第212話 再び訪ねてきた後輩
「すみません、光瀬先輩はいらっしゃいますか?」
月曜の昼休み、怜の教室の入口からそのような声が響いた。
クラス内にいる大半の生徒の視線がそちらの方へと視線を向けて、先日同様に驚いたような表情を顔に浮かべる。
怜も同様にそちらへ視線を向けると美都が入口から顔を覗かせているのが見えた。
「佐伯? 何かあったのか?」
「こんにちは、光瀬先輩。あの、少しお時間よろしいでしょうか?」
クラスの注目を一身に集めている美都だが、それを気にした様子も見せずにいつもの調子で怜に声を掛ける。
美都の登場によりクラス内の喧騒が一時的に収まっていたのもあり、その声は教室内に良く響いた。
「ん-、まあ構わないけど」
周囲に確認すると、一緒にトランプで遊んでいた友人達が間の抜けた顔をしながら首を縦に振る。
「それじゃあ少し抜けるぞ」
「おう」
やっていたの種目は神経衰弱である為、途中で抜けたところで特に問題はないだろう。
ちなみに友人達としては、現在トップの怜が抜けてくれるのは実のところ有難い。
なにしろジュースを賭けての戦いだ。
絶賛優勝候補で現在最もリードしている怜が離脱するのを止める理由など無い。
「一応言っておくけど、今俺が獲った枚数は覚えてるからな。後で結果は教えろよ」
「げっ」
「マジかよ。途中離脱は無効だろ」
「言い訳は聞かん。途中で離脱してやるだけありがたいと思え」
怜としてもここでギブアップするつもりは全くない。
これ以上の得点を上げるのは無理だとしても、ここまで稼いだ得点までは捨てられない。
まあここまでの得点がダントツの為、トップは無理だとしてもおそらく二位にはなれるだろう。
そんなことを思いながら持っていたトランプを机の上に置いて廊下へと向かう。
扉を閉めると、途端にクラスの中は今の話題で持ちきりになった。
「いったい何の用だろうねーっ」
「今度こそ告白かな?」
「先週もあの子来てたよね。何かあったのかな?」
などと怜と美都の関係に好き勝手に想像を膨らませている。
(え……? 佐伯さん、何の用だろう……)
その中に合って、桜彩は美都の用事に内心で一抹の不安を抱えたまま、閉められた扉へと視線を向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
怜が扉を閉めるとまず美都が頭を下げてくる。
「ご歓談中に申し訳ありません」
「いや、気にしないで良いぞ。場所を移すか?」
先日、家庭の事情を含む相談をされた時のことを思い出すが、美都はゆっくりと首を横に振る。
「いえ、大丈夫です。お心遣い、ありがとうございます」
「そうか、分かった。それで、用件ってのは?」
怜の言葉に美都が怜を正面から見て、再び頭を下げた。
「先日のお弁当の件です。本当にありがとうございました」
「ああ、気にしなくていいぞ。弟さんはどうだった?」
「はい。美味しかったと言ってくれました」
顔を上げて感想を教えてくれる。
肉好きな男子小学生ということで考案したメニューだったのだが、どうやら好評で良かった。
「そうか。良かった」
美味しいと言ってくれたのであれば怜としても嬉しい。
どうやら頼られた甲斐はあったようで何よりだ。
「それに、あの日は私や父のお弁当もついでに作ったのですが、父も美味しいと言っていました。もちろん私もとても美味しかったです」
「そうか。そう言ってくれて良かったよ」
「はい。本当にありがとうございました。弟もまた食べたいと言っていたので、今度家で作ってみる予定です」
「そうか。分からないことがあったらメッセの方で聞いてくれて構わないぞ。すぐに返信出来るかは分からないけどな」
「はい。その時はまたよろしくお願いします」
そう言って美都はにっこりと笑った。
ふと思い返せば美都がこのように笑ったところを初めて見たかもしれない。
そんなことを感じていると、ふと背後の扉の向こうから小さな物音が聞こえてくる。
「あの、光瀬先輩?」
背後を気にした様子の怜を不思議に思ったのか美都が首を傾げて問いかけてくる。
そんな美都に怜は人差し指を自分の口に当てて『静かに』と伝えた。
美都が頷くのを確認し、足を後ろに動かして教室の扉を踵で軽く蹴る。
「うわっ!」
いきなりの衝撃に扉の向こうから何人かの声が聞こえてきた。
やはりというか、怜の予想通りに何人かが扉越しにこちらの様子を伺っていたようだ。
思わず軽く頭を抱えてしまう。
「っと、悪いな、佐伯」
「い、いえ……」
怜の行動の意図が分かったので、何とも言えない表情で戸惑いながら答える美都。
「それじゃあまたな」
美都の用件が弁当のお礼ということであれば、むしろこれ以上お礼を言われるのはむず痒い。
当日を含めて充分すぎるほどにお礼の言葉は貰っている。
「あ、すみません。実は、ですね……」
「うん?」
言いよどむ美都に今度は怜が不思議そうな顔を向ける。
その先では美都が少しばかり赤くなった顔を逸らしながらもじもじとしていた。
そして一呼吸おいて美都が後ろ手に持っていた紙袋を勢いよく前に差し出して
「あ、あの、こ、これどうぞ!」
「え?」
「その、先日のお弁当のお礼です! 光瀬先輩には本当にお世話になりましたので!」
そう早口で告げてくる。
怜としてはまさか言葉だけではなく物品でもお礼をされるとは思わなかった。
「いや、気にしないでもいいぞ。教えるのは手間じゃないしな」
「い、いえ。それだけではなく、その、先輩には火傷もさせてしまいましたし」
美都が怜の右腕へと視線を送りながら申し訳なさそうに言う。
先日、無理をしようとした美都を助ける為に、怜の右腕はもろに熱湯を被ってしまった。
「それこそ気にしなくて良いって。もう違和感も何もないし」
当日はそこそこヒリヒリとしていたが、今はもう問題はない。
初期手当てをちゃんとやったことによるものだろう。
そこはやはり桜彩に感謝だ。
「ですが今回は私の個人的な都合で光瀬先輩に負担をかけたことには変わりがありません。ですので受け取っていただけますか?」
「ん……、分かった。そういうことなら」
さすがにこれ以上断るのは美都にも悪いだろう。
そう考えて差し出された袋を受け取ると、美都も安心したように胸を撫で下ろす。
「よろしければ皆さんで召し上がって下さい」
「ああ、分かった。ありがとう」
召し上がってくれ、ということは食べ物ということか。
皆で、というのはクラスの友人の事か、それとも陸翔達のようにかなり距離の近い相手とのことか。
まあそこは自分の考えでも良いだろう。
「それでは失礼いたします」
「ああ。それじゃあな」
そう言って去って行った美都の後姿が見えなくなったところで怜も再び教室内へと戻っていく。
すると先日と同じように怜の肩にクラスメイトである武田の手が回された。
「それで、光瀬。いったい何の要件だったんだ?」
「この前、佐伯の頼みを聞いたことのお礼だ。お前らの期待するような話は何もない」
下手に勘繰られる前に先手を打ってそう言っておく。
「そーかそーか。それで、その手に持ってるのは何だ?」
「だからお礼だって言ってるだろうが……。見たところクッキーアソートか」
デパートで買って来たであろう袋の中をちらりと見ると、そこそこ高級なクッキーの詰め合わせが入っているのが見えた。
正直料理を教えたくらいでここまでしてもらうのは気が引けるのだが、美都としてはそれだけ感謝しているということだろう。
まあそれはそれで悪い気はしないのだが。
「それで、佐伯との仲はどこまで進んだんだ?」
「は?」
ピクッ
武田の言葉に耳を澄ませていた桜彩の表情が強張る。
もちろんそれに気が付かずに武田は話を続けていく。
「いやだから、佐伯の頼みを聞いて力になってあげたんだろ? それを機に急接近とか無かったのか?」
「無い」
はっきりとそう宣言する。
先日の勘繰りもそうだったが、なぜ皆は他人の行動をすぐに恋愛に結びつけたくなるのだろうか。
ちなみに耳を澄ませていたクラスメイトからは、期待するようなゴシップが聞けなかったことで残念そうな声が漏れている。
(だ、だよね……。何もないよね……)
その中で桜彩も、怜の返事に安堵のため息を漏らしていた。
「というか、神経衰弱の方はどうなったんだ?」
「お前が一位だよ、こんちくしょう!」
悔しそうに言う武田。
途中離脱したにもかかわらず、一番多くのカードを獲得したのは怜だったようだ。
「それじゃあ後でジュース三本な」
「分かってるよ!」
悔しそうに言う武田を横目に怜は自分の席へと座る。
(…………)
そんな怜を桜彩は隣の席から横目で少し寂しそうに眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます