第211話 お弁当作りの後で

 その後はトラブルが起きることもなく、無事にローストビーフが完成した。

 出来上がったそれをタッパーに詰めて帰り支度をした美都が頭を下げる。


「ローストビーフは明日厚め切ってご飯の上に載せれば良い。ソースは別の容器に添えてな。後はさっき作ったおかずを作り直して詰めれば遠足の弁当としては問題無いだろ」


「はい。本日は本当にありがとうございました」


 ローストビーフの他のおかずは卵焼き、そしてローストビーフを作っている合間に簡単に作り方を教えたジャガイモとほうれん草とベーコンのカレー炒め。

 それにミニトマトでも加えれば遠足の弁当として問題ないだろう。

 卵焼きとカレー炒めについては本日作った物を詰めるのではなく、明日の朝に再度美都が作る予定だ。

 難易度も難しくないので大丈夫だろう。


「それと、先ほどは本当に申し訳ありませんでした」


 怜の右手を見ながら再度美都が頭を下げる。

 怜自身がいくら問題無いとは言っていても、美都として申し訳なさが消えるわけではない。


「だから気にするな。さっきも言ったけど今度から気を付けろ」


「はい。ありがとうございます。それでは失礼しますね」


 そう言って美都は頭を下げて家庭科室を後にした。


「そんじゃあウチも帰るねー。また明日ー」


 同様に奏もローストビーフを持って家庭科室を後にする。

 これで家庭科部に残るのはボランティア部の四人のみ。

 四人共奏のことも美都のことも嫌いではない、むしろ人間的には好きな部類に入るのだが、それでもやっと気心の知れたメンバーのみになり一息つく。


「はーっ、終わったー」


 椅子に座って大きく息を吐く怜。

 正直なところ、今回の部活では気を抜きすぎていた場面が多々あって危なかった。

 それでも何とかなったのは陸翔と蕾華のフォローがあったからこそだ。


「あと少しで桜彩との関係がバレるところだったな。ありがと、二人共」


「すみません。私が軽率でした。本当にありがとうございます」


 桜彩も怜と同様に二人への感謝を口にする。


「全く……。もうちょっと注意しないとダメだよ、二人共」


「蕾華の言う通りだな。今度からもっと気を付けろよ」


「ああ……」


「はい……」


 親友の言葉に揃って項垂れる。

 二人の関係がバレなかったのは相当に運が良かっただろう。


「てゆーかもうばらしちゃっても良いと思うんだけどなー」


「そうそう。そうすれば普通に教室でも話したり出来るんだしよ」


 椅子に座って頭を天井に向け遠い目をして呟く蕾華に陸翔も同意する。

 だが怜としてはそう簡単に首を縦に振ることが出来ない。


「まあ、俺としても桜彩との関係は別に恥じるものではないと思ってるんだけどな。それでもその、なんていうか……」


「はい……。私もそう思わないでもないのですが、でも……」


 怜と桜彩が俯きながら歯切れ悪く答える。

 実際に怜も桜彩もこの関係は恥じるべきものだとは思ってはいない。

 しかし周囲としてはそう思わない者もいるだろう。

 怜も桜彩もそれぞれが目立つ存在だし、その二人が急に仲良くしだしては妙な勘繰りを受ける可能性もある。


「俺も桜彩も普通の家庭環境だったらそれでも良かったんだけどな」


「はい。怜の言う通り、私達はそれぞれ一人暮らしだと言うことが知られていますし」


 もしも怜がまだ家族揃って住んでおり、桜彩が家族ごと隣に引っ越してきたのであれば話すことも出来たかもしれない。

 しかし現実は高校生の男女が隣同士で一人暮らしをしている状況だ。

 もしそんなことが知られたりしたら、それこそ無責任な他人が嬉々としてゴシップとして取り上げるだろう。

 よからぬ下世話な勘繰りから噂話に尾びれが付いて、それが真実だと思われることもあるかもしれない。

 怜も桜彩も過去に友人に裏切られたことがある為に、そういった辺りについては人一倍敏感だ。


「あ、ごめんね。別に絶対に皆に話せって言ってるわけじゃないから」


 二人の反応に慌てて蕾華が訂正を入れる。


「大丈夫だって。蕾華が俺達のことを考えてくれてるのは分かってるからさ」


「はい。ご心配をおかけせいてすみません」


「いや、こっちこそ悪かったって」


 互いに頭を下げあう。


「だけどまあ、前にも言ったように徐々に仲良くなっている所は見せられてると思うけどな」


「そうだな。前に比べればオレも怜もさやっちと教室で話す機会も増えてきたからな」


 未だに教室内で桜彩のクールモードは解けていないが、それでも怜や陸翔と話す回数は増えてはいる。

 これも蕾華という存在が居るからこそだろう。


「あ、そうだ。ねえサーヤ。アタシ達との接し方なんだけど、ちょっといいかな?」


「はい、何でしょうか」


 ふと告げられた蕾華の言葉に桜彩が頭に疑問符を浮かべるが、そんな桜彩に蕾華は不満そうな表情をする。


「あ、あの、蕾華さん? どうかしたのですか?」


「そう、それ!」


 ビシッと桜彩を指差して立ち上がる蕾華。

 そんな蕾華の勢いに桜彩は少し押されてしまう。


「そ、それ、とは……?」


「その話し方! サーヤ、れーくんとは普通に話すのに、アタシとりっくんに対しては未だに話し方が堅いじゃん! もうアタシ達親友なんだから、もっと砕けた話し方にするべきだって!」


「あ、オレも同感。こうして四人で話してるとさやっちの話し方に違和感感じるんだよな」


「そうそう。ってわけでさ、サーヤ。アタシ達にもちゃんとタメ口で話そうよ」


 陸翔のフォローに満足そうにうんうんと頷く蕾華。

 そして期待するように目をキラキラとさせて桜彩を見つめる。


「え、えっと、タメ口、ですか……?」


「ブッブー! はいダメ! やり直し!」


 桜彩の言葉に蕾華が不満そうな顔をして、身体の前で両手で大きなバツを作って抗議する。


「え、ええっと……」


 困ったような顔をして隣に座る怜を見る桜彩。

 とはいえこれに関しては怜も同意見だ。

 桜彩との関係がバレた時、自分だけが知る桜彩がこの二人にも知られてしまったことに多少なりとも嫉妬心が湧いてしまった。

 とはいえもはや陸翔も蕾華も桜彩の親友としてお互いに強い信頼関係が生まれている。

 なにより先ほど陸翔が言ったように四人で話している際に、桜彩が陸翔と蕾華に対してのみ口調が変わるのは怜としても違和感がある。


「そうだな。二人の言う通り、俺達だけしかいない時はもう話し方を変えても良いんじゃないのか?」


 怜の言葉に桜彩が少し驚いたような顔をするが、少し考えてゆっくりと頷く。


「ほらほら! れーくんだってそう言ってるしさ。ほら、サーヤ! 話してみよっ!」


「は、はい……。分かりまし……分かったよ、蕾華さん」


「うんっ!」


 桜彩の言葉を着た蕾華が調理台越しに身を乗り出して桜彩の両手を握ってブンブンと振りまわす。


「まあ出来ればさん付けも取ってほしいけど、それはまた今後に期待だね」


「だな。まあ今日はこれで良いんじゃないか?」


「う、うん。それじゃあこれからよろしくお願いしま……よろしくね」


 まだ前の口調が抜けない桜彩に蕾華と陸翔はクスリとしながらも頷き合った。


「それじゃあそろそろ夕食にするか」


「うん。そうだね」


 怜の提案で夕食の準備に取り掛かる。

 今日はこのまま家庭科室で四人で食べる予定だ。

 当然メニューは先ほど作ったローストビーフとカレー炒め。

 備え付けの電気釜から大皿にご飯を盛りつけてその上にローストビーフを並べていく。

 その隣にカレー炒めを載せると桜彩が目をキラキラと輝かせる。


「うーん。美味しそーっ!」


「それじゃあソースを掛けて……」


 みりん、砂糖、ワサビ、醤油を混ぜ合わせたソースを掛けていく。

 普段であればオニオンソースやガーリックソースを作ることもあるのだが、今回は初心者である美都が作り易い和風ソースにした。


「「「「いただきます」」」」


 四人で手を合わせて箸を伸ばす。

 当然、最初に食べるのはメインである厚切りローストビーフだ。


「美味し~いっ!」


 一口食べた桜彩がうっとりと表情を崩して頬に手を添える。


「やっぱり怜の料理は最高だよ」


「ありがと。まあ今回に関しては基本的に手を動かしていたのは桜彩だけどな」


 今回の怜はあくまでも指示を出していただけ。

 ちなみに桜彩と奏の二人で作ったローストビーフの半分は奏が持ち帰っている。

 怜が食べているのは桜彩、陸翔、蕾華からのおすそ分けだ。

 とはいえ量としてはそこそこあるし、他のおかずもあるので足りないということはない。


「でもいいなあ。サーヤ、こんなに美味しいの毎日食べられて」


「うんっ。それについてはしっかりと自覚してます……自覚してるよ」


 前の口調がまだ抜けきらない桜彩。

 まあこの辺りは怜に対しての時と同じように時間が解決してくれるだろう。


「いや、俺も普段からこういうの作ってるわけじゃないからな。基本的には家庭料理だし」


「ううん。怜の料理はいつも美味しいよ。今食べてるローストビーフも、肉巻きも」


「ありがと」


「ははは。美味しいって言ってくれる相手が側にいると、料理が趣味の怜としても幸せだよな」


「ああ。桜彩は毎食美味しいって言ってくれるからな」


 基本的に自分一人で食べていた時とは違い、今は食事の時間がとても幸せだ。

 誰かと一緒にご飯を食べる。

 それがどれだけ幸せな事か、この一年で怜は充分に思い知ることとなった。


「だって毎食美味しいんだもんっ!」


「ははっ、ありがと。それじゃあ今はこの食事を楽しもうか。はい、あーん」


「あーん」


 極々自然にローストビーフを摘まんだ端を桜彩へと差し出すと、嬉しそうにそれを頬張る桜彩。

 負けじと陸翔と蕾華もあーんでの食べさせ合いが始まり、二組のバカップルは夕食の時間を楽しんだ。

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