
怜の言葉に桜彩の顔が赤く染まったままぱあっと明るくなる。
花の咲いたような笑顔に今度は怜の顔も赤く染まっていく。
(不意打ちすぎてな……今日で良かったよ。もし明日いきなりこの姿を見せられてたら……)
桜彩が夏服を着ることは予め分かっていたとはいえ、実際にその姿を見せられると本当に似合い過ぎて固まってしまった。
登校日にいきなり見せられたらまともに対応出来なかっただろう。
(しかも俺に見て欲しいって……それってつまり、わざわざ俺に見せる為に着てくれたってことで……)
制服の確認だけならわざわざ着用する必要は無い。
それは桜彩にだって理解出来ているだろう。
にもかかわらず、桜彩が制服を着用したのはそれを着ている自分を見て欲しいからということで。
「ふふっ。怜が似合ってくれるって言ってくれて嬉しいな」
はにかみながら胸に手を当ててそう呟く桜彩。
(……それってつまり、『俺』にそう言ってほしかったって)
「ありがとね、怜」
「い、いや。お礼を言われることじゃないから。本当に可愛いって思ってるから……」
「えっ? 可愛い?」
「あっ……」
先ほど怜は『似合っている』と言っただけで可愛いとまでは言っていない。
とはいえここでそれをごまかすという選択肢は無い。
「その……本当に可愛いと思ってるから」
「う、うん……」
「い、一応言っておくけど、制服が可愛いってことじゃなくて、その……桜彩が可愛いってことだからな!」
「え……? う、うん……」
誕生日にエプロンをプレゼントした時や、初デートの時の私服について『服が可愛い』と桜彩が誤解したことがあった為に先手を打ってその選択肢を潰していく。
一方で桜彩はストレートに怜に褒められたためにこれ以上ないほど顔を真っ赤にして照れてしまっている。
(い、言っちゃった……。で、でも、嘘じゃないし……)
(か、可愛いって……。ま、また可愛いって言ってくれた……)
そんな感じで顔を真っ赤にした二人は必死になって心を落ち着かせようと自らの胸を撫で続けた。
【後書き】
すみません
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