第215話 後輩とケーキと誕生日

「いらっしゃいませ」


 閉店の準備を進めていると、入口のベルが音を奏でて来客の知らせを告げてくる。

 閉店準備を一度切り上げレジに立って接客の準備に着く怜だが、来客を見て表情が変わる。


「あら、光瀬君。お久しぶりねえ。今日はアルバイト?」


 ゴールデンウィークに訪れていた常連である女性客の一人がニコニコと問いかけてくる。


「はい。お久しぶりです」


 だが怜にとって意外だったのはその女性客の姿ではない。

 その少し後ろには小学生と思われる男子と、高校生の女子。

 その女子の姿を怜は充分すぎるほど知っている。


「……光瀬先輩?」


 ぽかんとした表情のままその女子、佐伯美都が口を開いた。


「佐伯?」


「…………」


「…………」


 お互いに予想していなかった出会いに会話が止まってしまう。


 それを見て、美都の母親と思われる常連の女性客が驚いたような表情へと変わる。


「あら。美都は光瀬君と知り合いだったの?」


「う、うん……。学校の先輩で……。お母さんも光瀬先輩と知り合いだったの?」


 まだ状況の理解出来ていない美都が、困惑しながら母親に問いかける。


「ええ。私はここの常連だからね」


「そうなんだ……」


 何やら複雑そうに呟く美都。

 まあ先輩と母親が自分の知らないところで知り合いであったというのは複雑なのかもしれない。


「あら? ちょっと待ってね。学校の先輩ということは、光瀬君ってまさか高校生だったの!?」


 ふと美都の母が驚いたように声を上げる。


「え? あ、はい。領峰学園の二年ですが」


「あらあらあら。そうだったの。光瀬君、大人びてるからてっきりもう大学生かと思ってたのよ。そうなの。高校生だったのねえ」


「も、もう、お母さん! 光瀬先輩に失礼でしょ!?」


「い、いや……。失礼というわけではないけど……」


 大人びていると言われることについて悪い気はしない。

 というよりも、美都がここまで慌てているのは初めて見る。


「でもそうだったのね。美都が話していた先輩というのは光瀬君だったのね」


「話していた……?」


「お、お母さん!」


 慌てて美都が止めようとするが、それを気にせずに美都の母は言葉を続ける。


「ええ。先日お弁当の作り方を丁寧に教えてくれたとか、裁縫の仕方を教えてくれたとか。入院している私のお見舞いに来てくれた時に、色々と聞かせてくれたわよ」


「だ、だからちょっと!」


 その言葉に美都の方を向くと、あわあわと慌てながら両手を忙しく横に振っている。


「ち、違います、違いますからね! そ、その、弟のお弁当を作るのを教えて貰ったって言っただけで……」


 そんな美都の姿を見ながらニコニコと笑う母。


「それに美都の持って来てくれたキャロットケーキ、とても美味しかったわ。あれの作り方を教えてくれたのも光瀬君よね?」


「作り方を教えたというか、私がやったのはレシピを教えただけですよ。そこからケーキを作ったのは佐伯本人です」


 実際の所、怜の言う通り美都にはレシピを教えただけで作り方を懇切丁寧に教えたわけではない。

 それにレシピといっても簡単に作れるようなものだし、それこそインターネットで検索をかければすぐに見つかるだろう。

 怜が誇るところは何もない。


「だからそのケーキについて褒めるのであれば、佐伯本人を褒めて下さい。本当に私は何もしていないようなものですので」


「先輩……」


 怜の言葉に美都が嬉しそうな、恥ずかしそうな顔をして頬を赤らめる。


「ねーねーにーちゃん! あのお弁当のおかず、にーちゃんが作ってくれたの!?」


 するとそこまで黙っていた男の子が興奮した様子で話しかけてきた。


「あれ、すっげー美味かったよ! ありがとう! また食べたいな!」


 ニコニコとした笑顔でそう言ってくれると怜としても嬉しい。

 美都本人も言っていたが、やはり本人から直接言われると嬉しさも倍増だ。


「そうだな。作り方は横で教えてたけど、作ったのはお姉ちゃんだからな。だからお礼を言うならお姉ちゃんに言いなさい」


「うんっ! 姉ちゃん、また作ってね!」


「も、もう……」


 弟からのそんな欲求に苦笑を浮かべる美都。

 どうやら姉弟仲はずいぶんと良さそうだ。


「それでは改めていらっしゃいませ。店内でお召し上がりになりますか?」


「いいえ。今日は持ち帰りで。今あるケーキはここに出ている物で全て?」


 美都の母がショーウィンドウを指しながら尋ねてくる。

 しかし閉店間際ということもあり、さすがに種類は少ない。


「はい。すみませんがもう閉店間際ですので、補充の方はございません」


「あらそうなの。それじゃあ……」


 ショーウィンドウ内を眺めながら吟味する母。


「美都はどれが食べたい?」


「え? えっと……それじゃあ、そのクラシックショコラを……」


 唯一残っていたホールケーキであるクラシックショコラをおずおずと指差す美都。

 ここで弟の方に何も聞かないことに違和感を覚えたが、店員と客という関係としては余計なことを聞くわけにもいかない。

 美都の言葉に母はゆっくりと頷いて怜に注文を告げる。


「それではこのクラシックショコラをホールで頂けるかしら?」


「かしこまりました。クラシックショコラをホールですね」


「ええ。お願いするわ。あ、それとメッセージプレートを作っていただくことは可能かしら?」


「はい。別料金となりますが、それでもよろしければ」


「ありがとう。それじゃあそちらもお願い」


「かしこまりました。それではメッセージの内容をこちらへお願いいたします」


 そう言って紙とペンを渡すと、それを見ていた美都がいきなり慌てだす。


「ちょ、ちょっとお母さん! そんなのいいって!」


「あら、別に良いじゃない。そんなに高い物じゃないし」


「そ、そうじゃなくて、その……」


 怜の方をチラチラと見ながら慌てたように美都が母を止めようとする。

 その視線から何か困ったことがあるのは分かるが、怜にはそれが何かは分からない。


「はい、光瀬君。これお願いね」


「あ、せ、先輩っ……!」


 美都が止めようとしているが、店員の立場としてそれを拒むことは出来ない。

 よって美都の母から渡されたメッセージの内容を確認するが、それを見た怜が驚く。

 そこには『Happy Birthday Mito』と記載されていた。

 どうやら本日は美都の誕生日ということらしい。

 図らずも美都の個人情報を知ってしまったことに対して少々申し訳ない気持ちになるが、不可抗力なのでこれは仕方がない。

 先ほどケーキの種類を美都にのみ聞いたのも、それが理由なのだろう。

 一方で怜がそれを知ったことが分かった美都が恥ずかしそうに顔を隠す。


「えっと、『Happy Birthday Mito』でよろしいでしょうか?」


「ええ、お願いね。あら美都、いったいどうしたの?」


「うう……。その……」


 恥ずかしそうに両手で顔を覆った美都を不思議そうに問いかける母。

 美都の方は両手を覆った指の間から恥ずかしそうに怜の顔をチラチラと見ている。

 とはいえやはり怜には何が恥ずかしいのか分からない。


「そ、その……は、恥ずかしい、ですよね……。この年になって、その、誕生日なんて……」


 指の間から真っ赤な顔を覗かせながら、美都が小さい声でそう言う。

 どうやら美都としては、高校生にもなって家族に誕生日を祝われることが先輩である怜にバレたのが恥ずかしいらしい。


「いや、別に気にしないで良いだろ。俺も去年、陸翔や蕾華と誕生日を祝い合ったからな」


「そ、そうなのですか……?」


 正確には祝い合ったというよりも、誕生日を口実として騒ぎ合ったという方が正しいかもしれないが。

 だから美都が恥ずかしがる理由はないだろう。


「ああ。だから恥ずかしがることはないぞ」


「そ、そうですか。ありがとうございます」


「まあお礼を言われることじゃないけどな」


「は、はい……」


 怜の言葉に美都が嬉しそうにはにかむ。


「ほら見なさい。別に恥ずかしがることじゃないって言ったでしょ?」


「そ、そうだけど……!」


 そんな親子のやり取りを微笑ましく見る。

 仲の良い親元を離れて暮らしている怜としては、こういったやり取りは多少なりとも憧れというものがある。


「それではお会計の方をお願いいたします」


「ええ。分かったわ」


 会計を終えると怜は一度クラシックショコラを持って厨房へと下がり、光へとメッセージプレートの注文をお願いする。

 それを待っている最中に、怜の目に先ほど作ったマジパンが映る。

 先ほど光に持って帰っても良いと言われたものだ。


(まあ、せっかくだしな……)



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 光の手により完成したメッセージプレートを乗せたケーキを箱へと入れて、怜はレジへと戻る。


「大変お待たせいたしました。こちらご注文のクラシックショコラになります。メッセージプレートの方はケーキの上に載っていますので」


「ありがとうね、光瀬君」


「ありがとうございました、先輩」


 親子そろって怜に頭を下げる。

 ちなみに弟の方は、ショーウィンドウの中のケーキを興味深そうに眺めていた。


「あ、佐伯。ちょっと」


「え、はい」


 レジに背を向けて帰ろうとした美都を呼び止める。

 そんな美都に怜はラッピングされた小箱を差し出して


「ほら、これ。誕生日プレゼントってほどのものでもないけどな」


「え? あ、あの、そんな、悪いですよ……」


 差し出された小箱に驚いて申し訳なさそうに腕をぶんぶんと振る。


「ああ、気にしなくても良いぞ。さっき俺が練習で作った物で、売り物ってわけじゃないからな。まあ味の方は普通の物と変わらないから」


「は、はい。そ、それではいただきますね。ありがとうございます」


 そう言って頭を下げる美都。

 そんな娘の姿を母は、あらあら、と言ったような表情で優しく見守っていた。


「それでは先輩、失礼しますね」


「ああ。それじゃあな。どうもありがとうございました」


 ケーキを持って出て行く三人を見送って、怜も再び閉店作業へと戻る。

 そんなやり取りを、店内のイートインコーナーから桜彩は複雑そうな表情で眺めていた。

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