第210話 お弁当作り④ ~火傷と手当~
「それじゃあ今度は二人のを食べてみるか」
気を取り直して、桜彩と美都の作った卵焼きを食べていく。
それはそれで普通に食べることは出来るのだが、形だけではなく卵焼き自体のふっくらとした加減についても怜の作った物の方が当然上の出来栄えだ。
「……こんなにも違うのですね。食べ比べてみるとより分かります」
自分で作った物と怜の出来の差に美都が愕然としてしまう。
「まあ、美都ちゃんの作った奴も美味しいんだけどね」
落ち込む美都を横から奏がフォローする。
実際に美都の作った卵焼きも普通に食べられる出来栄えだ。
あくまでも怜の作った物と比較して差があるというだけである。
「ですが、同じように作っても光瀬先輩の方が美味しいですよね……」
「はい。私の作った卵焼きも光瀬さんの物と比べると差があるのが良く分かります」
「んー、まあそれはね」
奏としてもそこは嘘をつかずに正直に答える。
むしろ味の差が分かり易い分、下手な慰めは逆効果だ。
「シンプルな分、腕の違いというものが分かるというか……」
「はい。佐伯さんの言うように、技術の差というものを思い知らされた気分です」
「とはいえ分量に関しては失敗してるわけじゃないからな。今回の佐伯の問題は――」
桜彩と美都の手順における問題を一つずつ洗い出していく。
そしてそれが終わったところで
「さて、今回の問題点が分かったところでまだ卵はあるしもう一度作るか」
「え? 良いのですか?」
顔を上げて美都が問い返す。
「悪いわけないだろうが。材料はまだある。失敗をちゃんと次に活かせればそれでいい。と言っても二人分も余ってるわけじゃないから、今回は佐伯だけだな。渡良瀬もそれで良いか?」
「はい。私は構いません」
怜の言葉に桜彩が首を縦に振る。
本来の家庭科部員の美都と違って桜彩は特別参加の部外者という立場だし、そもそも今日の部活は美都が弁当を作る為の開催だ。
であれば美都を優先するのが普通だろう。
「ありがとうございます。それではまた挑戦してみますね」
沈んだ表情から一転して新たな卵焼きに取り組む美都。
「えっと……さっき失敗したのはかき混ぜる時に……」
今しがた怜に言われた問題点を一つ一つ確認するように丁寧に作っていく美都。
その甲斐があったのか、三回目を作った時は怜の作った物と同じとまではいかないものの、最初に比べればかなり出来の良い卵焼きを作ることが出来た。
「このくらいなら良いんじゃないのか?」
「はい。ありがとうございました」
自分でも満足のいく出来の卵焼きを作ることが出来て美都が嬉しそうにお礼を言う。
「ってか美都ちゃん、この前も思ったけど結構頑張り屋さんだよね」
それを見た蕾華が奏にぽつりとそんな言葉を漏らす。
「うんうん。ぶっちゃけた話、きょーかんを除けば家庭科部の中で一番真面目なんじゃないかな?」
「いや先輩としてそれはどうなのよ」
「あははー、まあ固い事気にしない気にしない!」
あっけらかんという奏。
怜としては他の家庭科部員にはぜひとも美都の爪の垢を飲んでもらいたい。
聞こえてきた会話にそんなことを思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さて、そろそろいいかな」
卵焼きを作っている間にローストビーフの茹で時間が経過した。
こうして考えると空き時間を良い感じに有効活用出来ただろう。
「それじゃあローストビーフの方に戻るか。お湯を捨てて焼いていこう」
「はい、分かりました」
怜の指示を受けて中のお湯をシンクへと捨てようと美都が鍋の方へと向かう。
だがこの鍋は三つの肉塊を茹でる為にそこそこ大きな鍋に多くのお湯が入っている。
必然的にかなりの重量となっているそれは、女子の中でも小柄な方の美都が持つのは難しい。
「っておい待った。それは重いから俺がやるぞ」
「いえ、大丈夫です。元々私の我が儘ですので」
少しばかり負い目もある為にそのままコンロから鍋を持ち上げてシンクへと向かう美都。
が、普段あまり料理をしない美都はその重さを体験として知らない。
故に持ち上げた時に予想以上の重さがその両腕を襲ってしまう。
ズシリと両腕に響くその重量に美都の顔が歪む。
「ちょっと美都ちゃん、大丈夫?」
「は、はい。大丈夫です」
奏の問いに気丈にそう答える美都。
責任感の強い彼女としては、一度自分でやると言った以上他人に頼りたくはない。
だが傍から見れば今の美都は明らかに危なっかしい。
やはり重いのか鍋を持つ腕はプルプルと震えており、力が入っているせいか顔は真っ赤になっている。
それでも一度やると言った以上、途中で投げ出すことは出来ない。
左右にふらふらと触れながら鍋を抱えてシンクを目指す。
だが、やはりというか、そこで予想通りの事態が発生してしまった。
「あっ!」
美都の細腕には到底似合わない重量物。
当然のごとくバランスを崩して前方へと美都が倒れていく。
中に入っているのは熱湯。
このままでは大惨事になってしまうのは明白だ。
注意して見てくれている人がいなければ。
「危ないっ!」
怜、というか怜を含めた全員がそれを予想して注意深く見守っていた。
とはいえ全員が美都の周りに立っていたわけではない。
陸翔と蕾華は調理台を挟んだ逆側からこちらへと向かっている途中。
桜彩と奏も少しばかり離れた場所で卵焼きに使った器具を洗っている途中だ。
美都を見ていた怜が倒れていく美都の前方に回り込んで鍋の取っ手を両手で掴む。
これにより熱湯の入った鍋を抱えた美都が転び、その中身を体に浴びて大火傷を負うという最悪の事態は逃れることが出来た。
だがその代わりに鍋の縁スレスレにまで注がれていた熱湯は慣性の法則に逆らうことはなく、コップ二杯分ほど零れて怜の右腕を襲った。
「熱ッ!!」
思わず反射的に手を放したくなるが、そんなことをしてしまってはせっかく守った鍋から熱湯が零れてしまう。
「陸翔ッ! 頼む!」
「任せろ!」
呼ばれるまでもなく陸翔が怜の元へと駆けつけて、怜と美都から奪うように鍋を受け取る。
「光瀬さん!」
ひとまず安心する――しようとすると、いきなり桜彩が怜の手を引っ張ってシンクの方まで強引に連れて行く。
蕾華がシンクの蛇口をひねって水を出し、桜彩が怜の手をそこに当てる。
冷たい、とは言い難いがそれでも今の怜にとっては有難い。
「す、すみません、光瀬先輩!」
手を冷やしていると、青い顔をした美都が駆け寄ってくる。
自分のせいで火傷を負わせてしまったことに対し罪悪感を感じているのだろう。
「ほ、本当に、すみませんでした……」
これでもかというほどに頭を下げてくる。
そんな美都に対し、怜は決して怒ることはなく
「気にするな。このくらいはまあなんてことはない」
そう安心させるように声を掛けた。
しかし当人がそう言っているとはいえ美都としては申し訳なさでいっぱいだ。
「私のせいでその……火傷を……」
「だから気にするなって。ふざけていたのであれば俺も怒るが、佐伯はそうじゃないだろ?」
「で、ですが……」
美都もさすがにそれで納得出来るわけもない。
自分が無理をしなければ怜が火傷を負うこともなかったのだ。
そんな美都に怜はゆっくりと首を横に振る。
「わざとやったんじゃないんだから、必要以上に謝らなくても良い。ただ今度からは自分に出来ない事を無理にやろうと思うな」
「は、はい……」
「それにな、少なくとも俺を含めて今ここにいる五人はそれを悪くは思っていない」
その言葉に陸翔たちがゆっくりと頷く。
怜は他人のミスに関しては肝要だ。
本人の言うように故意にやったことに対しては怒るが、真剣に取り組んだ結果としてミスをするのは仕方がないと思っている。
それが元で自分が不利益を被ることがあっても基本的には怒らない。
今回の件に関しても美都の真剣さが悪い方に出てしまっただけであり、腹を立てているわけでもない。
そしてそれは陸翔達も良く分かっている為、怜が火傷をしたことについて美都を責めるようなことはしない、というか責めたいとも思っていない。
「それにな、確かに熱かったけど別に沸騰していたわけでもないし、この程度で俺は火傷はしない。だから必要以上に気にするな」
「は、はい。ありがとうございます」
「ああ、謝るよりもそっちの方が良い。さて、それじゃあ次の工程に進むか。ちょっと着替えてくるから待っていてくれ」
そう言って濡れてしまったジャージを着替える為に、一旦ボランティア部の部室へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
部室に到着したところで怜はやっと一息ついた。
美都に心配を掛けないようにそう言ったが、はっきり言って右腕は結構痛い。
とはいえそんなそぶりを見せては美都がより罪悪感を感じてしまう為、表情には出せない。
「怜、大丈夫?」
すると部室の入口から桜彩がこちらの様子を覗いていることに気が付いた。
「桜彩?」
「蕾華さんが様子を見に行ってって」
「ああ」
正直一人では応急処置が難しい。
手当てとは言わずに様子を見に行けと言葉を選んだのは蕾華による美都への配慮だろう。
「怜、大丈夫なの?」
「ちょっと痛いけど、まあこれくらいならなんとかな。そこまで高温じゃなかったのとすぐに流水に当てたのが良かったよ。ありがとな」
「ううん。それで怜、何かすることある?」
「そうだな。とりあえず軟膏でも塗っておくか」
そう言って怜は濡れたジャージを脱ぎ、部室に備え付けの救急箱から軟膏を取り出す。
と同時に桜彩の手が伸びて軟膏を奪う。
「それじゃあ怜、腕を出して」
「え?」
「え? じゃないよ。腕を出さなきゃ塗れないでしょ?」
つまりは桜彩が軟膏を塗ってくれるということだ。
「いや、別に俺が塗るから……」
「片手じゃ難しいでしょ。はい、早く座って手を出す!」
言いながら強引に桜彩が怜をソファーへと座らせて右腕をテーブルの上へと置いた。
その優しさに怜も素直に甘えることにする。
「それじゃあ頼む」
「うん。それじゃあ塗っていくね。……どう? 痛くない?」
「全然。ありがとな」
「ふふっ。どういたしまして」
軟膏が塗られていくとなんだか徐々に楽になっていく気がする。
これは軟膏のおかげなのか、それとも塗ってくれている桜彩の手から伝わる優しさのおかげなのか。
そんなことを考えながら軟膏を塗ってもらった後、ボランティア部の活動で稀に使う作業服に着替えて家庭科室へと戻っていった。
【後書き】
次回投稿は月曜日を予定しています
体調不良ある程度回復しました
ご心配をおかけしました
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