第221話 テスト勉強③ ~「新婚さんみたい」~

「さてと、それじゃあ俺は昼食の準備を始めますね」


 この学習会は家庭科部の部活動という建前がある。

 よって、一応家庭科部としての活動も必要であり、その為昼食は怜の手作りだ。

 といっても全員合わせれば三十人弱。

 一つ一つ丁寧に時間を掛けて作るわけにもいかないので、メニューの方は基本的にはまとめて作れる煮込み料理となる。

 本日のメニューはボロネーゼ。

 粗挽きの牛肉と香味野菜、トマトやブイヨン、赤ワインで作るパスタソースだ。

 ある程度の下ごしらえは家であらかじめ済ませてきたとはいえ量が量なので時間が掛かる。

 さっそくテーブルの上に準備を広げていくと、そこで後ろから声が掛かった。


「あの、光瀬先輩。お手伝いしましょうか?」


 そちらの方を見ると、美都が怜の傍まで来ており少々遠慮がちに問いかけてくる。


「いや、大丈夫だ。ありがとな」


「い、いえ……」


 申し出をやんわりと断られて少し申し訳なさそうな美都。

 さすがに勉強を教えて貰った上に料理まで全て任せてしまうのは居心地が悪いのだろう。


「一年は初めてのテストだろ。遠慮しないで勉強してろって」


「は、はい」


「そーそー。りょーりの方はきょーかんに任せておけば大丈夫だって」


 そんな美都の後ろから現れた奏が美都の肩を軽く叩きながらにっこりと笑う。

 いや、確かに言っていることはその通りなのだが怜としては釈然としない。


「……ちなみにだ。一年がこう言っているのだが、それについて二、三年は何か思う所が無いのか?」


 奏をはじめとした同級生、上級生の方へと視線を向けるが露骨に視線を逸らされる。

 一方で奏はニヤニヤと笑ったままだ。


「いやー、だってさ、ウチが手を出してもきょーかんの役に立てないじゃん。現実的に考えてさ」


「……お前、本当に去年から家庭科部員だったのか?」


「えー、そうだよ。忘れちゃったのー?」


 正直忘れていたかった。

 実際に奏の腕で怜の料理の手伝いが出来る事はほぼないのは確かなのだが、それでは去年一年間の活動は何だったのか。

 とはいえ奏の言うことも間違ってはいない。

 簡単な料理とはいえさすがに作る量が多い為、下手に人数が居てもむしろ手間が増えてしまう。

 それならば自分一人で好きに作った方が効率が良い。


「……まあいい。とりあえず今日はある程度は俺一人で作る予定だったからな」


「えへへー、でも感謝してるのは本当だって」


 それも奏の本心だ。

 なんだかんだ言って奏が怜を手伝わない一番の理由は面倒だからではなく、自分が居ても足を引っ張るだけだからだと理解している。

 だからこそこうして勉強を教えてくれる上に昼食の支度まで一手に引き受けてくれる怜には奏をはじめとして家庭科部の皆が感謝をしているし、それは怜もなんとなくは分かっている。


「ありがとね、きょーかん」


 そう言って先ほど美都にしたように怜の肩をポンポンと叩き、再び席へと戻る奏。


「……むぅ」


 それを見ていた桜彩が少しばかり眉根を寄せる。


(……宮前さん、相変わらず怜と距離が近いよね)


 学内でも気軽に怜とスキンシップをとれる奏が羨ましい。

 まあ学外では桜彩の方が圧倒的に距離が近いのだが。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 そうこうしている内に怜は香味野菜をみじん切りにしていく。

 比較的簡単に作れるとはいえさすがに人数が多い為、材料の量も半端ない。

 みじん切りにした材料を大きめの中華鍋の中でバターと共に炒めていく。


「さてと、次は……」


 次の工程は牛ひき肉を別の鍋でじっくりと焼く。

 その為、牛肉を取りに行こうと鍋の中を向いていた視線を上げると


「はい。牛肉ですよね」


 制服の上に家庭科部備え付けのエプロンをした桜彩が牛肉を差し出してくれていた。

 それを受け取って二人でこっそりと笑い合う。


「ああ、ありがと」


「いえ。私も一段落したのでお手伝いしますね」


 そう言ってそれが当たり前であるかのような自然さで怜の横へと立つ桜彩。


「良いのか? 渡良瀬は転入生なんだし、テスト対策に時間を掛けても良いんだぞ」


「いえ、大丈夫ですよ。光瀬さんの作って下さった対策集に加えて過去問もありますし、充分過ぎるほどです。それに少し気分転換もしたいなと思いまして」


 というのは建前で、もちろん怜と料理を作りたいというのが本音だ。


「そっか。それなら補助を頼む」


「はいっ」


 怜の言葉に少しばかり嬉しそうに桜彩が頷く。

 こうして怜と共に料理をするのは桜彩にとっても楽しい。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 大きめの鍋に牛ひき肉を入れてじっくりと焼いていく。

 焦げ目がついたので、中華鍋の方から香味野菜を牛ひき肉の方へと移す。


「はい、これですね」


 香味野菜を移し中華鍋を置いたところで桜彩から(瑠華に買ってきてもらった)赤ワインを手渡される。

 先日桜彩と共にボロネーゼを自室で作ったこともあり、桜彩もある程度の工程は理解している為にフォローが早い。

 桜彩から受け取った赤ワインを目分量で入れ、残りを桜彩へと返す。

 それを受け取った桜彩が瓶を離れた所へと置き、トマトを用意して洗っていく。

 そしてそのトマトをザルへと移し、包丁とまな板を用意して怜の元へと戻って来る。


「それじゃあ、はい」


「はい、分かりました。トマトはそちらへと置いておきましたから」


「ありがと」


 怜がヘラを桜彩へと渡すと、それを受け取った桜彩は鍋の中をかき混ぜていく。

 鍋の方を桜彩へと任せた怜は、桜彩の用意してくれたトマトを角切りにしてボウルへと移していく。

 そんな二人の姿を家庭科部員の一部は勉強する手を止めて驚いたような目で見ている。

 それに気付かずトマトを切り終えたところで鍋の方も煮立ってきた為に、桜彩に場所を変わってもらって鍋の中へとトマトを投入する。

 後は塩、ブラックペッパー、ナツメグ等で味を調えていけば良い。

 それは怜の役目なので、桜彩はテーブルの上に残された調理器具や中華鍋を洗うためにシンクの方へと移動する。

 そんな桜彩に奏が


「クーちゃんって料理慣れてるんだねー」


 と声を掛けた。


「えっ!?」


 いきなりのことに桜彩が驚いてボウルを持った手を滑らせてしまう。

 幸いなことに手を滑らせたのがシンクの上だった為に問題はなかったが。


「いやー、なんかさ、今きょーかんの手伝いしてたでしょ? 具体的な指示なんて何もなかったのにきょーかんがやりやすいようにサポートしてさ」


 その言葉に固まる怜と桜彩、加えて陸翔と蕾華。

 ここ一か月、二人一緒に料理を作っている為に桜彩も随分と料理に慣れてきた。

 それこそ今のように、怜が欲しいタイミングで欲しい物を用意してくれたり、変わって欲しいタイミングで作業を変わったりと本当に呼吸が合う。

 それはそれで良い事なのだが、この場でそれを見せたのは失敗だったかもしれない。


「お弁当作った時も言ったけどさ、なんか本当にいつもきょーかんと一緒に料理してるみたいだよねー」


「わ、私も一人暮らしですので光瀬さんを見習って自炊したりしているんですよ」


 冷や汗をかきながらそう返事をする桜彩。


「へー、そーなんだ。さすがクーちゃん。向上心あるねー」


「あ、ありがとうございます……」


 尊敬するような奏の言葉に目を泳がせながら頷く桜彩。

 いつものクールモードが剝がれかかっている気がしないでもない。


「でもさー、クーちゃんって一人暮らし始めてからまだ一か月ちょっとでしょ?」


「は、はい。そうですが……」


「でもそれだけの期間でこうもきょーかんと息を合わせられるなんてねー。まるで毎日一緒に作ってるって言われても驚かないよ。なんか休日に一緒に料理する新婚さんみたい」


「し、新婚……!?」


 奏の言葉に桜彩が驚いて目を見開く。

 もっとも別に疑っているというわけではなく、単に思ったことを口に出しただけなのだが。


(し、新婚ってことは、当然夫の方が怜で、妻はもちろん私ってことで……。も、もちろん嫌なわけじゃないし、そ、そんな生活だったら楽しいだろうけど……。で、でもでも……!)


 穏やかな陽気の中、新しい台所で怜と一緒に料理を楽しむ。

 ふと横を見ると、こちらに向かってほほ笑んでいる怜の顔。

 奏の言葉からそんな具体的な想像をしてしまい、桜彩の頭がオーバーヒートしてしまう。

 とはいえ本人が気が付いていないだけで、結婚していないということを除けば桜彩の想像した内容は今の二人の生活そのものなのだが。


「蕾華、ヘルプ」


「はーい。ほら、奏。あんまりからかわないの」


 このままでは間違いなくぼろが出てしまう為に蕾華にフォローを要求する怜。

 蕾華もそれが分かっているのかすぐさま先日同様に口を挟んでくれる。


「え? いやだってさ、今のクーちゃん凄くなかった?」


「いや、確かに凄かったけどさ。でもボロネーゼはそんなに複雑な工程じゃないから次にして欲しいことくらいは分かるでしょうが」


「うーん、そーゆーもんかなー?」


「そーゆーもんだって」


 実際のところ、いくら簡単な工程とはいえ調理する人が違えば作業の方法も変わってくる。

 桜彩でなかったらここまで怜に合わせることは出来なかっただろう。

 おそらく長く怜と付き合っている陸翔や蕾華でも無理なはずだ。

 とはいえ料理自体の経験の少ない奏はその説明にひとまず頷く。


「はいはい。とりあえずお喋りはそこまでにしてくれ。渡良瀬はそのまま洗い物を頼む。蕾華、手が空いてるんならパスタの方の準備をお願い」


「はい、分かりました」


「オッケー、れーくん」


 今度は具体的に出した指示に二人が頷く。


「あ、それじゃあウチも手伝うね。蕾華、お湯沸かしといてー。パスタ用意しとくから」


「りょーかい」


 奏もパスタを取りに行きながら怜の手伝いに参加する。

 そんな感じでひとまず難を逃れ、昼食作りを再開した。

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