第216話 プレゼントと嫉妬


「桜彩、お待たせ」


「あ、怜。うん、それじゃあ帰ろっか」


 アルバイトを終えた後、制服に着替えて桜彩の元へと戻る。

 ちなみに既にリュミエールの閉店時刻は過ぎてはいるのだが、怜を待っているということで桜彩が店内に残るのは許可された。

 最初は桜彩も店外で待とうと思っていたのだが、閉店時刻に外へと出ようとしたところで望による『女の子なんだからちゃんと安全な場所で待っていなさい』との説得が入った。

 それでも申し訳なさから渋っていたのだが、最終的に『怜君だって心配するわよ。だから怜君の為にもお店の中で待っていて』という言葉により頷くこととなった。


「それでは失礼しますね」


「ありがとうございました」


「うん。それじゃあまたね」


 頭を下げて店を出る二人に、望も笑顔を返して見送ってくれる。

 こういった気遣いは本当に頭が下がる。

 なぜあれで彼氏が出来ないのか怜には分からない。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「それでな……」


「うん……」


 アパートへの帰り道、いつもと同じように他愛もない会話を繰り広げる――繰り広げようとしたのだが、桜彩の反応がいつもとは違う。

 いつもであれば花の咲くような素敵な笑顔を怜へと向けて話すのだが、今は心ここにあらずと言った感じで怜の方を向く回数も少ない。

 逆に何か悩むように少し俯き加減で歩いて行く。


「……なあ、桜彩」


「なに……?」


 いつもと違って少しばかり重苦しい空気を嫌った怜が、意を決して話しかけるが、桜彩の方は晴れない表情で少しばかり不満げな声色で返事を返してくる。


「あのさ、俺、桜彩に何かしちゃったか?」


「え?」


 その問いに驚いた顔をして桜彩が怜を見る。


「え、えっと、別に何もしてないよ。どうしたの?」


「いや、なんかさ。桜彩の反応がいつもと違うっていうか、なんだかそっけないっていうか……」


「え……」


 寂しそうな表情でそう呟く怜の顔が桜彩の瞳に映る。

 そこで桜彩は初めて自分胸に渦巻くモヤモヤに気が付いた。

 無意識の内に怜に対して冷たい態度をとっていた。

 そんな自分の行動に恥じ入って慌てて頭を下げる。


「あ、ご、ごめんね」


「いや、謝ることじゃないけどさ」


「ううん。悪いのは私だから……。ちょ、ちょっと待ってね」


「あ、ああ……」


 お互いに戸惑いながら歩を止める。

 何を言っていいか分からない沈黙。

 横を通過していく車の音が、遠い世界のように感じてしまう。

 そんな中、桜彩は自分の胸の中に渦巻いている感情について考えてみる。

 リュミエールを訪れた時はそうでもなかった。

 美味しいケーキを食べながら、帰り道に怜と一緒に帰るささやかな幸せを想像し、楽しい気分に浸っていた。

 それが変わったのは――


「今日、佐伯さんがお客さんとして来てたよね……」


「佐伯? ああ、来てたけど……」


 桜彩がなぜそんなことを言いだしたのかは分からないが、そのまま続きを聞こうとする。

 一方で桜彩は眉根を寄せながら、先ほどのことを思い出す。


「今日、佐伯さんのお誕生日なんだってね」


「ああ。聞こえてたのか?」


「うん。ごめんね。聞き耳を立てていたわけじゃないんだけど」


 そこそこ遅い時間で外の喧騒も静まっていた師、店内には桜彩が一人だけだ。

 怜も美都も声量を落として話していたわけではないので、店内にいた桜彩の耳に会話が届くのはおかしくはないだろう。


「その、最近怜って佐伯さんと、その……よくお話してるっていうか……仲が良いっていうか……」


「ん? そうか? まあ先輩後輩としては良好な関係を築けてるとは思ってはいるけど」


 確かに最近美都と話す機会が多かったかもしれない。

 だがそれは以前と比べてというだけのことで実際のところ、特に仲の良い桜彩や陸翔、蕾華はもちろんただのクラスメイトの方が話す機会は多かっただろう。


「その、誕生日プレゼントもあげたみたいだし」


 口を窄ませ、若干棘のあるような口調で桜彩がそう口にする。


「ん、まあ。といっても俺が練習で作ったのがちょうどあったから渡しただけだけどな」


 別に美都に渡そうとあらかじめ用意していたわけでもない。

 そもそも美都の誕生日が本日であることを知ったのは、つい先ほどのことだ。


「怜がみんなに優しいっていうのは分かってるんだけど、でも……」


 そう呟いたところで、桜彩は今自分が何を言っていたのか気が付いてハッと目を見開いて慌てて口を押える。


「あっ、ご、ごめんね。怜が優しいのが悪いって言ってるわけじゃないんだよ」


「ああ。それは分かってるって」


 怜だってそれは良く分かっている。

 その怜の言葉に安心したのか、桜彩が胸に手を当ててゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 そして怜の顔を申し訳なさそうな上目遣いで見上げて


「ごめんね。なんだか嫉妬しちゃって変な事言っちゃった」


 胸に当てた手をぎゅっと握りながら頭を下げる。

 それが先ほどの桜彩の態度だったのかと納得した怜がふっ、と表情を緩める。


「あの、怜……?」


「繰り返して言うけどさ、俺が佐伯に誕生日プレゼントをあげたのは、ちょうど練習で作った物が余ってたから、それだけだぞ」


「うん……」


「少なくとも、佐伯本人が何か特別だからあげたってわけじゃない。桜彩が嫉妬するようなことは何もないぞ」


「う、うん……」


「それにさ、逆の立場だったら俺が嫉妬してたかもしれないし」


「え……? そ、そうなんだ……」


 怜の言葉に嬉しそうに頬を赤らめてはにかむ桜彩。

 怜も桜彩もお互いの立ち位置が他の人達よりも近い位置にいることは良く分かっている。

 比較対象として挙げられるのは、それこそ陸翔と蕾華の二人だけだろう。

 そんな家族ともいうべき近さを誇る相手に自分以外の仲の良い相手が現れた。

 故に嫉妬するのも無理はない、そう結論付ける。

 もしも陸翔や蕾華がこの二人の会話を聞いていたら、お互いの嫉妬の理由について『異性』という単語が完全に頭から離れている為に、呆れて物も言えなくなるだろうが。


「それにな、少なくともここ一年で、俺が誰かの為に誕生日プレゼントを用意した相手は桜彩だけだぞ」


「えっ!?」


 怜の言葉を聞いた桜彩の顔が驚きに染まる。

 先日、誕生日に貰ったエプロン。

 今も大切に、料理のたびに着用している。

 まさか、怜がこの一年で誰かにプレゼントしたのがそれだけだとは思いもしなかった。


「え、で、でも待って。その、陸翔さんや蕾華さんは?」


 慌てて桜彩が問い返してくるが、怜はゆっくりと首を横に振る。

 これまでの三人の付き合い方を考えるに、怜が二人の誕生日を祝わないなどありえないだろう。


「ああ、あの二人の誕生日に料理を作ったりはしたけどな。でも誕生日プレゼントは渡してない。お互いにな」


「え? そ、そうなの……?」


「ああ」


「そうなんだ。なんだか意外」


 桜彩としては、てっきり二人の誕生日にはちゃんとプレゼントを用意しているのだと思っていた。


「何か理由ってあるの?」


「あの二人が恋人同士だから、色々と気を遣うことが多くなるんだよ。例えば蕾華にあげる場合、陸翔からのプレゼントと俺からのプレゼントの中身について、色々と思うところがあるだろ?」


「ああ、そういうこと」


 下手に気を遣うよりは、プレゼントなど無くても一緒に祝えるだけで良い。

 そもそも一緒に過ごせるだけでとても幸せだ。

 それが三人にとっての一番心地良いかかわり方である。


「でもそっか。そうなんだ……」


 怜の言葉を聞いた桜彩の顔に微かな笑みが浮かぶ。


(ということは、怜があらかじめプレゼントを用意してくれたのって、私だけなんだ……)


 その事実が嬉しくて、胸が温かくなっていく。


「ふふふっ」


「桜彩?」


 急に表情の変わった桜彩に怜が問いかけるが、桜彩は笑ったまま首を横に振る。


「ううん、なんでもないよ。ほら、早く帰ろ」


「ああ。でもその前にスーパーに寄っていこうか」


「うん。今日のおかず、何にするの?」


「まあ行ってみてだな。何か特売してればそれを使って簡単に作ろう」


 先ほどまでの不安、不満の混じった表情が桜彩の顔から完全に消えている。


(……やっぱり桜彩は笑ってるのが一番可愛いんだよな)


 ふとそんなことを思う怜。


「怜、ほら、早く早く!」


「ああ」


 少し先を行く桜彩が待ちきれないと言わんばかりに手を差し出してくる。

 それをしっかりと握り締めて、二人はスーパーへと向かって行った。

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