第217話 少し遅めの夕食

「さて。何にするかな」


 いつもより遥かに遅い時間に訪れたスーパーの店内はあまり人がいない。

 その分ゆっくりと周りを気にせずに見ることが出来るのは利点なのだが、とはいえもう商品も少なくなっている。


「うーん……。あっ怜、豚肩ロース肉が割引されてるよ」


 桜彩の言葉に豚肉のコーナーへと目を向けると半額のシールが貼られていた。

 消費期限を確認すると本日が最終日のようなので、それが理由だろう。


「そうだな。それじゃあ豚肉にするか」


「うん。それで豚肉をどうするの?」


「そうだな……」


 桜彩の問いに少し考えてみる。

 もうかなり遅い時間なので、手間暇の掛かる料理は避けた方が良いだろう。

 となれば、素直に塩胡椒を振って焼いたり焼肉のタレを掛けたりするという手段もある。

 それはそれで美味しいのだろうが、それでは少し味気ない。


「そうだ。生姜焼きにするか」


「生姜焼き? あっ、それ食べてみたい!」


「そういえば桜彩と生姜焼きを作ったことはなかったな」


 これまでの献立を頭の中で思い浮かべてみる。

 もちろん一か月分全ての献立を覚えているわけではないのだが、それでも生姜焼きを作ったことがないのは確かだ。


「それじゃあ生姜焼きで決定ってことで」


「うんっ! 楽しみだなあ」


 よほど生姜焼きが楽しみなのか、『生姜焼きっ 生姜焼きっ』と口ずさむ桜彩。

 そんな子供っぽい所も可愛らしくて、つい怜の口元にも笑みが浮かぶ。


「それじゃあショウガも買って行こうか」


「うん。お野菜コーナーだよね。後は何か買うの?」


「そうだな。付け合わせは千切りキャベツにするか。生姜焼きのタレを搦めて食べると美味しいぞ」


「ホント!? うわあ、楽しみ~っ!」


 怜の言葉に桜彩が顔を輝かせて足早に野菜のコーナーへと足を向ける。

 そして自然に怜の手を取って


「ほら! 早く早く!」


「分かってるって」


「キャベツは……まだあるね。良かった、売り切れてなくて」


「そういえばさ、桜彩とこのスーパーで初めて会った時にキャベツを買おうとしてたよな」


「うん。あの時、私はキャベツを丸ごと買おうとしてたんだよね」


 大雨の翌々日、怜に触発された桜彩が自分も自炊に挑戦しようと野菜炒めの材料を買いに来た。

 その際、偶然怜と出会って色々と教えて貰うことになったことを思い出す。


「懐かしいなあ」


「あっ、そう言えばさ、あの時、小さな子に色々と聞かれたよね」


「そうだな。そう言えば、その子の母親にデートだって言われたんだよな」


「ふふっ。そんなこともあったよね」


 あの時はその言葉に照れてしまいまともに言葉を返せなかった。

 しかし、先日の初デートを経た今なら自信をもって頷くことが出来るだろう。


「それじゃあ買物デートの続きといこうか」


「うんっ。買物デート、楽しもうね」


 そうニコニコしながら商品を選ぶ二人。

 二人の真横で棚卸をしていた店員の年配女性は、そんな二人を微笑ましそうに眺めていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ただいま」


「おかえり」


 一度部屋に帰り着替えた桜彩が怜の部屋を訪れる。

 アルバイトがあった為、普段よりも随分と遅い時間の夕食作りだ。


「それじゃあ早速作っていくか」


「うん」


 誕生日に貰ったエプロンを手に持った桜彩が頷く。


(……これ、怜からのプレゼントなんだよね。ふふっ、私だけに……えへへ)


 怜が誕生日プレゼントを贈った相手が自分だけだということに嬉しさを感じながら着用する。


(なんだかこうしていると、怜の優しさに包まれてるみたいだな)


 着用したエプロンの端をちょこんと持ち上げて笑みが浮かぶ。


「どうかしたのか?」


「ううん。なんでもないよ」


 怜の問いに笑顔のまま桜彩が答えて横に並ぶ。


「そっか。それじゃあ作っていこうか」


「うん。豚の生姜焼きだよね」


「ああ。タレの方は桜彩が来る前に作っておいたからさ」


「ごめんね。遅くなっちゃって」


「それこそ気にしないで良いって。もとはと言えば、俺のバイトでこんな時間になっちゃったんだから」


 やはり女性ということか、桜彩の着替えは怜よりも時間が掛かってしまった。

 もう遅い時間だったので、その間に怜は米を炊飯器にかけてタレの準備も終わらせた。


「それじゃあキャベツを切ってくれるか? 俺は味噌汁の方を進めちゃうから」


「うん。任せて」


 そう言って腕まくりをした桜彩が防刃手袋を着用してキャベツの準備を始める。

 それを見ながら怜は朝に準備した出汁を取り出し、味噌汁の準備を進めていく。

 味噌汁の準備をしながら横を見ると、桜彩が軽快にキャベツを切っていた。


「もう大分慣れてきたよな」


 怜の言葉に桜彩が手を止め首を横に向ける。

 一瞬きょとんとした表情で怜を見るが、すぐに千切りキャベツのことだと気が付く。


「うん。もう一か月以上一緒にお料理してるからね」


「だな。最初の頃は包丁を持つだけでびくびくしてたのに」


 それこそ最初に料理を作ろうとしたときは危なっかしくて見ていられなかった。

 それ以来、桜彩が包丁を使う際は怪我をしないように防刃手袋を着用した状態で作業している。

 軽快に包丁を扱う今の桜彩からはもう考えられない。

 そんな懐かしい思い出に対し、桜彩は口を窄ませる。


「もう、意地悪……」


「あはは。ごめんごめん」


「うふふ。うーそ。怒ってないよ」


 包丁を持つ手を一度止めて、にっこりと笑いながら桜彩が見上げてくる。

 そんな桜彩に対して怜も笑いながら


「怒ってはいないけど拗ねてはいたんじゃないのか?」


「もう……。やっぱり怜は意地悪になった気がする」


「あはは。そうかもな。でも俺は親しい相手にはこうだからさ」


「うん。それは分かってるよ。こんなに仲良くなれて私も嬉しいからさ」


「ありがと」


「うん」


 お互いに笑いながら作業に移る。

 少し前までは考えられなかった幸せ。

 傍から見れば小さな幸せかもしれないが、二人にとってはかけがえのない大切な日常だ。

 そんないつも通りの日常を楽しみながら、夕食の支度を進めていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 大皿の上には大量の千切りキャベツとその上に同じく大量の豚の生姜焼きを盛り付ける。

 そこにフライパンの中に残っていた多量のタレを掛けていく。

 生姜焼きのいい香りがリビングに立ち込めて、これだけで食が進みそうだ。


「いただきます」


「いただきまーす!」


 出来立てホカホカの生姜焼きに、同じく炊きたてホカホカのご飯。

 それに豆腐とわかめの味噌汁と千切りキャベツ。

 いつもより遅い時間というのも相まって、もう二人のお腹はペコペコだ。

 早速二人共生姜焼きに手を伸ばし口へと運ぶ。


「美味し~い!」


「うん。美味しいな」


 いつも通り幸せそうな笑みを浮かべてご飯を食べる桜彩。

 そんな桜彩の姿を見て怜の顔にも笑顔が浮かぶ。


「お味噌汁も美味しいね」


「ああ。それに千切りキャベツをタレに浸して食べるのも美味しいぞ」


「ホント? やってみるね。……本当だ! う~ん、美味し~い!」


 大皿に溜まったタレにキャベツを充分に浸してから口へと運ぶ桜彩。

 怜の言った通り、タレの味がキャベツにしみこんでこれも美味しい。


「桜彩。おかわりいるだろ?」


「うん! 大盛りで!」


「了解」


 早速空になった桜彩の茶碗に白米を大盛にして返す。

 自分の方の茶碗にもおかわりを追加して再びおかずに手を伸ばす。

 大皿に盛られた大量の生姜焼きとキャベツはみるみるうちに二人の胃袋へと移動していった。



【後書き】

すみません

家庭科部編がかなり長くなりそうなので

やはり中編を一つにまとめて

214話以降を後編とすることにします


当初の予定では第四章の後編で怜と桜彩の関係を大きく動かす予定でしたが

第五章へと持ち越すこととします

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