第208話 お弁当作り② ~「もしかして付き合ってるの?」~
「あ、お湯が沸きました」
美都が鍋の中を覗き込み、水が音を立てて沸騰を始めたのを確認して声を上げる。
コンロの火と水蒸気により少しばかり暑くなってきたように感じて汗をぬぐう。
「それじゃあ入れていくか」
「はい」
鍋の中へと真空パックに入れたままの牛肉を投入し、落し蓋をする。
二分ほどしたら火を消して、そのまま三十分程度放置して次のステップだ。
本来であれば沸騰したお湯ではなくもっと低温で時間を掛けて調理するのだが、そこは先ほど言った通り時短用に変更する。
「えっと、このままで良いのですか?」
「ああ。落し蓋もしてるしこのままで良いぞ。まあ時々再加熱はするけど」
三つの肉塊を中に入れている為にお湯が冷めるのも早い。
温度を確認しながら再度温める必要もあるが、そこまで手間のかかるものではない。
故にとりあえずローストビーフに関してこの後はしばらく手持無沙汰だ。
とはいえその間何もしないというのもなんだし、他のおかずに挑戦することにする。
「それじゃあ茹で終わるまでの間に別の物でも作るか」
「別の物ですか?」
「ああ。お弁当のおかずがローストビーフだけってのは寂しいからな。後は定番の卵焼きでも作ってみよう」
「はい。卵焼きですね」
怜の言葉に美都が大きく頷く。
「味はどうする? 甘いのが好きとかしょっぱいのが好きとか」
「そうですね。家ではいつもお醤油を掛けて食べています」
「そうか。まあお弁当ってこともあるし、この場合は卵を混ぜる段階で醤油を混ぜておこうか」
「分かりました」
そう言って怜の横で作業を始める美都。
(むぅ……。佐伯さん、怜と近いなあ……)
それを見た桜彩が自分でも気が付かないうちに眉間に皺を作る。
そんな桜彩を気にした奏が近寄って行き声を掛ける。
「あれ、どしたのクーちゃん」
「えっ!?」
いきなり横から掛けられた声に桜彩の意識が引き戻された。
声の方を見ると不思議そうな顔をした奏が首を傾けて顔を覗き込んでいる。
「み、宮前さん……。ど、どうしたとは……?」
「んー、なんか今のクーちゃん、いじけてなかった?」
「いじけ……い、いえ、べ、別にいじけてなんていませんけど……!」
奏の指摘にあわあわと焦る桜彩。
いつものクールモードとはかけ離れたその行動に奏が再び首を傾げて桜彩の顔を再度覗き込む。
「あれ、なんか焦ってる?」
「い、いえ、大丈夫です! その、やっぱり光瀬さん、色々と料理が出来るんだな、と思うと少し羨ましくて……」
さすがに考えていたことをそのまま正直に伝えられるわけもなく、咄嗟に思いついた言い訳を口にする。
もっともその言葉も嘘というわけではなく、怜の腕前を羨ましく思っていることも事実なのだが。
「あ、なるほどね。そーゆーことか」
桜彩の言葉の内容自体に説得力があったのか奏もその説明で納得したようにうんうんと頷く。
このあたりは昨年から一年以上、怜の料理の腕前を見てきた奏ならではだろう。
奏が納得してくれたのを見て桜彩も安心したようにゆっくりと胸を撫で下ろす。
「確かにきょーかん料理テク凄いからねー」
「はい。同じく一人暮らしをしている身としては驚嘆します」
「うんうん。なるほどねー」
そう頷きながら奏はふと良いことを思いついたというようにポンと手を打ち鳴らす。
そして怜の方に向き直り
「きょーかーん! クーちゃんにも卵焼きの作り方教えてくれるー?」
そう怜に問いかけた。
その声に怜と美都が手を止めて振り返る。
「えっ!? み、宮前さん!?」
「ほらほら。だったらクーちゃんもきょーかんに料理学んだらいいんだって」
「え、ええっと……」
驚く桜彩に奏は笑みを浮かべてそう説明する。
まあ桜彩は毎日のように怜に料理を教えて貰っているのだが、それを説明出来るわけもなく困った顔をする桜彩。
「そうだな。それじゃあせっかくだし渡良瀬も作ってみるか?」
「ほらほら。きょーかんもそう言ってるし、作ってみなって」
バン、と桜彩の背中を軽く叩く奏。
それについて少し桜彩が考え込む。
(そ、そうだよね……)
怜と美都が近くで作業していることにモヤっとしたものを感じたのだが、奏の言う通り自分も怜に教わることも良いだろう。
そう考えて桜彩は奏の提案に頷く。
「それではご迷惑でなければ私もお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ。それじゃあ三人で作ってみるか」
「はい」
「はい、お願いします」
こうして三人で卵焼きを作ることになったのだが、そんな桜彩を奏はニヤニヤとした目で眺めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
卵焼き自体はそんなに時間が掛かる料理でもないので一度怜が見本を作る。
そして怜の指示通りに桜彩と美都が卵焼きを作り始める。
とはいえ卵焼き自体はそこまで難しい料理ではない。
むろん手間暇を掛けようと思えば掛けられるのだが、そこまでしなくても良いだろう。
「あっ……」
美都の方は、卵を薄く広げて焼いたところまでは良かったのだが最後にまとめて巻く際に形が崩れてしまう。
明らかに失敗と分かるそれを見て肩を落としてしまう美都。
「失敗、ですよね……」
「まあな。焼く時に気泡をちゃんと潰してないとこうなりやすい」
「はい」
「まあ次だ次。そんなに難しいわけじゃないから、今のポイントを集中して作ってみろ」
肩を落とす美都を励ますように声を掛ける怜。
「あの、光瀬さん。こちらは大丈夫でしょうか?」
逆側からの声に振り向くと、桜彩がフライパンを手に卵焼きの出来栄えの確認を頼んできた。
そこには普段怜と共に作っているからか、見た目は問題ない卵焼きが出来ている。
「そうだな……。うん、大丈夫だと思うぞ」
「ありがとうございます」
怜の言葉に安堵して頭を下げる桜彩。
「よし。それじゃあ一度皆で食べ比べてみるか」
「それではお皿を用意しますね」
怜の言葉にそう返事を返した桜彩が棚から皿を用意する。
「……ん?」
その行動に首を捻る奏。
それに気が付かず、桜彩は棚から取り出してきた皿を怜へと渡す。
「はい。どうぞ」
「ん。ありがと」
いつもの自宅と同じく桜彩から皿を受け取る怜。
そのあまりに自然な二人の行動を見た奏が
「クーちゃん、今ふつーにきょーかんのサポートしてたよね」
そんなことを口にした。
ビクッ
予想外の指摘に一瞬固まってしまう二人。
「ま、まあ私も全く料理をしないというわけではないですし……」
あわあわとしながら少しピントのズレた返答を返す桜彩。
加えてまだ目が泳いでおり奏の顔を正面から見ることが出来ていない。
「ああ、そーゆーことね。でもさ、今のきょーかんとクーちゃん、いつも一緒に料理してるみたいな感じしたからさ」
「え、ええっと……」
まさかの角度から飛んできた指摘に桜彩の目が泳いでしまう。
「まあそうだな。先日ボランティア部の方で渡良瀬の歓迎バーべーキューをやったからな。その時に四人で一緒に作ったから」
たまらず怜がフォローを入れる。
それを聞いた奏が納得したようにうんうんと首を縦に振る。
「なるほどなるほど。いやー、あまりにも自然過ぎて、もしかして二人って付き合ってるんじゃないかって思っちゃったよ」
「えっ……!?」
「ほら。きょーかんも一人暮らしだしさ。きょーかんの家でいつも一緒にご飯作って食べて――とか」
「え、えっと……」
付き合っている、ということ以外は当たっている為に、奏の指摘を受けて桜彩が顔を真っ赤にする。
いや、付き合っているということもある意味では当たっているとも言えるのだが。
「いやー、まあそんなことなんてないだろーけどさー。あはは、ごめんごめん…………んん?」
ケラケラと笑いながら謝った奏の目に映ったのは、クールとは程遠いほどに顔を赤くして慌てた桜彩。
「え、ええっと……え、まさか、マジで付き合ってるの……?」
思いがけない桜彩のリアクション。
それを見た奏の顔の表情が笑みから驚愕に変わって硬直した。
驚きながら桜彩を指差す奏。
美都も奏の指摘に口を開けて驚いている。
一方で指差された桜彩は顔を真っ赤にしながらパクパクと口を動かしている。
なんとか否定しようとするが、いきなりのことに否定する言葉が口から出てこない。
「はいはい。馬鹿な事言ってないの」
そんな大ピンチの怜と桜彩を救ったのは二人の親友である蕾華だ。
パン、と軽く奏の頭をはたきながらやれやれといった顔で奏を見る。
「ほらほら。サーヤは冗談が通じないんだからやめなって」
一緒に行った猫カフェの時に散々桜彩をからかって遊んだ奏。
あの時も桜彩はすぐに顔を真っ赤にして固まっていた。
まあ蕾華としても、怜と桜彩の関係を知った今にして思えばあの時の桜彩のリアクションに納得がいくが。
「え……からかってって……」
蕾華の言葉でようやく桜彩も平静さを取り戻す。
つまりマドレーヌ作りや猫カフェの時のように奏にからかわれたということだ。
それが分かって桜彩の顔が別の意味で真っ赤に染まる。
「み、宮前さんっ!」
「あははー、ごめんね」
両手を顔の前で合わせて舌先をチラっと見せて謝る奏。
「も、もう……!」
「あははー。クーちゃんが可愛いからさー」
「うぅ……」
ついに桜彩が両手を顔で覆ってテーブルへと突っ伏してしまう。
「あはは、ごめんって」
そう言いながら桜彩の背中に抱きつきながら謝り倒す奏。
「全く。とりあえず宮前、蕾華の言う通りあんまりからかうなよ」
「はいはーい。それじゃあ今後はクーちゃんの分もきょーかんをからかうことにするねー」
「だからそれも止めろ!」
「あははー、善処しまーす」
そう言って桜彩から離れて怜に敬礼を返す奏。
とはいえ明らかに善処する気の無い返事である。
それを分かっている怜もそれ以上何も言わずに首を横に振って視線をフライパンの方へと戻した。
「…………冗談で言ったのは最初だけなんだけどなあ」
その冗談に対する桜彩のリアクションが正鵠を射たかのように思えたのは本当だ。
本当に付き合っているのがバレたかのように。
怜の背中を見ながら奏の口から出た小さな呟きは、誰の耳に入ることも無かった。
【後書き】
次回投稿は月曜日を予定しています
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます