第200話 食うルさんって言ったのは?

「ふう。満足したあ」


 ひとしきり可愛がってから桜彩がやっと怜を解放する。

 もちろん怜にとってそれが嫌な時間であるということは断じてなかったのだが。

 そして怜がヘアバンドを外すと桜彩は少し残念そうな顔をした。


「ふふっ。怜、可愛かったよ。また機会があったら着けてくれる?」


「ま、まあ機会があったらな」


 とはいえ早々こういった機会はないと思うのだが、そんな怜の返事に桜彩は気を良くする。


「それじゃあ次を楽しみにしてるね」


「そうだ。それまでに桜彩の分も猫耳を作っておくか」


「え? 私の?」


「ああ。俺ばっかりじゃ不公平だからな」


「ありがとね。それじゃあそれも楽しみにしてるよ」


 そう言ってにっこりと笑う桜彩。

 猫好きの桜彩としては猫耳ヘアバンドを着けるのも楽しみらしい。

 同じく猫好きな怜としては恥ずかしさの方が上に来たのだが。


「あ、それならさ、このヘアバンド着けてみるか?」


「え? 良いの?」


「もちろん。はい、どうぞ」


「ふふっ。ありがと」


 先ほどまで怜の着用していたヘアバンドを手渡された桜彩が嬉しそうにそれを着用する。

 そして怜の方へと顔を向けるとその破壊力に怜の心臓の鼓動が今日一番早くなる。


「怜、どう……? 似合ってる……ニャ……?」


 怜を見上げながら少しばかり不安そうにおずおずと桜彩が聞いてくる。

 先日部室で猫の物まねをした時にも思ったのだが、ただでさえ可愛い桜彩がそのようなことをすれば魅力が倍増されてしまう。

 加えて今は先日の時とは違って猫耳まで着用している。

 そんな桜彩のあまりの可愛さに言葉を失ってしまう。


「あ、あれ……もしかして、似合ってない……?」


 怜の反応に悲しそうな顔をする桜彩。

 語尾にニャを付けるのも忘れてしまっている。


「い、いや、違う! その……凄く可愛いと思う……」


「え? あ……う、うん……ありがと……ニャ……」


「ッ!!」


 慌てて訂正した怜の言葉に顔を赤くして照れる桜彩。

 それに加えて語尾が猫語ということで本当に言葉に出来ないくらい可愛い。


「ほ、本当に可愛いと思う。その、この前の部室の時みたいに」


「あ、うん。あ、あの時は変なことしちゃったよね……ニャ」


 蕾華に乗せられて怜の体をくすぐり続けた桜彩。

 その時の記憶が蘇って恥ずかしさに体が震えてしまう。


「ま、まあな……」


「で、でも、も、元はと言えば、あれは怜が私のことを食うルなんて言ったのが悪いんだからね……ニャ!」


 恥ずかしさを打ち消すように少し大きな声で口をすぼませる桜彩。


(いや、桜彩が食うルなのは本当のことだと思うんだけど……)


「怜? 今、また私のことを食うルなんて思ってないニャ?」


 頬を膨らませた桜彩がまるでエスパーのように怜の考えていることを的確に当ててくる。

 とはいえここで否定するのもなんだか悔しい。

 どう返事を返すかと悩んでいると、そこで怜は視界の端に映ったれっくんへと目を向ける。


(これは使えるな)


 とある考えを思いついた怜はれっくんを手に取り先ほどと同様に腹話術を再開した。


『えーっ? 桜彩ちゃんは食うルだと思うニャ』


「えっ!?」


 その言葉に一瞬驚く桜彩。

 そして隣に座る怜を睨んでくる。


「れーいー!? 今、また食うルって言ったよね!?」


「おいおい桜彩。語尾にニャが付いてないぞ」


 からかうように笑う怜。

 まだ桜彩は猫耳を外していない為、猫モードは健在であるべきだ。


「むっ! い、今はそれはどうでもいい……ニャ! 今問題にしているのは怜が食うルって言ったこと……ニャ!」


 目を吊り上げて桜彩が抗議する。

 一応律儀に語尾にニャを付けることも再開している。

 それがやはり可愛らしい。


「いやいや、俺は食うルなんて言ってないぞ。桜彩のことを食うルって言ったのはれっくんだ。なあれっくん?」


『そうだニャ。桜彩ちゃんのことを食うルっていったのはぼくニャ』


「むーっ!!」


 れっくんの片手を持ち上げながら何食わぬ顔をして食うルと言った責任の全てをしれっとれっくんへと押し付ける。

 そんな怜に桜彩がより一層険しい顔をして詰め寄っていく。


「怜!?」


「いやいや、俺は桜彩のことを食うルだなんて思ってないぞ」


 しらじらしいにもほどがあるだろう。

 むくれる桜彩を横目に怜はれっくんへと視線を移して


「れっくん。桜彩のことを食うルなんて言ってはいけないよ」


 と窘める。

 あくまでも自分は桜彩のことを食うルなどと言っておらず、むしろそれを窘める立場であるというスタンスだ。


『えーっ!? 桜彩ちゃんは食うルニャ! 誰が何と言おうと食うルニャ! 絶対に食うルニャ! 未来永劫食うルニャ! 食うルニャ食うルニャ食うルニャーッ!!』


「むーっ! むーっ! むーっ!!」


 れっくんに発言の全てを押し付けてにやにやと笑う怜。

 とそこで桜彩があることを思いつく。

 今までのムッとしていた表情から一転してにこやかな笑みを浮かべる桜彩。

 その変化に怜の背筋がゾクッとする。

 怜の手に持つれっくんへとゆっくりと顔を近づけて


「ねえれっくん。ところでれっくんは誰から食うルなんて言葉を聞いたのかニャ?」


「え?」


 その問いにそれまで笑っていた怜が言葉に詰まってしまう。

 それを見た桜彩がニヤッと笑って怜へと視線を戻して


「私のことを食うルなんていう人は一人しかいニャいよね。怜、そうだよね……ニャ?」


「そ、それは……」


 ここでそうですと認めてしまえば先日のくすぐり地獄のようなひどい目に遭わされるだろう。

 何とかして言い訳をしようと頭を回転させる。


『ち、違うニャ。陸翔君から聞いたニャ。怜君は関係ないニャ』


 なんとか陸翔をダシにしてこの事態を納めようとする怜。

 しかし桜彩がそれを許すはずがなかった。


「あれ? おっかしいニャあ。さっき生まれたばかりのれっくんは陸翔さんとはまだ会ったことがニャいよね」


「そ、それは……」


「怜? 私は怜じゃなくてれっくんに聞いているんだニャ?」


 腹話術をする余裕すら失われた怜をにっこりと笑いながら桜彩が制する。

 とはいえもうこの盤面は詰みで確定しているだろう。

 あとは怜の苦し紛れの言い訳を詰将棋のように追い込んでいくだけだ。


「私のことを食うルなんていう人は怜しかいないニャ。ということは、私のことを食うルってれっくんに教えたのは……怜しかいニャいよね?」


「ち、違……」


 言葉に詰まる怜。

 もうこの時点で言い訳のネタは尽きていた。

 完全なる王手、チェックメイト。

 ゆっくりと詰め寄ってくる桜彩から逃げるように背中が後ろへと傾いていく。


「ふふっ。これ以上ニャにか言うことはあるニャ?」


 天使の微笑の裏で悪魔の微笑を浮かべる桜彩。

 この時点で怜の背中は冷や汗の大洪水だ。


「ご、ごめんなさ……」


「怜、本当に悪いと思ってるニャ?」


「お、思ってる!」


「ふーん。なら立ち上がって両手を前に出すニャ」


「え?」


「早くするニャ!」


「は、はい!」


 桜彩が何をしたいのか分からないが、とにかく報復を懸念してすぐさまソファーから立ち上がり素直に言うことを聞く。

 すると桜彩はテーブルの上に置かれていた手芸店の包装に使っていたリボンを手に取って手早く怜の両手を縛りあげた。


「……え? あの、桜彩? いったい何を……?」


 不安そうに桜彩を見つめる怜に対して桜彩はにっこりっと悪魔の微笑を浮かべて


「えいっ!」


 桜彩が怜の両肩を持ってドンッとソファーと横たわらせる。

 そして当然先日と同じように怜の上に桜彩が馬乗りになって


「ふふふ。これでこの前みたいに抵抗は出来ニャいよね」


 リボンで縛られた怜の両手。

 これはその為かと今更ながらに理解する。

 桜彩を恐れて言うことを聞いた数秒前の自分を強く叱責したい。


「さて、それじゃあ……お仕置きの時間だニャッ!!」


「ご、ごめっ……ひゃあっ!!」


 もちろんだがもはや怜が謝ったところで桜彩が手を引くわけが無い。

 先日の部室で怜の弱点を知った桜彩が的確に怜の弱い所をくすぐっていく。


「えいっ、えいっ、えいっ!」


「ごめっ、許して! 悪かったって!」


「私っ! 猫だからっ! 怜の言ってるっ! ことなんてっ! 分からないニャッ!」


「いや、絶対分かってるでしょ! わはははっ、ひゃっ、苦しっ!」


「ニャッ! ニャッ! ニャッ!!」


 当然ながらこの後怜は十数分に渡って桜彩によるくすぐり攻撃という拷問を受けることになった。


【後書き】

 次回更新は月曜日を予定しています

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