第205話 美都のお願い
「佐伯?」
廊下から奏の隣でこちらを見ている美都を確認した怜が声を上げる。
家庭科部の先輩後輩という関係上、美都が怜を訪ねることにそこまで違和感は無い。
しかし昼休みの教室まで尋ねて来るほどの関係でもない為に、何かあったのかと考えてしまう。
とはいえこのまま席に座っているだけというわけにもいかないので、廊下の方へと向かっていく。
「こんにちは、光瀬先輩。お昼休みをお邪魔してしまい申し訳ありません」
開口一番丁寧に怜に頭を下げる美都。
正直ここまで礼儀正しい態度をとられるとそれはそれで困惑してしまう。
「どうかしたのか?」
「はい。光瀬先輩にご相談がありまして……」
「相談?」
「はい……その……」
いつもとは違い美都の顔には少しばかりの陰りがある。
声の方もはきはきとした感じは消え失せており、絞り出すような細い声色だ。
「ここじゃあ言いにくい事か?」
「はい……。申し訳ありませんが、場所を移動してもらっても構いませんか?」
怜の教室の真ん前かつ怜も美都もそれぞれが目立つ人間である為に、ここは話をするには少々適さない場所だ。
現に今も教室内から好奇の視線がいくつも向けられている。
時計を確認するとまだ昼休みの終わりまでは時間がある為に、どこか静かな場所へと移動した方が良いかもしれない。
「分かった。それじゃあ移動するか。…………ボラ部の部室使うぞーっ!」
教室内のボランティア部三人に部室を使うことを伝えておくと、三人が頷きを返してくる。
これで二人の話を聞かれることはないだろう。
「お手数をお掛けして申し訳ありません。宮前先輩もありがとうございました」
「うんうん、気にしないでいーよー」
「それでは失礼します」
怜に取り次いでくれた奏にも頭を下げる美都。
そして怜と美都はボランティア部の部室へと移動した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あの子でしょ? 可愛いって噂の一年生の主席合格者って」
「確かに可愛かったよねー」
「光瀬に何の用事だろうな?」
「もしかして告白!?」
怜が去った後の教室内では今の光景を見たクラスメイトがそんな会話を繰り広げている。
声を落としているわけでもない為に当然その内容は桜彩の耳にも入るわけで。
(こ……告白!?)
聞こえてきた単語に驚く桜彩。
(れ、怜が佐伯さんと付き合うかもってこと……?)
もし美都の用事が告白であり、それを怜が受け入れればそうなるだろう。
(れ、怜が、佐伯さんと……)
桜彩の席が教室の隅ということもあり、桜彩を見ているクラスメイトは蕾華だけだ。
普段のクールモードはどこへやら、頭に思い浮かべてしまった内容に桜彩は顔を青くする。
「まああの調子じゃ告白ってことはないだろうけどね」
そんな桜彩を見た蕾華が安心させるように声を掛ける。
「ん-、まあ多分ね」
蕾華の元へと戻って来た奏もその言葉に同意する。
「そ、そうなのでしょうか……?」
恐る恐る聞き返す桜彩。
「うん。美都ちゃんもきょーかんのことは先輩としては尊敬してるだろうけどさ」
「だよね。先週の部活の時もそんな雰囲気なかったし」
(そ、そうだよね……)
二人の言葉に桜彩は自分でも気が付かないうちに胸を撫で下ろす。
(で、でも……本当にそうなのかな……?)
蕾華や奏の言葉で桜彩の不安が完全に消えたわけでもない。
怜が出て行った教室のドアを、桜彩は不安そうに眺めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「まあここなら良いか。どうする、一応鍵を掛けとくか?」
話を聞かれないように念には念を入れるべきか分からないのでそう提案する。
とはいえ美都としても男性と鍵のかかった部屋に二人きりというのは気まずいかもしれない。
なのでそこの判断は美都に委ねることにした。
「いえ、大丈夫です。確かにあまり人に聞かれたくはありませんが、聞かれてまずい内容ということでもありませんので」
「そうか、分かった」
「お心遣い、ありがとうございます」
そう言って再び頭を下げる美都。
そして顔を上げると真剣な表情で怜を見上げて話を始める。
「その、相談についてなのですが、前置きとして、私の母が先日入院してしまったのです」
「入院?」
「はい。盲腸で。命に別状はないようですが」
「そうか……まあ一安心っちゃ一安心か」
「はい」
盲腸は対処が遅れれば命にかかわることもあるようだが、美都の母はそのような事ではなさそうなので不幸中の幸いということだろう。
とはいえそれは家庭内の問題であり、怜がどうこう出来るようなものだとも思えないのだが。
「それでですね、これまで家での料理は全て母が作っていました。他の家族、私を含めて父と小学生の弟がいるのですが、皆料理には縁が無くて、その……現在はお弁当やお惣菜を買って食べているような状況なのです」
「なるほどな」
恥ずかしそうにその内容を告げる美都。
とはいえ料理の出来ない高校生はそこそこ多いとは思っているし、慣れないことをすればそれだけ時間が掛かる。
あくまでも怜が例外なだけであり、別に美都がそれを恥ずかしく思うことはないだろうが。
「つまり相談ってのは料理を教えてくれってことか?」
「はい……。といっても母の方も少しすれば退院しますので、今はお弁当やお惣菜で問題ないのですが……」
美都の言葉に怜が首を傾げる。
現状それで問題ないのであれば美都が料理を覚える必要は無い。
にもかかわらず料理を教えて欲しい理由として考えられるのはなぜだろうか。
「ってことは、今後同じようなことがあった時の為ってことか?」
そう考えたのだが怜の言葉に美都は首を横に振って否定する。
「いえ、そういったことではありません。むろん今後のことを考えればそれも必要になってくるのですが、差し当たっての問題としてもうすぐ弟の遠足があるのです。なのでお弁当が必要となるのですが、その、スーパーのお惣菜を朝に買うことは出来ないもので……」
確かにスーパーの総菜等は基本的にはその日のうちに食べるように期限が設定されている。
加えて朝から開いているスーパーはこの周辺には無いので当日の朝に買って来るのは難しいだろう。
「もちろん消費期限を少しくらい過ぎても問題無いとは思うのですが、万一ということもありますし……。一応、コンビニのお弁当という手もあるのですが、せっかくの遠足なのでそういった物ではなくもっと良いお弁当を用意したいな、と」
「なるほど。そういうことか」
普段の食事であればコンビニの出来合いの物でも良いかもしれない。
しかし遠足とは普段と違った大きなイベントであり、その中でも昼食というのは最大の楽しみと言えるかもしれない。
「はい……。こういったことを頼める相手というのが光瀬先輩しか思いつかず……。非常に申し訳ないのですが、私にお弁当の作り方を教えていただけないでしょうか?」
再度頭を丁寧に下げる美都。
怜はこれまでの部活で何度か美都と話しているし、その活動内容を見ている。
基本的には生真面目であり、あまり人に迷惑を掛けるようなことをしない印象だ。
そんな美都がこうして(美都としては)自分勝手な願いを口にするくらい弟のことを大切にしているということだろう。
形は違えど怜自身、姉に色々と優しくしてもらった経験があり、であれば先輩として手助けをしてやりたいという思いに駆られる。
「ちなみに遠足ってのはいつあるんだ?」
「それが、その……明後日です……」
「明後日!?」
美都の返答にさすがの怜も驚いてしまう。
ということは、事実上準備期間としては今日と明日のみということだ。
怜のその言葉に再度美都が申し訳なさそうに眉を落とす。
「はい……。あ、あの、無理ならば……」
「いや、大丈夫だ。何とかしよう」
美都の言葉を遮って怜が口を開く。
確かに時間は少ないがやってやれないわけではない。
なによりこれだけ弟のことを大切にしているのだ。
姉に大切にされて育ってきた怜としてはその願いはぜひとも叶えてあげたい。
「光瀬先輩……」
怜の返答により落ち込んでいた美都が顔を上げ、その表情が明るく変化していく。
困った末に駄目元で頼った怜が快諾してくれたことで一縷の望みが繋がった。
「あ、ありがとうございます!」
「まあ明日だな。突発的な部活ってことで家庭科室を使わせてもらうか」
家庭科部の部活動は基本的に火曜日と金曜日に行っている。
明日は木曜日であるが、さすがに私用で家庭科室を使うわけにもいかないので体裁は整えておく必要がある。
「は、はいっ! 本当にありがとうございます!」
「礼を言うのはまだ早いって」
「いえ、本当に感謝しています。あまり接点の無い私の無理なお願いを聞いて下さって」
その言葉に少しばかり怜が苦笑してしまう。
たしかに怜と美都は部活の先輩後輩同士という関係だけではあるが、だからといって部活内でも普通に話したりもしているし仲も悪くない。
そんな後輩の願いなら怜としても手伝うことに何の問題もない。
「一応確認しておくと、好き嫌いとかはあるのか?」
「嫌いな物は無いはずです。好きなものは、お肉、ですね」
「分かった。放課後までにメニューは考えておく」
「お願いいたします。竜崎先生と部長の方には私の方から連絡しておきますね」
部活という体裁を整える以上、顧問と部長には話を通しておくべきだろう。
「それも俺がやっても構わないんだけどな」
「いえ、お願いしているのは私ですのでこれは私が行います」
真っ直ぐに怜を見た美都がそう伝える。
正直美都のこういった考え方はかなり好感が持てる。
「そっか。それじゃあ任せる」
「はい」
そしてふと室内の時計を見ると、昼休みの終わりまで五分程度しか残っていなかった。
部室からそれぞれの教室まではそこそこ距離がある為に、もうそろそろ戻った方が良いだろう。
「それじゃあ教室に戻るか」
「はい。本当にありがとうございました」
ボランティア部の部室を出る怜に対して美都は本日何度目か分からないお礼を言いながら頭を下げた。
怜は背中を向けており見ることが出来なかったのだが、その顔からは不安が取り除かれて尊敬するような眼差しを怜に向けていた。
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