第四章後編 嫉妬と二人の関係
第214話 突発的なアルバイト
『あ、怜君? 悪いんだけど、今日の夕方バイトに入ってもらえないかな?』
昼休み、自分の机に座って陸翔と将棋をやっていると怜のスマホが望からの着信を伝えてきた。
目くばせすると、陸翔も電話に出ろと無言で頷いてくれる。
そんな親友に片手を上げて感謝を伝えつつ通話ボタンを押すと、開口一番望からそのような要望が告げられる。
「今日ですか? いきなりですね」
『本当にごめんね。今日、夕方からのバイトが二人揃って体調崩したみたいで。私は外に用事が有るからお兄ちゃん一人じゃどうしようもなくて』
「ちなみに何時からですか?」
『そうね……。悪いんだけど、遅くとも十八時までには入ってもらえると助かるんだけど』
望の言葉に怜は少し考える。
本日の放課後はこれといって特に用事が有るわけではない。
それに望や光には日頃からお世話になっており、出来るなら手助けしたいとも思っている。
「少し待っていただけますか? 折り返し連絡しますので」
『うん、分かった。無理にとは言わないけど、出来れば入って欲しいな。あ、本当に無理なら構わないからね』
「はい。それではまた」
そう言って一度通話を切って、左隣の席へと少しばかり視線を向ける。
スマホで蕾華と猫動画を観ていた桜彩が怜の視線に気がつき、怜の方を向いて微笑を向ける。
その微笑を見て怜も同じく微笑を返し、他のクラスメイトに気が付かれる前に二人共視線を外す。
それを見ていた陸翔と蕾華は少し呆れて肩をすくめたのだが。
「何の用だったんだ?」
「放課後、バイトに入ってくれって望さんから」
「ずいぶん急だな」
「アルバイトが二人体調不良だって。望さん自身も用事が有るらしいし」
「そっか。それでどうするんだ?」
「んー、出来れば入りたいんだけどなあ」
スマホをブラックアウトさせながら肩をすくめる怜。
正直な所、望や光には普段から世話になっているし、人間的にも好感の持てる人物だ。
困っているのならば助けになりたいのだが、今の怜には問題がある。
先日までの一人での生活と違い桜彩と夕食を共にしている今は、当日にいきなりと言われても難しい。
そう悩んでいると、ブラックアウトしたスマホの画面が点灯する。
確認すると、桜彩からメッセージが送られてきたようだ。
『私のことは気にしないで 手伝いに行ってあげて』
チラリと隣を見ると、桜彩が笑顔を返してくれる。
どうやら陸翔との会話は隣の桜彩には聞こえていたらしい。
桜彩のその気遣いをありがたく思って怜は桜彩へとメッセージを返す。
『ありがと』
『ううん 気にしないで良いよ お仕事頑張ってね』
メッセージと共に、いつもの猫スタンプの『頑張って』バージョンも添えられている。
それを見た怜はクスリと笑って望へアルバイトの連絡をした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ありがとうございました」
リュミエールのドアがアンティークベルの音を奏でながらゆっくりと開き、そこからお客が帰って行く。
その後ろ姿を見送った後、怜はカウンターから中の様子を確認する。
「あ、怜君。ありがとうね。少し休んでいいよ」
すると中からリュミエールの制服へと着替えた望がカウンターへと出てきて怜に感謝の言葉を告げる。
「いえ。大丈夫ですよ。それよりも望さんこそもう少しゆっくりとしていても良いのでは? こう言っては何ですけど、今はそんなに忙しくないので」
もう閉店間近ということもあり、リュミエールを訪れる客足も多くない。
店内でケーキを食べているのも一人だけだ。
「なーに言ってるのよ。こうして無理を頼んだのは私なんだから。遠慮しないで休んでいなさいって」
そう怜の背中を笑いながら軽く叩き、休憩に入る様にと伝える望。
「あ、それともあれ? 彼女さんを見ていたいーってこと?」
ニヤニヤとした望の視線の先には手元のスマホへと時折視線を動かしながらケーキを食べる桜彩。
するとそんな怜の視線に気が付いた桜彩は、クスリとした笑みを向けてくれる。
それを見て怜も笑顔を返して二人共軽く微笑み合う。
そんな二人をよりニヤニヤとした笑みで見守る望。
「って待った。別に俺は渡良瀬と付き合ってるわけじゃないですからね?」
「えーっ、嘘だあ。だって彼女、明らかに怜君のバイトの終わりを待ってるじゃん。あ、なんならもう終わりにする? 私の方はもう用事が終わったから大丈夫だよ」
「いえ、ちゃんと時間まで働きますよ。それに、渡良瀬はあくまでも友人の類ですからね」
「えーっ? 今だって二人で目で会話してたじゃん。もう付き合ってる風にしか見えないんだけど?」
怜の言葉に対して望が疑わし気な視線を向ける。
まあ望の言うことも正しいだろう。
実際に怜と桜彩の親友である陸翔と蕾華の立場から見ても、二人は付き合っているようにしか見えない。
「はいはい。望さんは俺なんかの事よりも早く自分の付き合う相手を見つけて下さいね」
「う……これまた痛いしっぺ返しを……」
「そんなんじゃ瑠華さんに先を越されま……いや、それもあんまり想像出来ないな……」
自分で言ったことだが、あの瑠華に彼氏が出来る姿が想像出来ない。
まあ瑠華は見てくれは良いし、性格の方も良い部分も多々ある。
しかしそれを打ち消すだけの多大なるマイナスポイントがあるせいで未だに彼氏が出来たことがない。
まあ、相手を選ばなければその見てくれから彼氏は出来るのだろうが、あれでも瑠華は人を見る目はある為に、中身の伴っていない男に引っ掛かるようなことはない。
その点は弟分である怜としても安心出来るのだが。
「瑠華には先を越されたくはないわねー」
「まあ望さんなら大丈夫だとは思いますけどね。ていうか、今まで付き合ったことがないのって意外だし」
「あはは、ありがと」
実際に怜から見ても欠点の見えない望は外見も良いし、それこそ彼氏がいてもおかしくはない。
過去のことは分からないが、やはり今は仕事が忙しいのだろうか。
「それで、怜君は休憩どうする?」
「あ、それじゃあいただきますね。レジの方お願いします」
「はいはーい。それじゃあゆっくりね」
その言葉に甘えるように、怜はカウンターを望へと任せ中の方へと入っていった。
働いている怜の姿が消えて、桜彩としては少し残念に思ったのだが。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「凄いな」
リュミエールの厨房に光の驚いたような声が響く。
望が用事から戻って来た為に、レジの方は望に任せることが出来る。
よって怜は、急にアルバイトに入ってくれたから、とのことで光からマジパン細工について教わることになった。
望や光としては、急に入ってくれた怜に対するお礼、ということでの提案だったのだが、光にとって怜の腕は予想外の物だった。
最初は明日の分の仕込みをしながら教えていたのだが、怜の腕前にそちらの手を止めて見入ってしまった。
「ありがとうございます。ですが細かい所はもう少し工夫したいですね」
「何言ってんだ。充分すぎるほどに上手だぞ。これならうちの店でも充分商品として売り出せるからな」
「そう言ってくれると自信になりますね」
母が料理関係の仕事をしている為に、怜も製菓については多少の知識や技術は持っている。
そんな怜から見て、製菓に関して光の腕は一級品だ。
有名な賞をいくつも受賞していることからも折り紙つきだろう。
そんな光から褒められるのはシンプルに嬉しい。
「本当に良く出来てるぞ、これ」
怜の作ったお姫様を模したマジパンを手に取り眺めながら言う光。
とはいえ怜としては、光が手本として作った物の方がよほど凄いと思うのだが。
「ですが、俺は絵に関してのセンスが無いですからね。そんな芸術センスが無い俺がここまで作れたのは光さんのおかげですよ」
基本的に何でもそつなくこなす怜だが、絵に関しては例外に値する。
先日授業中に桜彩と落書きを楽しんだ際は手本にした元の絵がシンプルなだけあって、桜彩にも『上手に描けたね』とコメントを貰ったのだが、それでも本質的には下手な部類だろう。
「同じ芸術でも絵と造形は別だってことだろ。初回でこれなら回数をこなせば慣れるんじゃないか? また今度手の空いた時に見てやるよ。それと今作ったのは持って帰って良いからな」
「ありがとうございます」
さりげなく次回以降のレッスンを約束してくれた光に頭を下げる。
すると厨房の入口から望が姿を現した。
「あ、二人共、作業は終わった?」
「はい。今」
「へー、どれどれ。あ、こっちがお兄ちゃんで、これが怜君の作ったの?」
作業台の上には、光の作った手本のマジパンが二つ、そして怜の作ったマジパンが八個ほど置かれている。
そこから二人の作品を一目で見分けた望が、その出来栄えに驚愕に目を見開く。
「凄いじゃない。これ、うちの商品でもいけるんじゃないの?」
「ああ。俺もそう言ってたところだ。な? お前の腕は充分だって」
望の言葉を聞いて、やはりそうだろう、と光が怜に頷く。
怜としては二人に褒められすぎで、背中がむず痒くなってしまう。
「ありがとうございます。それで望さん、何かありましたか?」
照れを隠すように用件を聞くと、望があっ、と思い出したように手を叩く。
「あ、そうそう。怜君、作業が終わったらレジの方任せちゃっていい? まだ閉店まで時間はあるけど、少しずつクローズの方をお願いしたいなって」
「分かりました。それではレジの方に入りますね。それでは光さん、ご指導、ありがとうございました」
そう最後に一言お礼を言って、レジの方へと向かって行く。
そんな怜を見送った野畑兄妹は、はあとため息を吐く。
「いやあ、本当に凄いよね」
「そうだな。ああいうやつがもっとバイトに入ってくれると俺も助かるんだけどな」
「うんうん。それに見た目も性格のも良いしねえ。たまに来る常連さんに、怜君のシフトを聞かれたりするのもあるよ」
「そうなのか?」
基本的に光は表に出ない為、そちらの方は良くは分からない。
ただまあ普段の怜の姿から考えると充分に納得は出来る。
「お前も早くあーいうやつを捕まえたらどうだ?」
「あはは。さすがに私にはもったいないわよ。それに怜君、彼女いるしさ」
「え? そうなのか?」
「うんうん。ほら、春先に一緒に来た女の子いたでしょ? まあ怜君は彼女だって頑なに認めないんだけどね。でも今日だってあの子、怜君のシフトが終わるまでずっと待ってるわよ」
先ほどの会話を思い出しながら思わず笑ってしまう望。
あれで付き合っていないとは嘘としか思えない。
「それよりも私よりもお兄ちゃんはどうなのよ」
「俺は今のままで良いんだよ。それよりお前の方だろうが。いつも彼氏が欲しい、欲しいって口癖のように」
「う……しょうがないじゃない。出会いが無いんだもの」
怜のいなくなった厨房ではそんな会話が繰り広げられていることを本人は知らない。
なお、望に彼氏が出来ない一番の理由は望がブラコンだということも怜にとっては知る由もないのだが。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(あっ……!)
席でスマホを見ていた桜彩が表に出てきた怜の姿を見て顔に笑みを浮かべる。
怜も桜彩の方を向いて微笑を返すと二人でクスッと笑い合う。
そしてデキャンタ―を持って桜彩の方へと向かって行く。
「桜彩。お水のおかわりは?」
「あ、それじゃあ貰おうかな」
空になったグラスにデキャンタ―に入ったデトックスウォーターを注いでいく。
リュミエールの方針としては他のお客に迷惑が掛からない程度であればこのような世間話も許されているので、水を灌ぐついでに軽く会話をする。
「予定通りに終わりそう?」
「ああ。でもありがとな。こんな時間まで付き合ってもらっちゃって」
その言葉に桜彩はゆっくりと首を横に振る。
「ううん。私も怜と一緒に帰りたいからさ」
その言葉に怜の心臓が嬉しさでドクンと震える。
本来であれば怜のバイトに桜彩が付き合う必要は無い。
バイトに向かう前にそう説明したのだが、それに対して桜彩は『それじゃあ私も怜のアルバイトが終わるまでリュミエールで待ってるね。終わったら一緒に帰ろうね』とにっこりと笑って答えた。
「それじゃあお仕事頑張ってね。私はここで見てることしか出来ないけど」
「ああ。でも桜彩がいてくれるおかげで疲れも吹き飛ぶよ」
「ふふっ」
「ははっ」
そうお互いに笑顔で笑い合って、怜はクローズの準備へと戻って行った。
【後書き】
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